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気候環境論・50カ国を語る(ユーモア論文)1998年

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『気候が人間活動に与える影響について』

――――― 小生の体験をもとに ―――――

1998年11月30日執筆
お断り:これは学術論文ではなく、ユーモアのある読み物です。
ちなみにこれは当時大学の授業のレポートとして提出したもので、超多忙な東京大学T教授がこの長い文章を全部読んでくれて感想まで聞かせてくれたという涙チョチョ切れの思い出があります。(※註)

0.はじめに


 以下に、『気候が人間活動に与える影響について』を世界各国の小生自身の体験に基づいて論じてみようと思います。
 概してこのような文章は、個人的体験に基づくものであるから、大いに誤解や妄想や偏見が混入している恐れがあります。
 しかし、このような文章の試みによって、あわよくば社会や学会に何らかの影響を与えることができるかもしれません。
 それになにより、このような文章を書くことは小生にとって非常に楽しいのです。
 タイムマシンに乗ってもう一度小生の体験をおさらいするかのようでもあるからです。

 尚、中華人民共和国については、拙著『中国鉄道旅日記』講談社出版サービスセンター刊・1992年6月15日発行・定価1457円・ハードカバーB6判・208ページ・ISBN4-87601-272-5に詳しいです。

 申し遅れましたが、小生はこれまでに正50カ国を訪問しており(註:執筆当時)、様々な経験をすることができました。
 旅先では、鈍い感性ながらいろいろ感じ、考えました。
 いつかこのような体験を第二の本にまとめたいという希望を持ち続けているのですが、そればかりではなく、それらの体験を学問と融合させることにより学術的に昇華できる手段がないものであろうかと、ひそかに目論んでおります。

 今回のレポートは、その骨組みにでもなればしめたものだと思っております。

 また今回は課題の目的達成の為、「気象」と関係があるという視点で小生の経験を分類してまとめてみたことになります。このような斬新な切り口から自身の体験を論じてみるのは初めてのことであり、これがひょっとすると「個人的体験と学問との融合」の第一歩ではないかと、内心自負しております。

 尚、それぞれの国の気候についてはあまり触れておりません。
 それらは文献で容易に調べられるからです。
 従って小生の体験の羅列となっているきらいがあるかもしれませんが、その体験談や感想や分析を気候と照らし合わせることによって、何らかの発見があるかもしれないな、あればいいな、という気持ちなのです。

1.日本

 明瞭な四季があり細長い島国であるところから気候は様々で、土地毎の気質が気象と大いに関係があると想像したいところである。
 気象が心に及ぼす影響はもとより、食べ物にも因果関係があるかもしれない。
 飢饉がちで塩分の多い保存食に頼っていた東北地方は必然摂取塩分濃度が高く、人間の性格形成に何らかの影響を及ぼしているかもしれない。
 小生の母方の田舎は山形で、人々は素朴で、親切すぎて困るほど親切で、幼少時に遊びに行くと、持ちきれないほどの土産を持たされて喜んだものである。
 しかし一方、慎ましやか、質素、倹約の精神が宿っているのは事実らしく、小生の母は悪い意味での吝嗇ばかりが大いに目立ち、彼女の子供たちはいじけて育った。
 山形出身の詩人斉藤茂吉の次男である作家の北杜夫氏は、父や母のことを本に著して、しかもそれがよく売れているらしいが、そこにも慎ましやか、質素、倹約、吝嗇の精神が垣間見られる。
 そして、大阪で育った小生自身はざっくばらんで、歯に衣着せぬ性格で、頭に血が上りやすく、せっかちで、短時間の記憶力は抜群ではあるが、全体的に忘れっぽく飽きっぽい性質を持つ。
 これは辛抱強く勤勉で大志を抱かない母親の遺伝子よりも育った大阪の環境の方に影響されたのであろう。

 ちなみに北杜夫は東北大学医学部時代、ヒトの性格の大きな二分類として、どちらかといえばソーセージを好む「ソーセージ気質」とどちらかといえばハムを好む「ハム気質」をあげ、それぞれをクレッチマーの循環気質と分裂気質に対応させた。
 これによると私は圧倒的にソーセージが好きなので、北杜夫説は当たっている。
 しかしながら北杜夫のこの論文は、当時教授にはまったく相手にされなかったらしい。

2.台湾

 晴れれば原色の情熱、曇れば湿潤で果実と香料の噎せる台湾世界には、南九州から南西諸島にかけての人柄に通じるものがある。

 小生の兄嫁、つまり義理の姉は大隅半島の先端の何もないところの出身で、大阪人に輪にかけるようなざっくばらんな性格で、のほほんとして、脳天気で楽天的で、何も考えていなくて、例えば真夏でもよく食卓の上にマヨネーズを出しっぱなしにしておいて、姑、つまり小生の母の愚痴を聞かされるのはいつも小生なので迷惑を被っている。
 思考回路が科学的ではなく存分に感情的で、それももちろん結構なことなのであるが、概して南のヒトは厚かましく自分の考えがあたかも世界の中心と思いたがるようで、ヒトに自分の思考パターンを押しつけようとする傾向がある。
 それで自分は偉大な福祉活動をしたつもりになるのだからかなわないのである。

 小生が最初に外国に出たのはこの国で、人々の渦には勤勉と怠惰と欲情が同居しているように思った。
 こと男女関係になると、あたかも赤リンの発火よろしくお互い激しく燃え上がる。
 このあたりは「濃い」といわれている大阪人もたじたじなのである。

