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行き渋りを受け入れる親の苦悩

今日は末っ子年長息子が幼稚園を休んだ。

「今日は幼稚園お休みするーお腹痛いー」

連日我が家のトラブル続きで
私の心がおちつかないのでしょうがないなー
とも思うし、
毎年この時期は行き渋りを見せる我が子ですから。。
まぁまた来たか。。となるわけです。

それをね、分かっていながらも
すぐに「はい、そうですか」ともいかないですよ。

必死の提案を試みる。
帰りにグミ買いに行こうか。
幼稚園帰ってから兄や姉と一緒に遊んであげるよ!(普段はなかなかうんと言ってくれない)
今日は行ってください。お願いします。

頼んでも無理。表情は変わらない。

彼の言いたいことも分かるよ、、
「なんで、兄や姉は行かないことが許されるんだよ。僕のことだって許してよ。」


行き渋りを見せた時の塩梅が難しいのよ。
ぼくのことを受け入れてくれた→信頼貯金
頑張れそうなとき→背中を押してみる

親としては迷うところ。
ましてや、、きょうだい児に不登校がいると特にね。

だからね、もう無理だなって思った時には
親は潔く引く。
強く言えないのが本音なんだけどもね。

本音は
「幼稚園行ってほしい」
「兄弟喧嘩にもううんざり」
「園からそんなことで休ませたと思われたくない」

もちろんね、背中を押して行く時だってあるの。
甘えたいんだなーって分かるとき。
大抵、私が疲れている時にはグズるし、
絶対、「じゃあ行く」には転じない。

休ませると決めれば少し私の気持ちは落ち着く。
でも少しざわつくのは
「周りからの目」
先生にどう思われるかなと。

4年前の兄のときと同じ担任の先生。
当時は嫌がる息子を無理やり自転車に乗せて幼稚園に向かった。
先生の目が怖かったから。行かなくてはならないと頑なになってたし、休みグセがつくのではないかと怖かったから。

今も同じ担任の先生。
末っ子も一学期の5月も行き渋りがあって、
そのことを「休みグセがつかなくてよかったです。お母さんが上手く調節をしてくれているからです」と言われた。

休みグセってなんやねん。

休ませることが悪のように聞こえる。
不登校親をやってるとチクっとするところかもね。
それでも見方を変えると
それだけよく子どものことを一生懸命になってくれていることかも。

夕方の先生からの電話でも
息子が兄と喧嘩することを担任の先生に打ち明けているらしい。そうやって思いを発してくれるような間柄になれたことが嬉しいと言ってくれた。

よく見てもらえてるなーと感謝に変わった。

どうしても、身体的症状がないとき
休ませることに罪悪感を感じてしまう。

それでも無理やりに連れて行くことは
4年間の経験の中で私は良くないことだと学んだ。
子どもが嫌がるならばその要因に心を傾けないといけないこと、実際のやり方を模索しつづけてきた。

親としては子どもの絶対的味方になりたい。
客観的に長い目でみても
周りの目よりも味方のほうが
何倍も何十倍も大切であって。

それは過去の私にはできなかったことだから
今、修行させてもらってるなーと思う。

子育ては修行だな。
自分の気持ちに折り合いつけて、
もっと視野を広く、客観的に物事捉えて
子どものことを尊重していく。

こどものやる気になるまで待つ。
これも忍耐。

奥深いなーー。

今日も母業お疲れ様。わたし。


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