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「縄文文化」という人類の劇的な進化

縄文文化の誕生

こんにちは、今回は「私が妄想した日本古代史 」の中で、「縄文文化の誕生」に関して、理系的な視点からの考察を記します。

先の記事では、以下のように記しました。

約1万6千年前に、彼らは土器を作りだし、縄文時代が始まりました。地球の気候変動で急に温暖化したため、マンモスなどの大型獣が日本列島から居なくなり、代わりに森林が生い茂り、栗などの木の実が食料になったためです。
彼らは山と海の中間に定住し、土器に水を張って木の実や魚や貝などを入れ、煮炊きして食べる、文化的な生活を始めました。世界の中で、日本だけがこのような定住生活をおくれる環境にあったため、これは突出した世界最古の文化です。

https://note.com/rihaku_mousou/n/n93874dbdec70

学校で教わる歴史では、古代の日本は後進国で中国や朝鮮から文明を学んだように教えられるため、日本の縄文時代と言っても土器の形状が独特なだけの原始時代であるかのような印象を持っている人が多いのではないかと思います。しかし、調べてみると、それは事実とは全く異なり、日本の縄文文化は人類史における劇的な進化なのだということがわかります。今回はそのあたりを記します。

ミランコヴィッチ周期による急激な温暖化

地球は約1億年の周期で寒冷な氷期(氷河期)と灼熱の間氷期を繰り返しており、現在は新生代氷河時代という氷期の真っ最中なのですが、直近の100万年は地球の自転公転運動の揺らぎに起因したミランコヴィッチ周期という現象により、氷期の中でも約10万年の短周期で寒冷化と温暖化を繰り返しています。その中で、縄文時代の直前は寒冷化した亜氷期、縄文時代から現代は氷期の中でやや温暖化している亜間氷期にあります。(地球の自転公転運動から、今後は寒冷化して亜氷期に向かうはずなのですが、現在は地球温暖化を予測した学説が主流なのは謎です)

Global Warming Art project. の図に加筆

上図の左端を見ると、約2万年前から+6度程度の急激な温暖化が起きていることがわかります。日本列島では、この温暖化により重大な環境変化が起きました。まず、温暖化により北極や南極の氷が解け、海面が約120メートルも上昇しました(これを「縄文海進」と呼びます)。これにより、それまでは大陸と陸続きだった九州の対馬海峡や樺太の間宮海峡が海に沈み、日本列島はアジア大陸から離れた孤島になってしまいました。加えて、激しい温暖化により生態系が大きく変化し、日本列島では孤島化で逃げ道を失ったマンモスなどの大型獣が絶滅してしまいました。日本列島へ辿り着いたホモ・サピエンスにとっても、彼らが食料としていた大型獣が絶滅した上で、彼らも孤島化で逃げ道を失っていましたので、これは絶滅の危機だったに違いありません。

縄文海進による海面の上昇
This figure was prepared by Robert A. Rohde from published data, and is incorporated into the Global Warming Art project.

「縄文文化」という人類の劇的な進化

この急激な温暖化による絶滅の危機を、彼らは発達した脳を駆使して克服しました。石器時代の人類の知能レベルを、猿から少し進化した程度だと誤解している人が大半ではないかと思いますが、ホモ・サピエンスになった時点で脳の容量は現代の我々と変わらず、彼らも現代の我々と同等の知能レベルだったんです。まず、孤島になった日本列島に対し、偶然にも日本の海は海産物が豊かだったので、彼らは貝や魚を採って食料とする術を編み出し、大型獣の絶滅によるタンパク源の不足を補いました。動物の骨を加工した釣針が出土していますので、現代人と同様の釣りを行う方法を編み出していたのです。ただ、海岸で採れる貝や魚には季節があり、長期保存もできませんので、年間を通して安定な主食にはなりません。

次に、温暖化により偶然にも温帯地域となった日本列島では、針葉樹が激減し、広葉樹が増加していました。広葉樹の中には栗やクルミなどの堅果類が多く、秋には大量の実を付けていました。乾燥させると長期保存もできます。しかし、堅果類は硬く、渋みがあるため、そのままでは食べられません。そこで彼らは、何とかこれを食料にできないかと、知恵を絞ったのです。そこで編み出したのが、土器による煮炊きです。彼らは、火の傍にある土が石のように固くなることを知って、粘土で任意の形を作って火にかけて道具を作る術を編み出していました。そこで、粘土で壺型の器を作って土器を作り、その中に栗やクルミなどの実を砕いて入れ、水を加えて火にかけて煮沸させる、煮炊きという画期的な料理法を編み出しました。煮炊きを行うと、栗やクルミなどの硬い実は柔らかくて消化吸収できる食べ物になり、渋みも抜けて甘くて美味しい食事になります。堅果類の実だけでなく、ワラビや山芋などの茎や根も、煮炊きに加える具材になりました。これらは長期保存ができ、カロリーも高いので、年間を通して安定な主食になりました。

年間を通して食料が安定したことにより、彼らはマンモスやシカやイノシシなどを追いかけて野山を移住する必要がなくなり、家を建てて定住する生活を始めました。食料と住環境が安定すると、時間に大きなゆとりが生まれます。彼らは石を磨いて刃物に加工する磨製石器を編み出しました。彼らは麻などの植物や木の薄皮で布を作り、鹿の骨で縫い針を作り、衣類に縫い合わせました。さらに石や土玉や骨などでアクセサリーを作り、着飾ります。植物や鉱物で染料を作り、衣類を綺麗に染め上げる装飾も行っていたでしょう。土器にも縄目の紋様を付け、火焔や蛇に似た装飾を施す縄文土器を編み出しました。定住することで、集落の周囲に木や植物を植え、栽培して収穫を得る農業も始めました。現在の田舎の農家ともさほど変わらない生活を、既に始めていたんです。

挿絵は  https://rekisiru.com/11124 より引用

世界との比較

この日本列島における縄文文化の誕生を、世界の歴史と比較してみます。世界史では、石を叩き割って刃物に加工する打製石器の時代を旧石器時代と呼び、石を磨いて刃物に加工する磨製石器の時代を新石器時代と呼んでいます。世界史では約1万年前から新石器時代が始まったとしていますが、日本列島では約4万~3万年前から打製石器の刃先を磨いて鋭利にする局部磨製石器が使われ、約1万6500年前からの縄文時代には磨製石器が使われています。世界の人類がまだ必死で大型獣を追いかけて狩猟を行う旧石器時代の原始生活を送っていた頃、日本列島では温暖化により偶然にも安定した食料を確保できる自然条件が整い、日本人の祖先は貝や魚や堅果類を採り、土器を作って煮炊きする食生活を編み出し、さらに定住して時間に大きなゆとりを生み出し、着飾ったり歌ったり踊ったりする文化を楽しんでいました。
世界四大文明などと言っても、新石器時代の中盤以降なのでBC5000年前後からのことです。日本列島という孤島に隔離された日本人の祖先は、それよりも約1万年前に独自の劇的な進化を遂げて、縄文文化という豊かで文化的な生活を送っていたんです。これは人類として劇的な進化で、突出した世界最古の文化です。

次回は、この縄文文化を築いた日本人の祖先たちが、どのようなことを考えて暮らしていたのかを、理系的な視点も加えて考察してみたいと思います。

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