3.韓国

 アジア的な人懐こさがないのは日本の関東圏そっくりだが、日本よりも平均気温が低いせいか、関東人気質に輪をかけて人々は不親切で冷たい。
 ところがいったん気を許しあうと、ときには財産の分け隔てなく、心の底からの人間関係が成立する。
 身内でさえ醜い財産争いが絶えない日本の金銭信仰を嘲笑するかのようで、人間性を忘れていないということか。
 日本人が見習うべき点である。
 日本人が忘れているものを多くもつのがアジア諸国である。
 韓国もアジア諸国である。
 日本のアジア的なるものは、先に述べた南九州から南西諸島にかけての人柄だけで、他所は病的にゆがんでいる人間が多い。
 また、のちに出てくるが、欧米先進国もご多分に漏れず病的な人間が多いので、日本はもはやアジアの一国ではなく、欧米諸国の一員であろう。
 こう書くと白人コンプレックスの日本人は喜ぶかもしれない。
 しかしソーセージ気質である小生はアジア的なるものの中に人間を見いだしている(現に人間のアジア発祥説が持ち上がっている)ので、これは実はけなしているのである。
 つまりハム気質は一見スマートな白人指向ともいえようか。

4.香港

 せっかちである。
 大阪人の小生がのけぞるほどせっかちで、喋り方、喰い方、歩き方、屋台の冷やかし方、汗の拭き方、エレベーターのボタンの押し方、トイレの戸の閉め方、バイバイの手の振り方、まばたきのし方、子供のおもちゃの走り方、ありとあらゆるものが高速である。
 季節の変化がややある亜熱帯モンスーン気候で雨期にはかなり蒸すが、総じて熱帯アジアのようではないので過ごしやすいはずであるが、いかんせん土地利用が超過密である。
 そして洗濯物がビル間に張り巡らせたヒモにぶら下がって揺らめく。
 小生はフィンランドのユースホステルで窓の外にパンツを干して宿の主に大目玉を喰ったことがあるが、これがアジアと欧州の違いの一つである。
 ソーセージ気質の小生は下着には直射日光を当てるのに賛成であるから、すべて屋内で下着を処理することにたいして抵抗を覚えるし、不健康で陰湿な印象までもってしまう。

 しかしながら香港人の高速さには不快感さえ覚える。人々の会話には「間」というものがないようで、始終せっかちに体のどこかが動いているのだった。

5.中国

 中国は広大すぎるので、気候による人格形成を述べるには、いくつもの地区に分けねばならないとと思いがちであろうが、実際は違うのである。
 ウルムチで背を丸めてソバを食べていた漢民族のおじさんの姿は、4千キロ、5千キロ離れた四川省や雲南省のおじさんと何ら変わらない。
 食べているものまで同じで、黄色いソバに赤い香辛料汁と青菜をぶっかけた峻烈で爽快な食い物である。
 また、南でスイカが実ると、たちどころに全国にそれが流通するので、冬の氷点下40℃のハルビンで、南からやってきたスイカを賞味することができる。
 その季節感のなさは日本を上回り、しかもハウス栽培ではないから、国の広大さに改めて驚異の念をいだくのである。

 中国人は「食」「性」「睡眠」の3つの動物的本能を満たすことに4千年の歴史をかけてきた。
 中国人は喰うことに情熱をかける種族で、曰く、「空を飛ぶもので翼のあるものは飛行機以外何でも食べ、地上にいる四本足のものは机以外何でも食べ、二本足で歩く動物は両親以外何でも食べる」。
 小生は南寧の駅近くの市場で、こんがり飴色に焼き上がって首吊りをしているポチを見た。
 きのうまで頭をなでられて尻尾を振っていたポチであろう。ともかく実に旨そうに変身するものだ。
 我々日本人は味の表現についてはせいぜい酸、苦、甘、鹹、辛の五味であるが、中国人が料理の表現に使う語は、鮮、美、淡、清、爽、滑、甘、香、脆(ぜい)、肥、濃、軟、嫩(どん)の13である。そんな中国料理に対して、ただ「ウマイ!」の一言で終わらせるのは失礼極まりないのである。(詳細は拙著『中国鉄道旅日記』参照) 

6.タイ

 拈華微笑の国である。

 熱帯の鮮烈な陽射しと、限りなく膨張しきったような暖かい空気は、温牛乳を飲んだ後のように、人間から生産性というものを奪いとってしまうのだった。
 土地の人には、温牛乳などとんでもない飲みもので意味が通じず、いやそれを言うなら椰子汁を飲んだ後と表現するのが適切だと、いつものようにヒトをとろけさせるような笑みと手振りで小生に説明するのであった。
 そして、椰子汁を楽しんだ後にやってくる不思議な倦怠を思い出して合点がゆき、小生は土地の人たちのような甘い笑顔を返し、これでこの土地での社交はいつも平穏に済んでしまっていた。
 山岳地帯に口を開けている真っ暗で涼しい洞窟を土地の人々が愛するように、笑顔は、この土地ではなくてはならない日頃の憩いなのである。

 いったいこのむさ苦しい気候の中で、みんなクソ真面目な顔をしていたり、相手の動向を必要以上に観察する習慣があったりすれば、きっとノイローゼ者がたくさん出るに違いない。 

7.ヴェトナム

 気候は南北により差異があり,北部は温帯モンスーン型,南部は熱帯モンスーン型に属する。

 ヴェトナム北端のラオカイから首都のハノイまで紅河に沿って下る鉄道がある。小生はこれに乗った。ヴェトナムを統治していたフランスが1910年に昆明まで直通させた路線で、ラオカイ―ハノイ間は約340㎞である。

 ラオカイから14時の列車でフォルーへ向かうのだが、これが貨物列車で、フレンドリーな若き駅員君の計らいで、腰を降ろす空間を確保してもらった。そこは荷物と人間で埋まる、有蓋貨車の中の米袋の上であったのだ。

