書く対話で手放せた!「妻なら、ご飯を作るもの」という思い込み
私は、料理が嫌いでした。
作れないわけではありません。
好きじゃなかったんです。
でも、結婚した当時の私は、
「妻なら、ご飯を作るもの」
そう思っていました。
だから、一生懸命作りました。
旦那は肉が嫌い。
私は昼間の仕事。
旦那は夜勤。
仕事から帰ってきて、
わずかな時間で夕食を作る。
普段から料理をしていたわけでもない。
レパートリーもない。
野菜中心となると、
「何を作ればいいんだろう?」
となる。
手早く作れない。
うまくできない。
イライラする。
それでも、
「私が作らなきゃ」
と思っていました。
誰かに言われたわけではなかった
今振り返ると、不思議なんです。
旦那は、
私に料理を強要していたわけではありません。
「妻なんだから料理をしろ」と
言われたわけでもない。
それなのに私は、自分で自分に、
「作らなきゃ」
と言い続けていました。
そして、料理が嫌いな自分を、
「ダメな女性」
「主婦失格」
と責めていたんです。
「できない」のではなく、
「好きじゃない」だけだった
「こんなこともできない」
「もっと頑張らなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
そうやって、嫌なことを続けました。
でも、今ならわかります。
私は料理ができなかったのではなく、
料理が好きじゃなかった。
ただ、それだけだったんです。
料理が好きじゃない。
それは、そんなに悪いことだったんだろうか。
料理が好きな人もいる。
好きじゃない人もいる。
それだけのことだったのかもしれません。
そして、これは
料理だけの話ではないのかもしれない。
「妻になったんだから」
「母親なんだから」
「社会人なんだから」
そんなふうに、いつの間にか
「こうするもの」
と思っていることは、ないでしょうか。
「こうするもの」を、
自分の気持ちより信じていた
私は、
「妻なら料理をするもの」
という一つの形を、
いつの間にか「正しいもの」にしていました。
だから、そこから外れると、
「私がダメだから」
「努力が足りないから」
と思ってしまう。
そして、
「もっと頑張らなきゃ」
と、自分を変えようとする。
でも、本当はその前に、
「私は、どうしたいんだろう?」
と聞いてみてもよかったんですよね。
「嫌だ」でもいい。
「やりたくない」でもいい。
その気持ちを、
すぐに「ダメ」と決めなくてもよかった。
いま振り返ると、
私は「こうするもの」を守ることに一生懸命で、
自分がどう感じているのかを、
ちゃんと見ていなかったんだと思います。
一人で書くだけでは、気づけないことがある
私は今、こうして書きながら、
自分の中にあったものを見つけています。
でも、自分にとって当たり前すぎることは、
一人では気づきにくいものです。
私にとって、
「妻なら料理をする」
は、あまりにも当たり前だったから、
「私は、これを当たり前だと思っている」
ことさえ、わかっていませんでした。
私自身が、
一人では気づけなかったことの中に
自分では見えない盲点があることを
知ったからです。
だから私は、
書いた言葉を誰かと一緒に眺める時間を
大切にしています。
「それって、本当にそうなのかな?」
そんな問いかけから、
自分では見えていなかったものが
見えてくることがあるからです。
これは「書く対話セッション」で大事にしていることです
書く対話セッションでは、
私が答えを渡すのではありません。
あなたが書いた言葉を、
一緒に眺めていきます。
「私、こんなことを思っていたんだ」
「私、これを当たり前だと思っていたんだ」
そんなふうに、
自分では見えていなかったものに気づいていく。
そして、その先で、
「私は、本当はどうしたいんだろう?」
と、自分に聞いてみる。
もし今、
「もっと頑張らなきゃ」と
思っていることがあるなら。
その言葉の奥にあるものを、
一緒に見てみませんか。
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書く対話セッションに興味のある方は、
下のリンクからお読みいただき、
記事内のフォームからお問い合わせくださいね。
料理が好きじゃなかった私が、
ダメだったのではなかった。
「こうするもの」ではなく、
「私はどうしたい?」
を聴いてもよかったんです。
もしあなたにも、
「できない」と思っているけれど、
実は
「好きじゃないだけ」
なのかもしれないことがあったら。
その気持ちも、一度眺めてみてください。
もしかしたら、そこに
まだ気づいていないあなたの本音が
あるかもしれません。
今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
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