自分を大事にすることは、少し寂しい。
この友人には、昔、すごく助けてもらったことがある。
親の介護をしながら、更に家族内で揉め事がヒートアップしていた頃。私は未だかつてないほど追い詰められていた。
そんな時に、たまたま久しぶりに連絡をくれた。熱心に話を聞いてくれて、たくさん助けてもらった。
だから私は、ずっと彼女を大事にしようと思っていた。あの時のことは、今でも本当にありがたかったと思っている。
だからこそ今、彼女と距離を取ろうとしている自分が、少し寂しい。
呼吸がずれだした頃
卵巣がんの手術が決まってから、彼女との会話で心に詰まりを感じることが増えた。
人工肛門になるかもしれないこと。子宮を摘出すること。大きな傷跡が残ること。強制的に更年期を迎えるかもしれないこと。
私が不安に思っていることを話した時、「慣れる」「遅かれ早かれ」といった言葉で返ってくることがあった。先進医療や、病院を変えることを勧められたこともある。
ひとつひとつの言葉だけならば、「彼女なりに私のためを思ってくれているんだろう」と流していた。
悪意があるわけじゃない。それは今でもそう思っている。むしろ本人としては、私を励ましたり、背中を押したりするつもりだったんだと思う。
それに、今の彼女自身にもかなり余裕がないことを、私は知っている。彼女を責めたいわけではない。事情も知っているのだ。
彼女の愚痴を聞くこともあったし、そのたびに私なりに言葉を返してきた。それがいつの間にか、何を言っても取り付く島がないように感じることが増えていった。
気づけば、私の中にある「かける言葉」の引き出しが、空になっていた。
ただ、相手に悪意がないことと、こちらが傷つかないことは、別の話だった。

昔の私だったら
術後、彼女とのLINE。
ただでさえ身体がしんどい時期で、私はもう、その時の会話を続けること自体がつらかった。
だから内容には触れず、「術後で体調が悪い。お互い大事にしようね」そんな感じの短い文章だけを送った。
すると、「そんなに体調悪いんだ。気にしないでゆっくり休んでね」いつものテンションで、普通の返信が返ってきた。
布団の中でそれを見た。
胸が苦しくなった。
私と彼女の間の距離感が変わったこと。彼女の悪気のない言葉たちが、こっそり私の心をえぐっていたこと。
たぶん私たちは、その感覚を共有していない。それがまた、なんとも言えなかった。
昔の私だったら、
「でも、あの時助けてもらったし」
「恩があるから」
「ずっと大事にしようと思っていた友人だから」
そう考えて、たぶん我慢し続けていたと思う。
でも、昔とは、違うのだ。
この我慢を続けることは、今の私にはつらすぎる。
そう判断して、少し離れようとしている。
感謝の気持ちまで、なくなるわけじゃない
距離を置こうとしたからといって、昔のことまで変わるわけじゃない。
あの時、助けてもらったことへの感謝は、一生忘れないと思う。それほど、あの頃の私には救いだった。
あの時のことが本当にありがたかったことと、今の彼女と関わることが自分にとってつらいことは、矛盾しない。
恩があることを、これからも我慢し続けることと引き換えにしてはいけない。
自分を大事にする選択って、もっと晴れ晴れするものなのかと思っていた。でも実際には、ずっと大事にしようと思っていた人から、自分の意思で距離を置くことでもあった。
寂しいような。
成長したような。
孤独なような。
不思議な感じ。
自分を守れるようになったことが、少し寂しい。

人間て、個体
人間というものは、群れることは可能でも、根本的には個体なんだと思い知る場面が、年々増えてきた。
誰かに助けられることもある。誰かを大事にすることもできる。支え合うこともできる。
でも、どれだけ近い相手でも、自分の痛みや感覚を完全に共有することはできない。
今回の彼女だって、昔の私の苦しさにはものすごく寄り添ってくれた。
けれど今回は、ずいぶん違ってしまった。
同じ人なのに。
そして私自身も、「この人には恩がある」と思う自分と、「今は少し離れた方がいい」と判断する自分がいる。
結局、自分の人生を守る判断は、自分でしかできない。個体だから孤独であり、同時に、離れることも選べる。
そして時々、別々の個体であるはずの誰かと、びっくりするくらい分かり合える瞬間もある。
だから、人間関係なんてどうでもいい、とも思えない。
そう考えると、昔の私を助けてくれた彼女に、今度は私の成長を「また」助けてもらったのかもしれない。
願わくば、そう遠くない先で、また彼女と、いい時間を共有できますように。
そう、強く、強く、心から願う。
彼女はいつまでも、私の大事な友人だ。