 発車まで時間があるからと、駅長室で昼食をご馳走になった。
 煮込みをご飯にぶっかけたものだが旨くて、私は二杯も食べた。
 駅員君は中国より旨いはずだと断言して笑った。

 翌朝9時30分発ハノイ行きに乗車。ノグという名の売り子さんと出会った。彼女は売り物のお茶をご馳走してくれた。金はとってくれなかった。小生はそれはダメだと、お金を強引に渡そうとしたが弾き返された。

 そこにニコやかな表情の列車長が現れた。
 ガラ空きの車内で唯一そこのボックス席だけが賑やかになった。
 列車長は小生の荷物を網棚に縛ってくれたり、小生がホームのバナナを買おうとすると、その売り子に何やら言い、巨大な一房をかなり負けさせたりした。

 ヴェトナムはこれで二度目(註:執筆当時)であるが、ヴェトナム人の優しさにはこれまで何度も目から鱗を落としている。人に出会う度にあたたかい思い出が増えてゆく国である。気候が暑い国の人は概して親切なので、旅をしていると楽しい。 

8.ラオス

 またしても暑い国である。

 首都ヴィエンチャンの郊外、自転車で20分の村に、ハーバル・サウナがあった。
 においを出す植物の葉を蒸した蒸気を、高床式の小部屋にひいたサウナである。
 よそ者にも開放していて、狭くて暗い空間では、いろいろな話に花が咲いていた。

 小生はここで、フランス人との混血の女性に出会った。
 1899年にフランスはラオスをフランス領インドシナに編入したが、そのときの混血であるらしい。

 ところでフランス人と対照的なのは、イギリス人である。
 イギリス植民地ではめったに現地人と婚姻関係を結ばない。
 国民性であろうか。
 日本人もどちらかというと植民地では婚姻(単に種をつけたという例は除く)を結ばないほうであろう。

 フランス人は自分たちのことを「俺たちゃ、ロマンスよ。喰うことと愛には情熱をかけるんだよ」と言うだけあって、理屈よりも情熱で行動する人が多いらしい。
 ラオスやヴェトナムなどの植民地で婚姻してそのまま居着いてしまう例が多いのはフランスの国民性で、それが暑い国の人々の感性と通じるところがあるのかもしれない。
 そういえばタイでもタイ人の女性と懇意になって結婚してしまった、あるいは結婚する予定だというフランス人男とのカップルに何組も出会った。 

9.カンボディア

 カンボディアもフランスの息がかかっていて、古くて由緒あるホテルは外観がフランス風ではあるが、内側の設備はちゃらんぽらんで、最低限度住めればよい、といった案配である。
 小生が体の不調で訪れた病院では、医師の喋る外国語はフランス語で難儀させられた。

 人々は、フレンドリーである。
 ところが過去より現在に至るまで、相次いでいる政治経済的不幸に見まわれどおしなので、どことなく表情にある暗い陰は拭えない。
 裏通りの娼婦のおばさんの顔だけは、妙に明るくてけばけばしかった。

10.ミャンマー

 敬虔なる仏教国だが典型なる軍事社会主義でもあり、欝屈した笑顔のないこわばった市民の姿が至る所で見られた。
 政府を信用しない国民たちは外貨(主に米ドル)を私のような外国人旅行者からせしめるべく、公定レートの約10倍もの値段でドルを買う闇両替商が街に多く徘徊していた。

 ご多分に漏れず、この国の人々もフレンドリーである。
 何度も言うようであるが、アジアの人々は概してフレンドリーなので、小生が日本に帰国してから、日本はアジアではない気がしてならないのである。

 しかもミャンマーでは外国人旅行客が比較的少なく(現在(註:執筆当時)は鰻登りになりつつあるらしいが)、現地人は外国人にウブである。
 旅行者に対する思いやりをいつでも感じることができる。
 そして、ハッティー(註:英語のhot teaが訛っている)と呼ばれるお茶を飲ませる店では、非常に恥ずかしげに小生に接近してきて、素朴な質問を投げかけてきて、そして礼儀正しく立ち去るのだった。

 北部の中心地マンダレーは四方を砂漠に囲まれていて、年中乾燥している都市である。火がつきやすく、1981年5月12日、35000人もの人が家を失った大火があった。
 そして小生がマンダレーに到着してから二日目の夜に、近所に恐ろしい火事を見た。 

11.インドネシア

 長年の放浪の終わり、日本への帰りのオーストラリアからのヒコーキは、よく落ちるガルーダ・インドネシア航空であった。
 外国人に媚を売る街バリに途中寄港して、訪問国が正味50か国になった。
 黒くて小柄で愛想がいいインドネシア人を見ていると、3年前に初めて放浪をはじめたタイの様子がパアと目の前に再現された。
 強い日差しと甘ったるい匂いと人懐こい笑顔が充満していた。 

12.南アフリカ

 南アフリカは歪みの多い国である。
 貧富そして黒白。
 小生の旅行中、200Rand(約5千円)を巡って白人が射殺された事件を身近に知った。

 気候のいいのは地中海性気候のケープタウンである。
 気候のいいところには金回りの良い白人が集まることになり、ここでも黒白に関する事件が絶えない。
 しかし小生がナミビアとの国境付近で道に迷っていて、夜中に助けられたのは気のいい黒人の兄ちゃんであった。
 暗闇で車に向かって手を振るような人物には、白人は不気味がって止まってくれない。
 小生の体験では黒の色素を肌にもつ人は、一般に人が良かった。歪みを加えているのは、いつもいいとこ取りをする白人なのではないのかとさえ思うようになった。 

