【短編小説】 赤信号のニンフ
路地裏に、
ひっそりとぶどうの木が生えている。
芳醇な香りを撒き散らし、
夜の闇に堂々と佇んでいた。
房をもごうと手を伸ばす。
するする……。
蔓が伸びて、わたしの右手に絡まった。
「やぁ、こんばんは。お嬢ちゃん」
少年のような男が、盃を掲げている。
「僕は酒の神。
ぶどう酒を飲んで、一緒に騒ごうよ」
甘い香りに頭が昂る。
誘われるまま、盃に唇をつけた。
◆
ぶどう味が全身を駆け回る。
視界の中で、路地裏の信号機が目まぐるしく色を変えた。
赤。黄。青。
青に変わった瞬間、
蔓が身体中を締め上げる。
あぁ、思い出した。
わたしはかつて、ぶどうの精だった。
酒神に愛され、永い時を共にしたニンフ。
「ディオニュソス様」
ぱしゃん、と足元で完熟した実が弾ける。
「やっと思い出したね」
彼がわたしの手を取った。
背後で信号が赤に変わる。
その合図はもう、わたしには届かない。
了

