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『 鴨川の約束 』〜 母と交わした三つのこと〜

大切な皆様へ

川のせせらぎと、母の声。
4歳の私は、その日、人生の大きな選択を迫られていました。
「これはあなたの人生。ママじゃなくて、あなたが決めてほしいの」…

京都・鴨川のほとりで、母が私に語った言葉は、40年近く経った今でも鮮やかに残っています。
バレエで鍛えた足の小指の異変、手術か、そのまま生きるか。
幼い私にとっては重すぎる問いでしたが、母は一人の人間として尊重し、真正面から向き合ってくれました。

これは、母と私が交わした「三つの約束」と、あの日の鴨川の記憶をたどる物語です。

牧野理香拝


『 鴨川の約束 』
〜 母と交わした三つのこと〜

あの小さな足に、白いトウシューズを履いたのは、まだ4歳の春だった。
2歳から始めたバレエは、私の呼吸そのものだった。
踊ることが、生きることだった。

けれど、ある日、小指のわずかな変形に気づいた母が病院に連れて行くと、
医師の口から淡々と放たれた言葉が、私たちの時間を止めた。
「こちらはもう……治らないでしょうね」

その診断は、母にとっても私にとっても、あまりに突然で、残酷だった。
母は伏見の職場を早退し、鴨川沿いを北へと歩きながら、私の小さな手をしっかり握りしめていた。
目指したのは、京都府立医科大学附属病院。
御所の東、鴨川の水が静かに光るその場所で、母は一度立ち止まり、
そして、私の目をまっすぐに見つめた。

「リカちゃん、ごめんなさいね。
ママがあなたを早くからバレエに通わせたから、小指が変形してしまったの。
手術をすれば治るけれど、腰の骨を移植することになる。
その傷を見て、将来、あなたを選ばない人が現れるかもしれない。
でも、これはママが決めることじゃない。
リカちゃん、自分の人生を、自分で決めてほしいの」

母はたった4歳の私を、ひとりの「人」として尊重してくれた。
その瞬間、私の心に灯がともった。
それは、悲しみではなかった。
初めて知った「尊厳」という名のぬくもりだった。

三条河原までの道すがら、私は母の手を握りしめながら心を決めた。
「手術はしない。わたし、このままの足で生きていく」

それ以来、私は靴を脱ぐ場面では、いつも白い靴下を履く。
「寒がりさんね」と笑われても、小指のことは口にしない。
でも、それでいいのだ。
あの日、母が涙をこらえて謝ってくれたことが、私の誇りになっているから。

そして、昨夜…
私は夢の中で、もう一度あの鴨川を歩いていた。
若くて元気な母が、いつものようにリュックを背負い、登山帽をかぶり、私の手を引いていた。
その途中で、母が足を止めて、私にやさしく語りかけた。

「リカちゃん、ママと三つだけ約束してほしいの」

一つ目は、
「あなたの誰からも愛される、やさしい心をずっと忘れないこと」

二つ目は、
「鴨川を一緒に歩いたこの日のことを、何があっても覚えていてね」

そして三つ目は、
「この若くて元気な、笑って歩いているママの姿を、どうか忘れないで」

その声に、私は涙を流しながら目を覚ました。
けれど、母の言葉は確かに胸の奥に残っていた。

母がくれたものは、バレエではない。
美しさや成功でもない。
母がくれたのは、「生きる覚悟」と「愛される勇気」だった。

謝ることを恐れなかった母の愛。
私に決めさせてくれた母の強さ。
すべてが、今の私を支えている。

あの日の鴨川と、母のまっすぐな瞳…
私はそれを、生涯、忘れない。

牧野理香拝

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