13.ジンバブエ

 南アフリカと違い全くの黒人社会であるが、貧富の差が激しく、しかるべき地位についている人は、限りなくプライドが高い。
 ホテルマン、駅員などのサービス業とされる人々がそうであるので、あまりいい気がしない。
 一方のボーイやメイドはフレンドリーではあるが、どことなくいじけていた。
 気候からして彼らの血は陽気で人間くさいと思いたいのだが、それらをうち消すのが社会の構造であるのか。

14.ザイール

 ビクトリア・フォールズの対岸がザイールである。
 ザイール側からのビクトリア滝を見る観光客向けに、木彫りの置物などを売る露店が並び、彼らはまことに商魂たくましい。
 小生が胸に入れていた百円程度のボールペンを指さして、なかなか立派な木彫りと交換しようなどと言ってきた。
 いい取引だが旅行中にかさばるものは交換する気はしなかった。
 ちなみに売値を訊くと、数千円の値段を言った。
 つまりボールペンが数千円の価値があるという意味か、値段を言うときには反射的に高い値を言うのかのどちらかということになると、黒い兄ちゃんのむき出しの白い歯の笑顔を見ると、おそらく後者だという気がした。 

15.ボツワナ

 南アフリカとGNPを肩を並べる($2590; 1995年)ボツワナには歪みがないように感じた。
 国土の85%がカラハリ砂漠で南回帰線直下だが標高が1000メートルを越す地域が殆どで、日差しは強いが快適である。
 ナミビアと並び、犯罪率が南アフリカと比較すると極端に低い。

 列車も全車冷房付きできれいで、アフリカとは思えなかった。
 人々は明るく、紳士淑女的でフレンドリーでこざっぱりした服装で、日本のどこかの地方都市に遊びに行ったような妙な気がしたものである。 

16.ナミビア

 ナミビアは寒流の影響で快適な気候で、ナミブ砂漠などには固有種の植物(ウェルウィッチア・ミラビリス、クィヴァー・ツリー等)、昆虫(ヘッド・スタンディング・ビートル)ヘビ(サイド・ワインダー)などで独自の小宇宙を形成している。ドイツのにおいはするが、快適な気候で美しい集落スワコプムントはナミブ砂漠と海と人間界の接点に位置し、ロブスター、カキ、サメ(私も90センチ級を釣り上げた)等の海の幸が安くて旨い。

 少し大きめの民家の傍らを歩いて通ろうものなら、使用人の黒人が庭からこちらに手を延ばしてくる。
 マーク・トゥエインのハックルベリー・フィンを思い出すのだったが、彼らは私にお金をくれと言っているのだった。 

17.バングラデシュ

 きれいな話ではないが、中国とバングラデシュには日常頻繁に痰を吐く習癖がある。
 これは乾燥していて埃っぽい気候を物語っているようであるが、実はそうではなく、日本にきた中国人、たとえば小生の学生宿舎の隣室の中国人はいつでもどこでも大音響付きで痰を吐いて小生を悩まし続けている。

 ともあれバングラデシュは世界一の人口密度の国である。
 日本の約3分の1の面積の国土に日本とほぼ同じ人口がひしめく。
 世界最貧国の1でもあり、首都近郊のスラム、田舎では結核患者が多いが殆どは病院とは縁がない。
 敬虔なるイスラム教徒が多く、私が放浪したときは一か月のラマダン(断食月)で、太陽のある間は彼らの前で水も飲めなかった。
 もっとも彼らの常食はカレー類と極端に甘い菓子だけで、カレーは右手の指で喰うのである。
 私もそうしていたが、そのうち指がひりひりしてくるのだ。
 そんな環境で1月半の国内放浪生活を行なった。

 ラマダン中は昼間には寝ているのだと思っていたが、そうではなく、男たちは働いていて、定時になると敬虔に礼拝を行っていた。
 女性の姿がラマダンに入るとめっきり減り、町中は男ばかりとなり、喧嘩が絶えなかった。
 空腹は人を不機嫌にするのだ。

 キリスト教で異教徒と言う場合、そのほとんどがイスラム教とユダヤ教を指している。
 イスラム教とユダヤ教は双方パレスチナあたりの過酷な気候のもとで生まれたので、両宗教には共通点も多い。
 白装束の彼らは炎天下、モスクの前庭で太陽を崇めていた。 

18.インド

 インド文化圏では、返事のイエス・ノーを表現するのに、両方とも首を横に振る。
 そのとき「アチャ」という声を出す。OK、わかったよ、ぐらいの意味で、右か左かに10~30度の角度で首を傾げるように回転させるのがミソである。ヒゲ面の男でもこの仕草をすると可愛く見える。

 モンスーンの時は酷で、生物科学系ダリル・メイサー先生は、インドで研究活動をしていると言いつつも、モンスーンの時候をいつも避けているらしい。
 しかし本物のインドを知るためには、このような酷な気候のもとで、彼らと過ごすことに意義があるのではないかと小生は思うのである。

 歴史は古く、摩訶不思議なヒンドゥーの神々に囲まれ、ヨガやサドゥ(飯を食わずに麻薬だけで生きている世捨て老人)などの奇妙な風習が見られ、それらに関する書物も多い。
 日本はどちらかというと出版数と読書人の数が多い国であるが、それでもインドを端的に言い得て妙に表現している書物はないかもしれない。
 なぜなら研究すればするほどますますわからなくなるのがインドだと思うからである。
 現地で肉眼で観察していると、何やらが見えてくるような気がする。
 しかしそれで理解した、あるいは本にしようとするのは無駄な抵抗である。
 つまり現地にとけ込んでも、たとえそれが数年であってもインドを理解するのは無理なのであきらめた方がいい。
 …というのが小生のささいな結論なのである。

19.ネパール

 モンスーン気候であるが、標高のおかげでインドより過ごしやすい。
 そしてネパール人の気質は不思議と日本人に似ている。
 この国の民には気候よりも世界の屋根ヒマラヤに抱かれているという宗教的な観念が根付いているのかもしれない。
 経済状況は良くなく世界最貧国の一であるが、東洋のどこかの経済大国の濁った目つきとは違い、ネパールの民の目は輝いている。

