失敗しないは何もしないのと何が違うのかと
今日の昼はかなり温かくなりました。ジャケットがないとちょっと肌寒い、でも絶対無理とまではいかないといった感じなのですが、伝わるでしょうか。
さて、……。
勝手に私淑しているクロサキナオさんがXで以下をポストされた。これについて、考えてみたい。
noteが伸びない人って、スルーされることを過剰に怖がるんです。
— ナオnote (@na0_note) March 9, 2025
「こんな記事を書いて大丈夫かな…」「反応がなかったら恥ずかしいな…」こうやって、自信を持てずスルーされることに目がいって書いても投稿出来なかったりするんですね。
でも実際、読者はそこまで気にしていません。…
何かを「しない」理由はたくさんあって、それこそ無限と言ってもよい。このように、大丈夫かなと不安になる気持ち、恥ずかしいなと思う気持ちも「だからやめておこう」という結論を強く引き出す要因になる。
もしそう感じてnoteをやめたとして、何とも思わないならやめるのも選択肢としてアリだと思う。でもそれは納得した上での結論だろうか。
私は今のところ無料記事がほとんど。数少ない有料記事は、自身の思想信条に関わるものに限っている。それは収益を得るためではなく、たまにいる感性が独特な人を避けるのが目的。
私の記事投稿目的は、人の役に立ちたいがメイン。そして、何か疑問を感じたことに対して、自分なりに考えて納得したいのがサブ。
だから、スルーされても今の読者には不要な内容だったかな、あまり興味を引くテーマではなかったのかなとは思うけれど、恥ずかしいとは思わない。少なくとも、私自身が知りたいことだったし、いずれ多くの人が知りたくなると確信していること、また自分が考えたこともその先については読者に託したい気持ちが強いことが、その背景にある。
完璧なものなんて最初から考えていない。むしろ、完璧をいつか自分が成し遂げられるという発想は傲慢だとすら思っている。
初老のおじさんなので恥の意識が薄い、或いは不安を感じる感性が鈍麻していると言われたら、そうなのかも知れないと素直に肯定する。それも含めて私の個性なのだと申し上げるしかない。
ロマン派後期の大作曲家・ブルックナーは、長大な交響曲をたくさん作ったけれど、その後何回か手を入れて改稿しているものがある。だから、最初のものは「原典版」とわざわざ表記される。
大作曲家でもそうなのだから、最初から完璧なものなどできないくらいの気持ちでいればよいと達観している。
最後は「やらない自分」が好きなのか、「失敗しても前に進む自分」が好きなのかだと思う。これは個人の生き方なので、各人で選んで頂くしかあるまいと思っている。
お読み頂き、ありがとうございました。
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