ほんとにあった、幻想か現実か、分からない話-①
其の壱 過ぎる
テスト期間中だった高2の時、国体が終わり、その前の中間テストでは赤点ギリギリの教科が2つ、3つあった。
期末テストでは、結構得点しないとと思い、留年への不安も少しだけ抱いてい焦りがあった。
そんなテスト期間中でも、コーチと共に隠れて練習をした。
体育館の屋根裏部屋だった記憶がある。屋根が低くく、立つことはできたものの、いつもの道場とは違い圧迫感を覚えた。
しかしながら、校則違反であるためその隠れ練習は1時間で切り上げていた。
僕は燃えていた。その後の選抜大会では全国への出場を目指して入賞したかった。
けれども、その期間は微熱が続いていた。恐らく風邪。
期末テストが終わっても熱が下がらない。
当時のコーチ曰く、「そんな風邪は気合で治すんだ、熱冷ましを混んで毛布にくるまって汗をかいて治すんだ」という根性論が罷り通る昭和だった。それも昭和63年の話であった。
僕は身体が動かなくなった。微熱が高熱へ悪化していた。
親に連れられ、診療所へ行くと薬が処方された。
それを飲んでも状態は変わらずに、その日の深夜に吐き気を催し便器に蹲ってしまった。
そこからの記憶がない。
後から聞くと、翌朝に再び診療所へ連れていかれ、そこの医師は総合病院への紹介状をこさえた。
恐らく、その日、ほんの少しだけ覚えていたのが、横向きに寝かされて、太い針の注射器を腰へ刺された時で、〝もう、駄目なのかな〟と、暗闇の中で絶望感を覚えたことだった。
その後、ウイルス性の髄膜炎と診断された。即日、入院することになった。
其の弐 ここにだけ居る
入院している、病院で過ごしているといった自覚がなくて、ベット柵に囲われた狭い空間で生きているだけの生物のような認識で僕は居た。
特に、痛みや苦しい感覚、寂しい気持ち等の情動をはじめ、身体の重みや立体構造さえ、認識していなかったと思う。
ただ、その空間に居るだけだった。
父親の声や看護師の声が時々聞こえていた。しかし、その言葉の意味は分からないでいたと思う。
更には、朝、昼、夜をも感じれていなかった。サーカディアンリズムもが崩壊していた。
目の前に広がる景色は断片的に記憶していて、この世のものとは思えないものだったが、当時の僕はそれに恐怖を覚えたり、違和感なぞ感じていなかった。
棺が縦に、横に、並べられていて大人の真っ黒な人影が、独りで地面をスコップで掘り、埋めていっていた。〝次はお前の番だ〟と、どこからともなく声が聞こえてきた。また、他には、傍にいる父親から甘い柔らかい食べ物を食べさせられている時に、〝これ美味しい、何?〟と聞くと、〝隣の人の葬式饅頭だよ〟と、父親は応えた。
今となれば、絶対にあり得ない会話。
恐らく、面会謝絶が解ける日に、叔母が見舞いに来てくれて、病室の扉が開くと青い鳥も一緒に入って来た。
そのことを叔母に告げると完全に無視されてしまった。
これまでの事象は、僕だけが記憶していることで、ベッドで寝たきりだったのは事実だが、それ以外は、幻覚なのか夢の中なのか、それらを確かめる術がない。
其の参 戻る
面会謝絶が解けると大部屋へ移動した。
その日の夕方に、車椅子に乗させてもらい、当時つき合っていた同級生の彼女へ報告しようとデイルームにある公衆電話まで連れていってもらった。
病状が良くなって大部屋に移ったことを告げた。
安心してくれたことを薄ら記憶していたものの、全く会話の内容は覚えきれないでいた。
後日、その彼女を含め、見舞いに来てくれた。5人位来てくれたのだが、僕から口を動かすことができなかった。
その理由は、彼女に対して強い照れを感じていて、他の4人へは、中学が一緒の人がいたのだが、名前が出てこなかった。顔を知っているのは勿論だが、名前だけが記憶から想起されずにいた。
僕はその状況に焦りを覚えて、緊張し、表情が強張っていたと思う。また、それを察し、僕の彼女は心配気な硬い表情になっていた。
「ごめん、病気の影響だと思うけどR子(彼女の名前)は分かるんだけど、みんなの名前は忘れてしまってるみたい、顔は分かってて同じクラスってことは分かるんだ」
靄がかったような暗めな雰囲気を変えたくて、勇気を出して話しかけた。
「へぇー大変だったんだね、でも、R子は忘れてないんだから羨ましい、私はI子、Iちゃんって呼んでたでしょ、えぇぇ、惚気てるんじゃない」
みんなの笑いを誘った
「あっ、2人とも顔が赤くなっている」
僕とR子は照れながら笑い、他の4人は大笑いし出した。
「しっ、しぃっ、一応ここ病院」
I子はユーモラスに気を遣い、雰囲気を和ませてくれた。そのお陰でみんなで明るく会話をすることができた。
この機会がベッド柵に囲まれた空間で生きている生物から〝高校生〟である僕自身へ戻り始めるきっかけとなった。
つづく(②-其の肆〜へ)