 晴れた日のヒマラヤを見れば誰だって宗教的観念が芽生えるだろう。
 我々人類の存在など、じつに小さなものである。
 肩肘張らず自然体で生きてゆけばよい。
 そんなふうな生き方を教えてくれるのが、彼らの目の輝きなのである。 

20.パキスタン

 人々は狡猾である。スキを見せてはいけない。
 従って、この国にいると、非常に疲れる。
 人々は基本的に優しくはない。
 仮に貴殿の前にヒトが現れ、優しかったとする。
 それはきっと、彼は何か自分の得することをたくらんでいるのである。

 クエッタから西、イラン国境にかけては不毛の地である。
 そんなところにもヒトがぽつぽつと住んでいるが、この酷な気候の下でいると、仏教の「慈悲」などという優しい考えなどとはほど遠い考えが浮かんでくる。
 イスラムはもとより、ユダヤ教そしてキリスト教が生まれたのは、他でもないこのような気候の下である。
 我々日本人はご都合主義的仏教徒であるが、それでも彼らの宗教的考え方が受け入れづらいのも、仏教と彼らの隔たりが大きいためであるかもしれない。
 日本人の知能は比較的高いので、頭で考えて何でもわかったような気になっている人が多いような気がするが、我々の理論を越えた世界は至る所に存在している。
 インドだけではなく、深入りすればするほどわけがわからなくなる世界は多い。 

21.イラン

 パキスタン人の性質に近いところがあるが、宗教はシーア派でパキスタンのスンニー派と大きく異なる。
 パキスタンからやってきた目には豊かで、特に道路のアスファルトはすばらしい出来である。石油関係には不自由がないらしい。

 ペルシア語で「世界の半分」という意味のエスファハン(Esfahan)はまさにオアシスであった。
 人々はポルエ・カジョウ(カジョウ橋:Pol-e-Khajou)を中心とした広場で夕暮れ時に集っていた。
 ウマル・ハイヤームやその他の詩人を生んだペルシャ文化を垣間見たような気がした。
 時間がゆったりと流れていて、気候は過ごしやすい。 

22.トルコ

 どこの町に行っても父なるトルコ人「ケマル・アタチュルク」の像が見られる。
 この国は特に農産物においてほぼ自給自足を維持している。

 旧約聖書の箱船が接岸したというアララット山(5165m)を眺めることのできる小さな町ドゥバヤジットは小生が大いに気に入った世界の中の町の一つである。
 小生が好きだということは、まずのんびりしていて静かで景色が良いということである。

 首都などの大都市と田舎では人々の生活態度や性質が違うということは、トルコに限らず日本もそうだし、全世界に共通のことであろう。
 そしてその田舎の人々に、往々にしてその国の国民性が見られるものである。
 断じて言えることは、あらゆる国の大都市は特別経済地区のようなもので、その国の特徴を見つけだすのは甚だ困難である(その都市の特徴を見つけるのはすこぶる容易ではあるが)。
 田舎のおばあちゃんと話をすると、その国独特の文化が見えてくるものなのである。
 それでトルコはどうかというと、これまた日本人の感性に合うことを発見したのだった。 

23.ロシア

 敬虔なるロシア正教会の信者である国民たちは、日本の東北地方の質素倹約に輪をかけた生活ぶりである。
 長く厳しい冬は人々を我慢強くさせ、馬でも哲学をする環境を提供している。
 ドストエフスキーの小説で突きつけられるテーマは重く、深い。
 地球温暖化で喜ぶのはロシアで、なぜならば自国の耕地面積が増える可能性があるからである。

 シベリア鉄道では次の駅までおつきあいをする娼婦が乗り込んでいたし、モスクワのホテルのロビーには娼婦の姿を見るのが容易である。
 国営商店は常に混んでいてしかも能率を考えないから、店員の動作には無駄が多く、行列は一向に進まない。
 こんな環境にびっくりするのは小生が日本人だからで、現地人は社会を疑うことを知らないのである(最近は疑う人が増えてきているらしいが)。
 そもそも1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故を最初に知ったのは北欧諸国であった。

 社会を疑わないかわりに、初対面の人との対応はまず疑いから始めるという性質を持つ。
 旅人にとってあまり愉快ではない性質である。 

24.ブルガリア

 東欧のひっそりとした国である。
 首都のソフィアでさえ静かで、時たま走る路面電車の車輪の軋みだけがもの悲しく響いていた。

 訪れたのはある年の正月であったが、人々は冷え切ったビルディングの中でじっとしていた。 

25.旧ユーゴスラビア

 この国は夜行列車で通り過ぎただけである。
 首都のベオグラードでは数日前に内乱で日本人の記者が一人撃ち殺されていた。
 ブルガリアからの夜行列車で入国するとき、国境の出入国管理官はくどいほど個室の鍵をしっかり閉めることを念押しした。
 小生のベルトを使って、鍵をさらに厳重にする方法を示しさえした。
 小生の寝た個室の窓ガラスにはちょうど弾丸サイズの穴があいていて、夜中じゅうふるえていた。 

26.ハンガリー

 他の東欧諸国と同様、旧ソ連の衛星国で、性質はロシアそっくりである。
 ある冬のひと月を主に首都のブダペストで過ごしたが、交響楽団、オペラ、バレエ、子供向け人形劇、サーカス(これは嫌いであるが)などの室内娯楽の質は抜群で、しかも安い(日本円で300円程度:これがモスクワやプラハでは観光客をカモにしているので平気な顔で2000~3000円を請求される)。

