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見ている時間も、この子のサッカー

子育てはいつも手探りで
試行錯誤しながら
親子一緒にまえに進んでいく

ときどき、無意識的にも
子育てには、正解があると思ってしまう

きっとこれまで受けてきた教育のなかで
そう教えられてきたからかもしれません。

「こうすれば、こう育つ」
そんな道筋を、どこかで探してしまう

けれど、子育てに決まった答えはなく
だからこそ、親はそういう状況に不安になる

その不安を消すのではなく、
不安を抱えながら、不安と共に生きながら——
今どうするか、何を選ぶかを、
子どもと一緒になって考えていく

サッカーという、ひとつの習い事の中にも
親子それぞれの物語がある



習い事は、子どもの意志を大事にしている
本人のやりたい・やるという気持ち
また、やらないという気持ちも

本人の決断に委ねる
はじめるときも、やめるときにも。


「サッカーやりたい」と言ってきたのは、
たしか2年生の頃だったと思う。

体験で行ったサッカースクールには、
3回ほど通わせてもらった。

けれど、息子は言った。
「ぼくがやりたいサッカーじゃない」
「放課後に、みんなでやるサッカーがいい」

その言葉のまま、
スクールには通わない選択をした。


——それから時が過ぎて——


2ヶ月くらいまえ
「サッカーやりたい」と言ってきた
今度は別のスクールに申し込んだ。

あの頃とは違い、
すぐに仲間の輪に入っていった。
必死に練習についていこうとする姿もあった。

けれど途中で、泣いた。
後半は、見学することにした。

思い返せば2年生の頃も同じだった。
コーチが「一緒にやろう」と声をかけても、
1対1でのボールを蹴る練習をする程度で
みんなとの練習や試合は出ようとはしなかった。


この子は、見て学ぶ子だった
1歳の頃から、そういう姿があった。

公園の遊具で遊んでいるとき
ふと、立ち止まって
お兄さん、お姉さんの会話
遊ぶ姿や動きをじーっとみている

最初は何をしているんだろう?
と思っていたら、
「あぁ、この子達の会話聞いてるんだ」
と気づいた

周りを見る。
全体を見る。
誰がいて、何をしていて、どんな空気なのか。
言葉を、じっと聞いている。


どうやら——
息子のやりたいサッカーと
何かが合っていないのか。

息子自身も、
うまく言葉にできないでいる。

・何にひっかかりがあるのか
・自分はどうしたいのか
・どんなサッカーがしたいのか

うまく言葉で説明できない。

私もまた、
息子との対話の中でそれを掴みきれずにいる。

ただ、ひとつだけはっきりしていることは、

「でも、サッカーやりたい!」
この気持ちだけは、変わらない。

個別に関わってくれる先生がいいのかもしれない
サッカーを教えてくれるお兄さんのような存在か
学校終わり、公園で一緒にボールを蹴ってくれる誰か
自由にやる、原っぱサッカーみたいなものか

もしかすると、求めているのは
「うまくなること」ではなくて、
ただ「楽しくサッカーをすること」なのかもしれない。


今は、
いろんなスクールに行ってみようと思う
いろんなコーチに会ってみようと思う

体験しているうちに、何かが分かってくる
きっと、見えてくることがあるかもしれない
と思っている

この子の「やりたい」を、一緒に探しにいく。

やる・やらない
息子の選択、息子の人生
自分にあうサッカーがみつかるといい
自分の思うようなサッカーがなければ
大人になったらつくったらいい
たとえ合う場所が見つからなくても 
きっと後悔はない

◎つぶやき◎

4年生からサッカーを始めると、他の子との明らかにレベルの差や技術の差を感じた。当然のことといえば、そうだと思う。じゃあ、早くに始めていたらよかったのか?といえば、それも違う。本人が「やる」と言ってきたタイミングが「吉日」なんだと私は思う。早い・遅いはなくて、すべては、今、ここから。ここからどうするか、自分のレベルを知って、やるのか・やらないのか、自分で選択する。体験では、基本の動き、基本の動作の繰り返し。最後に小さな試合をしていた。私が見ていても、なるほど、そうやって練習するのかと、勉強になった。翌日から、息子と公園での自主練スタート。

2年前に体験したサッカークラブは、どこか昭和の空気が入り混じるような場所だった。最後の挨拶は、全員が揃うまで何度もやり直し。飲み物も「決められた時間以外は飲んではいけない」とされていて、「今のうちに飲んでおかないと後で飲めないよ」と、強く促されていた。声が小さい。お辞儀が揃っていない。そんな理由で、何度も何度もやり直される挨拶。美しく揃うことが、美徳とされている日本の特有の考え。けれど——「我々はもう、それを手放してもいいのではないか」と、子育てや子どもの研究に携わる方のWEB記事を思い出した。そこには、海外の方が(確かヨーロッパか北欧からの教育者の方が何人か視察にこられていた)日本の小学校に通う子どもたちの様子をみて、きちんとした整列させる姿に「なぜそんなことをさせるのですか?」と、最後まで疑問を持たれていたそうで、そんなことが書いてあった。繰り返しお辞儀をさせられている子どもたちの姿を見ていたとき、胸の奥に、言葉にしづらい感情が残った。

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