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映画「シンシン アンド ザ マウス」をずっと薄っすら泣きながら観ていた

岸井ゆきの・曾敬驊(ツェン・ジンホア)が主演を務めた、映画「シンシン アンド ザ マウス」。吉本ばななの短編集「ミトンとふびん」に収録されている「SINSIN AND THE MOUSE」という作品を原作に作られた映画だ。

岸井ゆきのさん演じる「ちづみ」は、母を亡くした喪失感から立ち直れず、亡くなってから3か月が経っても、母と2人暮らしをしていた実家の一軒家で引きこもりのような生活を送っている。

元々はライブハウスで仕事をしていたちづみだが、病気の母のために会社を辞めて介護に専念することに。そもそも母親との仲は良く、“友達のような親子”という言葉が似合うような関係だった。

ただ。岸井さんのインタビューを読むと、ちづみは「私(岸井さん)が感じてきた母と娘の関係よりも、もっと絡み合っているような、いつも共にいるような関係」。つまりいくら親子とはいえ、アイデンティティまで交差することはないのが普通だろうが、ちづみにとって母親の存在は、もはや「ちづみの一部」になってしまっていた。だからこそ、母親を失ってあまりに深い喪失感を負った。

そんなちづみに、かつて担当していたバンドのメンバーから「今度、台北でライブをやるから見に来てほしい」と誘われて、ちづみは台北へ行くことに。昼ごはんを食べる約束をしていた小籠包の店で、ちづみはシンシン(ツェン・ジンホア)と出会う。

映画の「音」と「声」

冷静に、この映画は観ながら泣くような映画ではないと思うのだが、私はなぜだか終始薄っすら泣きながら観ていた。決して号泣するわけではなく、目が湿度90%という感じで、表面張力でギリ耐えてるけど何かの拍子にあふれる、みたいな状態だった。

ちづみにかなり感情移入しながら観ていたのと、映画オリジナルの要素である「生きてる人は声から忘れちゃうんだけど、死んでいく人が最後に持っていけるのは声なんだよ」という話が悲しくて、切なくて、美しかったからだと思う。

この映画は、音や声に対する描写がとても印象的だった。本作の監督である真壁幸紀監督も、音に対して相当こだわっていたとのこと。本作の大部分を占める台北のシーンは、とにかく環境の音がよく聞こえる。個人的にはやっぱり台北のゴミ収集車の音楽が好き。

もう1つは人間の声の話。この「生きてる人は声から忘れちゃうんだけど、死んでいく人が最後に持っていけるのは声なんだよ」というセリフは、ちづみとシンシンが心を通わせる重要なピースになっていたと思う。自分自身もそう言われて、大好きだった人々の、もう聞くことはできない声に思いをはせた。

悲しいことに、確かに声に対する記憶は曖昧な気がする。「思い出す」という行動はある種の出力作業だと思うのだが、「誰かの声を自分で出力する」というのは限りなく不可能に近いのではないか。それこそモノマネでもしないと。

つまり、聞いて、入力することでしか思い出す(出力する)ことができないのが声なのだと思った。そんな“声”をめぐって、ちづみとシンシンが少しだけ傷つけあいながら距離を縮めていく過程に引き込まれた。

“旅先で惹かれあう系”

そして、何といっても本作の見どころは、短い時間の中で互いに惹かれあうちづみとシンシンの対話や2人の変化だ。私も大好きな“旅先で惹かれあう系”の王道といえば王道的なストーリー。

王道だから~どうこうと言いたいわけではなく、王道だからこそ2人が交わす会話に集中できてよかったのだ。ある意味、行きつく先は何となく想像できるから、過程の方にフォーカスしようという意識。2人の過程、2人の会話の中身が「シンシン アンド ザ マウス」の核心だ。

タイトルの「シンシン アンド ザ マウスってどういう意味?」と思う人も多いのではないだろうか(私も見るまで想像すらできなかった)。この「マウス」は動物のねずみのことだが、それを知ったところで「なぜ、ねずみ?」となると思う。

シンシンを演じたツェン・ジンホア(曾敬驊)はご存じの通り台湾の俳優だが、本作ではざっと99%が日本語のセリフとなっている。ツェン・ジンホアにとっては外国語である日本語での演技は相当大きなプレッシャーだっただろうが、劇中のシンシンの話す日本語は自然と傾聴してしまう魅力があった。そんなシンシンが語るねずみのエピソードは可愛くて、切なかった。

さあ、“旅先で惹かれあう系”の難しい点は、旅の終わりが2人の関係の終わりなのか?ということだ。これについては、ポスターのコピーになっている「台北で出逢ったのは、明日へと続く、さようなら。」がヒントかなと思う(※当方も明確な答えは知らない)。

ガチレスすると、ちづみは日本に住んでいるし、シンシンも日本と台湾を行ったり来たりだけど、渋谷に住んでいると言っていたから、会おうと思えば日本でも会えると思うが(笑)こんな妄想しても風情がないのでここまでにして。

原作小説

原作は、吉本ばななの短編集の1話なのですぐに読み終わる。私は映画を観た後に原作も初めて読んだが、映画は原作にかなり忠実に作られていることがわかる。そして、岸井ゆきのとツェン・ジンホアがとんでもなくハマリ役であった。もうこの2人以外は考えられないという感じ。

1つだけ違いを感じた部分を挙げるなら、原作小説はちづみの1人称で話が進むので、小説を読むとちづみの視点がもっとわかるかもしれない。

映画は第3者の視点で撮られる。ちづみの心情がセリフに落とし込まれていることもあったが、特にちづみがシンシンに初めて会った時の第一印象や、家族を失う喪失感の根源は何なのか、といった部分は小説を読んでより深く理解できた部分だ。

「シンシン アンド ザ マウス」は“喪失からの再生”を描いた作品だが、短い旅の中でちづみとシンシンはお互いに何を受け取り、何を自分に反映したのか。包容力や静かな肯定感が温かい映画だった。