 小生のよく通った中国料理屋の従業員のハンガリー青年はフレンドリーで、「俺はイタリア人、日本人、アメリカ人が好きさ。嫌いなやつは中国人と俺のおばあちゃんね」などとよく話しかけてきた。
 ロシアを含む東欧諸国で威張っているのは中国系の企業で、その威張り腐りようには眉を顰める連続であった。
 小生が一泊900円也で借りていた、おばさん一人住まいのアパートの空き部屋に深夜に戻ると、小さなクリスマスツリーとお菓子(ハンガリーの国民的お菓子ともいえるおいしいクッキーである)が置いてあった。
 長らく一人旅をしている人間にとって、ジンと感激する瞬間であった。
 大晦日の夜、あたり一斉にジュース缶大のプラスチック製の笛がブーブーとうなりを上げた。
 地下道などにうっかり入ろうものなら、鼓膜が破れてしまう。
 人々はユーモアを解し、楽しく、明るかった。

27.ポーランド

 暗いイメージが常につきまとっていた。
 小さな町には決まって牢獄があり、それを公開していて、中には必ず拷問部屋があった。いろいろ人を痛めつける道具や方法をよく編み出したものであると感心した。

 キオスクでは背をかがめてフラキ(あるいはフラチュキ)と呼ばれるモツ煮込みをすする人がいて、小生もその滋養にたいへんお世話になった。

 人々は一概に不親切でプライドが高く、身なりで人を判断するので小生はよく中国人に間違えられた。
 中国人に間違えられると、決まってぞんざいな扱いをされるのには閉口した。
 しかし何かのきっかけで小生が日本人であると判明すると、彼らの態度は豹変するのであった。

 小生は特別扱いなど望まないが、このように人によってあからさまに態度を変えるような人々がたくさんいる国には愛着がもてなかった。 

28.チェコ

 もはや東欧ではなく、西欧の一国と言ってもおかしくはない。
 特に首都のプラハはそうで、スーパーマーケットやその他の店のシステムや陳列商品は西欧そのものである。
 豊かになったのは喜ばしいが、インフレーションで苦しんでいる庶民がいるのは事実だし、東隣のスロバキアとの格差はますます開く。
 人々はフレンドリーで親切であった。 

29.スロバキア

 チェコとの分離を承諾したくなかった。
 チェコはあたかも重荷を切り離したかのように経済発展を続けているが、スロバキアは未だに暗い東欧のイメージを醸し出している。
 国境の鉄道では大きな荷物を担ぎ、生活に疲れ果てたような人々がチェコへ出稼ぎに行く風景が眺められる。
 国の東側に分け入ってゆけばゆくほど東欧の雰囲気は濃厚になり、駅の売店で「パン」と「ジュース」を買うのに、同じ店であるのにもかかわらず、長い行列に2度並ばねばならない。
 2メートルも離れていないのに、「販売担当」が違うので売れないというシステムであるらしかった。

 人々はひとつもフレンドリーではない。生活に追われていてヒトのことなどには手が回らない、と、あるおばさんのほつれた鬢が訴えていた。 

30.フィンランド

 澄明な森と湖の国。豊である。
 人当たりがすばらしく良い。
 みんな目を見て挨拶、会話を交わす。
 我慢強く、日常哲学をするというロシアの文化も見え隠れする。    

31.ノルウェー

 独立志向。
 ノルウェーはノルウェー。
 プライドが高いが、社会は豊かで、まあ人には親切であろう。
 実際は、この国について語るほどのおつきあいをしていないので、あまりよくわからないのである。
 北欧は物価が高くて、お尻に火がついた旅行であったのである。 

32.スウェーデン

 北欧諸国と同じくお尻に火がついた旅人であった故、よくわからない。 

33.デンマーク

 同じく北欧。
 コペンハーゲンの安宿は駅の裏で有名なチボリの反対側。
 ここらあたり娼婦街で一晩中妙な物音で騒々しい。
 中国人の経営する食堂もあり、そこの中国人はけばけばしくて愛想がなくて柄が悪かった。  

34.ギリシャ

 女性の乱暴さと、同じく女性の教育レベルの低さが目立つ国に感じた。それを毎日じかに体験したからだ。
 同じことを訊くのにも、女性より男性の方が圧倒的に話が通じやすく物事の解決につながる。
 男性にはいわゆる「いいやつ」タイプが多く、旅をしていて楽しい。
 一方の女性は、一概に移り気で感情的で非論理的でおおいにつかれさせられた。

 2千年前栄えた国々、ギリシャ帝国は兵どもが夢の跡か。
 過去の栄光を誇るむきはあるが、「沈滞」「澱み」という表現がぴったりする場面が多かった。

 EU加盟国ではあるが、物価やGNPでは最下位。
 物価が安いので、西側諸国からは夏にわんさと観光客が島々に訪れ、ある島ではフリーセックス、ドラッグ解禁の世界が繰り広げられる。
 そんな現実を知っているギリシャの民は、西側の観光客にある種の偏見をもっている。

35.イタリア

 こちらもギリシャ同様過去の栄光を誇っている。
 西側諸国を旅していて、イタリアに入ると不思議にも「アジア」を感じる。
 長靴半島の北と南は大きく性質が異なり、北の政治(ミラノ)南の経済(シチリアのマフィア)とよく言われるが、小生はおしゃれな北よりも、市場でモツ煮込みをすすれる南が好きである。
 人々は非常にフレンドリーである。
 ファッションのイタリアとよく言われるが、小生にはイタリアは普段着が似合い、人間関係を楽しめるざっくばらんな国であると思っている。
 このような国におしゃれをして入国する東洋の経済大国の観光客がねらわれるのは、場違いな格好で周囲を挑発している己の姿に気がついていないせいである。 

