🌸第21話「朔夜」
――耳元で、かすかな声がした。
「俺の真名は……朔夜」
その瞬間、世界が光に包まれた。
黒と白の花弁が夜空に溶け、ひとつの光となって渦を巻く。
紗良を抱きしめていた黒百合の温もりが、ふっと消えた。
「黒百合……! ううん、朔夜!!」
名を呼ぶ声は、風にかき消された。
光は彼女の涙を反射して、ゆっくりと沈んでいく。
祈るしかなかった。
ただ、もう一度――彼に触れたいと。
かすみ草のピアスが揺れ、空気が震える。
鈴の音のような微かな響きが、胸の奥まで届く。
そして。
光が消えたあと、そこに立っていたのは――前と変わらない姿の黒百合。
「……朔夜……」
紗良が手を伸ばすと、朔夜は柔らかく微笑み、彼女を抱きしめた。
「これからは人として、お前と共に歩く」
涙が頬を伝う。
彼の温もりは、人の体温――それが信じられないほど優しかった。
「……わたしも、朔夜を支える」
ふたりの魂は、寄り添うように溶け合った。
百合の香りが夜に満ちて、世界が静かに息を吹き返していく。
――
「……兄さん……」
白百合が進み出て、微笑む。
「力が、消えてしまったね」
泣き笑いのような表情で、兄を見つめる。
「精霊の力は感じなくなったけど、人間の感情が溢れてる」
朔夜は苦笑しながら、弟に視線を返した。
「いいよ。兄さんが幸せなら、それが僕の幸せだ」
真一郎は、ただその光景を見つめていた。
かすみ草の精――紗羽の微笑みが、静かに胸の奥に浮かぶ。
「……あなた、心の扉を開いて」
ふっと、花の香りがした。
「紗羽……!」
微かな香りはすぐに消えた。
けれど、真一郎の頬には静かな涙が伝っていた。
――黒と白の百合が咲いた夜、世界は少しだけ優しくなった。
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