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怖さの正体に触れた日。私は次の扉の前に立っていた

かなりイケてると思っていました。

自分の体験を書いて、
気づきを言葉にして、
整えて届ける。

ちゃんと書けているし、
ちゃんと伝わっていると思っていたのです。

でもあるとき、
「綺麗にまとまっているけれど…」
そう言われたことがありました。

日めくりカレンダーの、
日本の季語から感じることを綴っていたときです。

最初は、
正直、納得がいきませんでした。

綺麗のどこがいけないのか。
ちゃんと伝わるように書くことの何が悪いのか。

そんなふうに、
心の中で小さく反発している自分がいました。

でも、書きながら気づいたのです。

私はずっと、
「わかったこと」を「わかった状態で」
書いていたのだと。

それは、備忘録でした。

自分のための記録。
自分の中で整理されたもの。

でも、人に伝えるということは、
それとはまったく別のものだったのです。


そこに気づいたとき
内側に静かな衝撃が広がりました。

そして同時に、
はっきりと感じたものがあります。

怖い。

そんなこと、
やったことがない。

心のどこかで、
そう叫んでいる自分がいました。


今までの私は、
自分の中で完結する形で書いていました。

でもこれからは、
そこに「相手」が入ってきます。

自分の内側だけでなく、
誰かに触れていく領域。

それは、
どこかでコントロールできない感覚を伴います。

自分の書きたいままを綴るだけではなく、
読む人がいるとしたら、
どう思われるのかという不安。

もう、
これまでのように自分だけのことではなくなる。

そこを見たくなくて、
避けてきたのだと、
認めざるを得なくなりました。


でも、この怖さは
危険だから感じているわけではありませんでした。

これは、
変わるときにだけ現れる感覚。

自分の中の守ってきたものが、
少しだけ手放されようとしているサインでした。


いまの私は、崖の前に
立っているわけではありません。

ほんの少しの段差を、
降りようとしているだけ。

でも、その一歩が、
これまでとは違う世界につながっていることを
どこかで感じているのだと思います。


だから、怖さは消さなくていい。

なくそうとしなくていい。

ただ、そのまま感じながら、
小さく一歩を出してみる。


きっとこの先で、
私はこの日のことを思い出します。

「あのとき、怖かったけど進んだ」と。

そしてそのとき、
また新しい言葉で、この体験を
書くのだと思います。

いまはまだ、その途中にいます。

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