36.オーストリア

 「一番好きな国はどこですか」と誰かに訊かれれば私はオーストリアと答えるだろう。
 この世には「完璧」なところは存在しないが、社会人間性自然を加味して総合判断するとこの国が残った。
 惜しむらくはドイツ語圏ということだが、日本と違い大体は英語を話すので不自由はしない。
 私は移住するならこの国と決めている。 

37.スイス

 ライト・ドラッグ(大麻など)は横行しているが、日本人はスイスが好きだし、スイス人も日本が好きで、幸せいっぱいの両思いである。
 ところが小生のようにみすぼらしい格好でうろうろしていると中国人に間違われ、いろいろと損することになる。 

38.ドイツ

 小生はソーセージ気質だけに南部のバイエルンが好きで、人々はフレンドリーで明るい。
 しかしながら北部は北欧の気質に通じるところがあり、堅物で頑固者が多い。ハゲは例外なく頑固な固執狂である。
 ドイツ国内では、ミュンヘン名物のソーセージ以外、食べ物はあまり変わらないので、この気質の違いは気候に顕著に影響するものではないであろうか。
 気候と人間を論じるなら、ドイツに焦点を合わせてみてもおもしろいかもしれない。 

39.フランス

 ロマンス派。
 食べることとエッチなことが大好きで、右脳型の人間が多く、日本人の堅物の物差しで測ると、大いなるちゃらんぽらん系ということになりそうである。
 フランスも南のプロバンスと北部とでは気質が違う。
 ドイツと同じく、気候と人間を論じるには格好のサンプルかもしれない。
 しかもドイツの左脳系列と反対であるので、分析する価値があるかもしれない。 

40.イギリス

 君主制、階級制度、植民地、大英帝国、産業革命…などという誇りに天候不順という陰鬱さが加わると、H.G.ウエルズの作品ができあがるのである。

 表面を飾る術はすばらしく、そのことだけに惑わされている東洋の経済大国からの観光客は、無邪気にも「ロンドンっていいわぁ」などと目を潤ませてロースト・ビーフの後口悪さなどを忘れて帰ってゆく。

 人々は不親切で利己主義で人種差別主義者で、世界の中心はいまだにロンドンだという信念を崩さない。

41.ルクセンブルク 42.ベルギー 43.オランダ

 ベネルクス3国。

 かわいい小国ルクセンブルクは、険しい地形の中にある。
 博物館では国の存在と強さを誇らしげにアピールしているが、人々は穏和でフレンドリーである。

 ベルギーでは失業率増加をくい止めるために、政府はどんどん求人を出している。
 その結果失業率は回復してきているが、反面、給料は下がっている。
 しかし、世論調査では、国民の多数が、給料が下がっても失業率増加を防ぐ方がよいという考えを持っている。
 旅人がこの現象をとらえるにはまず列車に乗ればよい。
 2人、時には3人組の車掌がにこやかに検察にやってくる。
 一人が切符をチェックして、一人がうやうやしく感謝の辞を述べて去ってゆく。ひとりで出来る仕事を敢えて分けているのだ。

 オランダはライト・ドラッグ合法のアムステルダム。
 ここは赤線も存在して、西欧版吉行淳之介の世界を醸し出していた。
 セックスショップやセックス博物館及びドラッグ博物館があり、前者二つでは何でもありのまやかしなしで、後者は試しに大麻を吸わせてくれる。
 ちなみにドラッグ喫茶はブルドックという店が最も有名である。

 妙に興奮しながらこの街に入ったのだが、去るときには、何やら神妙に哲学をしたくなるような心もちになっていた。
 セックスに関しては見せた見せないということが犯罪に直結するとは考えられないし、ドラッグも大麻に関してはタバコよりも発ガン性、習慣性などの害がない(端から見ていると、ドラッグを吸っている人物はニヤリニヤリと非常に気持ち悪いのであるが)。
 1950年9月に起訴されたD.H.ロレンス著伊藤整翻訳の《チャタレイ夫人の恋人》のように、過去のたわごとになる日も来るかもしれない。ちなみに小生はこのようなクスリがなくても快適に人生を送れるので、一切それらを必要としない。 

44.ポルトガル

 オブリガートは日本語のありがとうの語源であるか。
 空港では旧植民地のアフリカの某国からヴィザなしで入国をたくらんでやってきた黒人おばさんが大きな声で泣き叫んで入出国官を困らせていた。 

45.トンガ

 トンガはトンガ。
 マイペースで、観光客、外国人が近くに居ようとも、全く意識しない。
 だいたい外国人に対して自国の言葉で道を尋ねることだってある。
 暢気で気がよい。
 世話好きでもある。
 首都のヌクアロファではなぜか台湾からの移民が経済の多くを握っていた。

 トンガを3度(1773,74,77年)訪れた J. クックは、住民から親切なもてなしを受け、ハアパイ群島をフレンドリー・アイランズと名づけたらしい。
 小生もまたいつか行きたい島国なのである。 

46.西サモア

 トンガを意識して、ことあることにトンガをけなす。
 たとえば「キャッサバを喰うのはトンガの野郎どもで、おれたちゃあんなもの豚にくれてやるのさ」などと。
 そのただ同然のキャッサバからとったでんぷんで作ったカエルの卵状のものをタピオカといい、日本のギャルたちが嬉しがって現地価格の20倍も払って買っている。

 西サモアの民はいわばムラ根性丸出しで、一人旅をしていると「ケッ、てめえはどこのどいつなんだい。名をなのれ!」などと充血した目で迫ってくるちんぴらがいる。

 アメリカの作家ポール・セローが彼の旅行記で書いているように(The Happy Isles of Oceania; Paul Theroux; Ballantine Books;1993)島国というところはどうしても外部の世界との交流の少なさのため、保守的であり、現状満足型でありがちである。
 このことは逆に古い伝統文化が保持されやすいということでもあり、同じポリネシア人でも、トンガと西サモアとは生活習慣に違いが見られる。

