【短編小説】チラチラの視界 ―ジャスミンの香り―彼女視点
わたしには、好きな人がいる。
同じ職場で働いている先輩。
仕事に支障が出るから、この想いは決して表に出してはいけない__そう決めている。
彼はものすごく頭の回転がはやく、言葉や視線が矢のように飛んでくる。
その速さに、わたしは必死でついていく。
打ち合わせのたびに、胸の奥がひりひりと焼け、体の奥で何かが伸びていく感覚がある。
鍛えられる、試される、そしてどこか快い。
彼はよく周りをチラチラと見ている。
たぶん癖なのだろう。そういう人っている。
その視界に、自分が映っていないか、こっそり胸が波打つ。
仕事の相談のあと、廊下の角で立ち話をすることがある。
資料を覗き込むふりをしながら、距離をほんの少し縮める。
彼の吐息が、髪にふれるかふれないかの位置で揺れるたび、心臓が静かに跳ねる。
夜、自分の部屋に戻ると、その仕草を反芻し、指先で唇をなぞる。
(貴方に、こんなにも惹かれている女がいます。気づいていますか?)
その秘密を抱いたまま、明日もまた、彼の視線を追いかける。
チラチラと揺れるその視界に、わたしが映る日が来るだろうか。
──ある夜、帰り道のビルの谷間に、甘く濃い香りが漂っていた。
ジャスミンの香り。熱を帯びた夜風に溶け、肌にまとわりつくように濃い。
わたしは足を止める。
街灯の陰に、ひとりの女性が立っていた。
銀色の髪を三つ編みにして、月の光に金の瞳がかすかに輝く。
浅黒い肌に白と金の布をまとい、腰や腕には小さな花飾り。砂漠の夜から抜け出したような精霊。
彼女は微笑み、指先にジャスミンの花を一輪乗せてわたしに差し出した。
「この香り、あなたの胸の奥に届くかしら」
囁く声は、夢と現実の境をくすぐるように甘く低い。
わたしは息をのむ。指先がかすかに震えながら、その花を受け取った。
花びらの匂いが指先から胸元へ、胸元から頭の奥へと広がっていく。
翌日の昼。
彼が書類を差し出しながら、ふっと目を細めて言った。
「昨日、あの道を歩いてただろ。ジャスミンの香りがしてた」
胸の奥で、何かが確かに跳ねた。
彼の視線がいつもより長く、じっと、熱を帯びてわたしを見つめている。
その熱が、長く閉じていた芽をゆっくりほぐすように、胸に残った。

