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【短編小説】 イルカのヘルツ

波の音なんて、耳障りなだけ。

ザザン、ザザン……。
バカみたいに四六時中、年がら年中、
絶え間なく響いてるじゃない?

波の上を飛ぶカモメの声が、
聞こえなくなるじゃない。

あの子とあたしは、
姉妹みたいに育ったの。

あの子は7月、夏の生まれ。
あたしは8月、少し後に生まれた。

だからって訳じゃないけれど、
あの子はいつも姉みたいだった。

おっとり、流される浮き輪みたい。
そして世渡りが壊滅的に下手。

でも時おりお姉さんぶって、
お説教したりするのよ。
あの子の方が余程、危なっかしいのにね。

水産加工場で、毎日魚を捌いていると、
自分が魚になったんじゃないかと思うくらいよ。

染み付いた臭いを感じるには、
もう鼻が慣れちゃった。

けれど、お風呂上がりの石鹸の香りを嗅ぐと
自分がどれだけ魚になっていたか気付く。

「イルカ、海行こう」
「待って、今ボディスーツ着てるとこ」

あたしのあだ名はイルカ。
あの子はカモメ。

湿気しけた本名で、呼ばれたくないもの。

朝の海は、トビウオの背が輝いてるみたい。
サーフボードを浮かべて、海へ飛び出す。

照りつける太陽は、スーツから内側には
入って来れない。

あたしはカモメの濡れた頬と、
身体にピタッと密着したスーツと、
すこしばかりの胸の突起を見た。

触れられないものほど、
神々しく見えるのはなぜだろう。

彼女の背を追いかけ、波に乗る。
妹が、姉の後を追いかけるみたいに。

「ねぇ、イルカ。
人魚の肉を食べたら不老不死になるのかな」
砂浜に座ってカモメが言った。

「えぇ、聞いたことあるわよ。
でも、おとぎ話ね。人魚なんていないもの」

波飛沫があたし達に降り注ぐ。

あたしは人魚に思いを馳せたけれど、
空想の人魚の顔は、なぜかカモメの顔だった。

カモメは続ける。

「わたし、人魚の肉食べてみたいなぁ。
別に不老不死になりたい訳じゃないけど、
どんな味かなって」

呟くカモメは、今にも
空に飛んでいってしまいそうだった。

「それなら、あたしは食べられてみたいかな」

遠くで聞こえない音が響いた。

仕事で疲れた身体を引き摺って、
ふたりのアパートまで帰ってくると、声がした。

「いつになったら、金返してくれるんだ?」

スドウだった。ケチなヤクザ。
電子タバコの煙をふーっと吐き出す。

臭い。魚よりももっと。

やけに陽気なアロハシャツと、
膝丈のハーフパンツ。色のついたサングラス。

オールバックは時代から浮いているけれど、
彼の世界では最先端なのかもしれない。

「すみません、次の給料日まで待ってください」

カモメは俯き、震える声で言った。
まるで本当に、
カモメになってしまったかのような声。

「店紹介するから、いい加減あっちで働けよ?
まだその歳なら、バリバリ稼げる」

スドウのいい男崩れの顔は、腐ったマグロだ。
切り刻んで、海に沈めてやりたいわ。

「ねぇ、イルカ。
わたし、一生のうちたった一瞬でも、
タトゥーみたいに擦っても擦っても消えない
うつくしい記憶があるといいなって思う」

カモメは風呂上がりの濡れた髪を解きながら、
あたしを見つめた。

「人魚の肉、食べてみたい」

あたしは頷いた。
窓の外からは、波の音が押し寄せてくる。

あたしとカモメの吐息を飲み込んで。

砂が乱れて散らばるように、
シーツの模様も変わっていく。

遠くで鳴き声が聞こえる。
キィキィ、キィキィ。

翌朝、カモメはいなかった。
小さな書き置きには、

『イルカのヘルツ、ありがとう』

あたしは波打ち際に立つ。

カモメの声が遠くなりそうで、
波の音なんて、消えて欲しかった。




◆シロクマ文芸部
◆お題:波の音



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