 しかしセローは西サモアをBackwaterと表現して数々の揚げ足を取って、それが物笑いになってニューヨーク・タイムズのベストセラーになったので、セローは西サモアには2度と入国できないであろう。
 豪州人地質学者Warren Joplingはセローが来たときに歓待したのにも関わらず、セローはJoplingのことまで辛辣に斬っている。
 小生はやはり作家の目の方を信じたいのであるが、西サモアにはこのように村意識が大いに横行しているので、西サモアとおつきあいをするなら言動には気をつけたほうがいいのである。 

47.フィジー

 日本からハイヒールを履いたギャルが気軽にやってくるほどの国になった。

 そんなギャルたちを喜ばせる技術を身につけている商店がたむろする街が嫌いであれば、首都のスバを避ければいい。

 笑顔を決して見せないインド人が人口の半数を占め、南海のメラネシアらしからぬ雰囲気を醸し出している。
 しかも経済を握っているのは入植者のインド人だ。

 小生はその国のある島に、自分のための楽園を見つけた。
 いつかまたそこを訪れるつもりである。人には言いたくない。

 インド人とはつきあいがないが、一見怖そうなパンチパーマのメラネシア人はなかなか人懐こく、ユーモア感覚もあってなかなかおもしろかった。
 夕暮れ時にトントンという響きがすれば、今宵はガヴァ・セッションだ。
 つきあうと、泥水のような液体を飲まされ、唇と舌がしびれて、酔いが回った…。 

48.ニュージーランド

 生物科学系ダリル・メイサー先生のふるさと。
 先生の授業では手抜かりなくニュージーランドをほめておいたが、これにはまあ偽りがない。オーストリアについで好きな国であることは事実である。

 ところが小生にもセローのようにものを書きたがるという性癖があり、ヒトの揚げ足をとるのが好きである。 

揚げ足その一:本が高すぎる。

 ペンギン・ブックスなどのような大手出版社のものでもアメリカやイギリスやオーストラリアとは区別されており、ニュージーランド価格というものがなく、あったとしてももとからかなり高い値段が付けられている。 

揚げ足その二:食器の洗浄後、洗剤をすすがずに乾燥させる。

 水が不足しがちで節約するのはわかるが、バックパッカーズ(安宿)の台所にはご丁寧にも「水ですすがずに乾燥させよ」という張り紙が出ていたりする。
 ニュージーランドでは日本人がよく下痢の洗礼に見まわれるという話をよく聞いたが、もしかするとこの洗剤の成分のせいかもしれない。 

 人々は全般にフレンドリーである。北、すなわち暖かい地方に行くほど顕著ではあるが、首都のオークランドではみんな忙しいのでそれなりに不親切な人もいる。
 そして南に下るほど人々は冷たくなってゆき、都市で言うとクライストチャーチがよろしくない。
 ここがメイサー先生のふるさとらしい。
 しかしロンドンと比べるとずっと天国であった。 

49.アメリカ

 ロンドンの英語学校でのクラスメイトであったスウェーデン在住のアプサラ大学古代地質学助教授Dr.A.P.G.氏はアメリカ人のことを完璧にcompletelyフレンドリーであると表現した。
 それはどうやらイギリス人に対する皮肉でもあったわけだか、いざアメリカに入国してみるとやはり博士の言うとおり、ニューヨーカーでさえ実にフレンドリーであった。
 私は英語圏のイギリスを先に体験していただけに実際驚きであった。

 ニューヨークの地下鉄で宿の方向がわからなくなって宿に電話をして行き方を聞いたとき、やはりどうしてもわからず受話器を握ったまま途方に暮れた。
 すると電話の相手は「その辺の人を電話口に出してみて」と言った。
 ちょうど帰宅ラッシュだったので「その辺」には川のようなヒトの流れがあった。
 しかし、その中から無作為抽出で一人を電話口まで引っぱってくることなどできるものかと思った。
 しかし電話の中のおばちゃんは「いいのよ、誰でもいいから引っぱってきてちょうだい」と言い続けた。
 それで仕方なく、あるビジネスマンの背広の袖を無理矢理引っぱって電話にでてもらった。
 その紳士は電話を置いた後、私を誘導してくれた。
 私の乗る列車が来るまで一緒に待ってくれ、列車に乗るときには降りる駅名を念押ししてくれ、さいごにゃ手まで振ってくれた。

「フレンドリー・アメリカ!」 としか言えなかった。

50.オーストラリア

 ヒトに影響するのは気候ばかりではなく、大地のつながり具合も大いに考えられるのではないだろうか。
 すなわち大陸には大陸的性格があるとよく言われるような要素のことである。

 オーストラリアの奥地(Outback)に入って果てしない大地と抜けるような青空の中に身を置いて、果たして腹を立てる人はいるだろうか。

 先住民族アボリジニは、その黒くて無骨で強面の様相に似合わず非戦闘的で誠におとなしい民族である。
 オーストラリアのことを話すとき、白人の生活よりもアボリジニについて論じた方が話は早い。
 ところが白人たちのなかにはアボリジニの存在だけでなく、日本人を含むアジア人のオーストラリアへの移民を拒否、あるいは追い出し運動をおっぱじめようとしているクイーンズランド州選出の女議員ポーリン・ハンソン(Pauline Hanson)がいる。 賛同者は2~3%らしい。(註:執筆当時)
 いったいにいいとこ取りするのが、白人たちの性癖であるらしく、けしくりからぬ話である。 

(おわり)

※註)絶賛されたというわけではないですので念のため・・・

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