67歳、「最後の自分」を考える。
初めて私の記事を読んでくださる方。
そして、いつも私の記事を読みに来てくださる方。
たくさんの記事がある中で、
ここを開いてくださって、
本当にありがとうございます。
コメントやスキをいただいたり、
皆さんの記事を読ませてもらったり。
noteを始めた頃には
想像していなかったような、
たくさんのご縁ができました。
顔も知らない。
会ったこともない。
それでも、
文章を通して誰かとつながっている。
最近、そのありがたさを感じることが増えました。
今日は、普段の記事とは少し違う話を書いてみようと思います。
少し重く感じる方も
いるかもしれません。
お墓と葬式、そして自分が亡くなったあとのことです。
私も、そんなことを考える歳になった
もうすぐ68歳になります。
最近、自分でも思う。
「私も、こんなことを考える
歳になったんだなぁ」
お墓のこと。
葬式のこと。
そして、
自分が亡くなったあとのこと。
若い頃は、
ほとんど考えたことがなかった。
自分が死ぬなんて、
ずっと先の話だと思っていたから
でも、この歳になると違う。
自分より若くして亡くなった人の話を聞いたり、
身近な人との別れを経験したりすると、
「自分にも、
いつか必ずその時が訪れる」
そんな当たり前のことを、
現実として考えるようになりました。
昔は、おじいさん、おばあちゃんのお墓へ、
毎年のように親と行っていた。
遠くても、お墓参りをすることに
特別な疑問を持ったことはなかった。
先祖のお墓があって、
跡を継いだ兄弟が守って、
その次の世代が引き継いでいく。
それが当たり前だと思っていた。
ところが、親が亡くなったあとの相続をめぐって、
家族の間でいろいろなことがありました。
財産のこと。
お墓のこと。
残された家や、
これからの負担のこと。
自分の中で、
どうしても納得できない思いが
残りました。
それまで
当たり前のように思っていた、
「先祖のお墓を守っていく」
という気持ちも、
その出来事を境に少しずつ
変わっていきました。
最近では、お墓へ行くことも
ほとんどなくなった。
お墓を見ると、
先祖を思う気持ちよりも、
あの時のつらかった気持ちが
先に出てしまう。
昔ほど、亡くなった人のことを思う
時間も多くない。
そんな自分を、
「冷たい人間になったのかな」
と思ったこともあります。
でも今は、
無理に昔の自分に戻らなくてもいいのかなと思っています。
今の私は、
亡くなった人を思い続けることより、
今、生きて自分の周りにいる人たちを大切にしたい。
そんな気持ちのほうが
強くなっている。
家族。
友人。
仕事で出会う人。
そして、noteで出会った人たち。
今、言葉を交わせる人との時間を
大切にしたい。
それも一つの生き方なのかなと
思っている。
何代もの先祖を守り続けること
もちろん、何代にもわたって
先祖のお墓を大切に守っている方を
見ると、
素直に「すごいな」と思う。
それを否定する気持ちは、
まったくない。
むしろ尊敬する。
ただ、現実的なことも考えてしまう。
お墓を守るには、お金もかかる。
掃除や管理もしなければならない。
遠くに住んでいれば、
お墓参りへ行くこと自体が
負担になる。
生活に余裕があれば、
続けられることもあるだろう。
でも、自分たちの生活だけでも
精いっぱいなのに、
「先祖代々そうしてきたから」
という理由だけで、
その負担を子ども、
そのまた子どもへ残していく。
それが本当に正しいのだろうか。
最近、そんなことを考える。
私は、永代供養でいいと思っている
私は今、
親のお墓については、
いずれ永代供養にしたいと
考えている。
そして、自分の葬式も質素でいい。
たくさんの人を呼んでほしいとも
思わない。
立派な祭壇もいらない。
有名になって、
大勢の人に見送られたいとも
思わない。
家族が、
「お父さんらしい葬式だったな」
そう思ってくれれば、それで十分だ。
それよりも、
自分が亡くなったあとに、
お墓や葬式のことで子どもたちを
困らせたくない。
できるだけ負担を残したくない。
今は、そう思っている。
家族を持った時から、いつか通る道
「死ぬ時のことなんて、縁起でもない」
昔なら、そう言われたかもしれない。
私自身も、若い頃なら
考えようともしなかったと思う。
でも最近は、少し違う考えになった。
家族を持った時点で、
いつか誰かを見送り、
いつか自分も見送られる。
これは、避けて通れない。
だったら元気なうちに、
自分はどうしてほしいのか。
お墓をどうするのか。
葬式をどうするのか。
残された家族に何を託すのか。
ある程度は、はっきりさせておく必要があるんじゃないだろうか。
それは、
「死ぬ準備」ではなく、
「残される家族への準備」
なのかもしれない。
終活は、いつから始めるのだろう
少し前迄は、
「終活」という言葉をよく耳にした。
その時の私は、
もっと歳をとってから考えるものだと思っていた。
仕事を辞めて、
身体が思うように動かなくなって、
それから身の回りを整理すればいい。
どこかで、そんなふうに考えていた。
でも最近は、
働けなくなってから
終活を始めるのでは、少し遅いんじゃないか。
そう思うようになった。
まだ働ける。
自分で動ける。
自分で考えて、自分で決められる。
家族とも普通に話ができる。
だからこそ、
今のうちにできることがある。
お墓や葬式だけではない。
家のこと。
お金のこと。
大切な物のこと。
そして、自分がどうしてほしいのか。
すべてを一度に決める必要はないと
思う。
でも、
少しずつ整理して、
少しずつ家族に伝えておく。
それも、残される家族への思いやり
なのかもしれない。
若い頃は、
どう生きるかばかり考えていた。
もうすぐ68歳になる今、
どう生きるかと同時に、
どう終わるか。
そんなことを真剣に考えるように
なった。
自分より早く亡くなった人を身近に
見るたび、
「まだ先の話」とは
思えなくなってきた。
少し寂しい気持ちもある。
でも、不思議と怖いだけではない。
自分の最後について考えることは、
残された時間を、どう生きたいのかを考えることでもある。
私はこれからも、
亡くなったあとの立派なお墓より、
今、生きている家族との時間を
大切にしたい。
会える人には会う。
話せる人とは話す。
ありがとうと言える時に、
ありがとうと言う。
そんなことのほうが、
今の私には大切に思える。
そして、もう一つ。
自分が経験したような、
お墓や財産をめぐるつらい思いを、
できることなら、
子どもたちには残したくない。
だからこそ、
自分が元気なうちに、
できることを整理しておきたい。
若い頃には考えもしなかった、
自分の葬式のこと。
お墓のこと。
そして、
自分がいなくなったあとの
家族のこと。
私も、そんなことを考える歳に
なったんだなぁと思う。
そして最近では、
終活は、働けなくなってから始めるのでは遅いのかもしれない。
元気で、自分の意思で決められる
今だからこそ、
少しずつ考えていこうと
思っています。
少し重い話になってしまったかもしれません。
でも今日は、
もうすぐ68歳になる今の、
私の正直な気持ちを綴ってみました。
最後まで読んでくださって、
ありがとうございました。
