ここでもし一番になれたら、何だってやれる!
私の生まれた家は貧乏でした。
じいちゃんが会社を経営しててその頃は裕福だったみたいだけど、
父に代替わりしてから、一気に貧乏になった。父には商才がなかったんだと思う。
母はいいところのお嬢さんで、両親の反対を押し切って父のところに嫁いできた。
なので、私の親戚の子たちはみんな、大学とか行かせてもらって裕福だったんだけど、
父と母の子供である自分は、他の親戚のようにはしてもらえないんだなということが、
年齢を重ねるごとに、薄々わかっていた。
私が中学生の頃から、進路を決めるとき、高卒で就職できる就職に強い高校に
というのが両親の強い希望だった。
私は、大学に憧れがあったので、進学校の◯◯高校に行きたいなーとか言ってたら、
「お金がね…」という一言で片付けられてしまった。
どうせ大学行かないなら、中学の勉強なんて適当でいいやって思った。
就職に強い私の母校である高校は偏差値があまり高くなかったからです。
♢
私が学生の頃は、少子化が進む少し前だったので、同じ学年の子どもがたくさんいた。
中学は1学年5クラスあって、200人近くいた。
1年生、2年生のときは、定期テストが学年で60番とか70番くらいだった。
真ん中より少しいいくらいだよね。
進学校に行くつもりはないから、授業もサボり気味だった。
テスト期間に同じような友達とゲーセンに行ってて、店員さんに学校にチクられて、
先生に注意されたこともあった。
親もワーキングプアってやつだったから、夜も働いてて、家に誰もいなくて、
同じような友達の家に行くと、同じような子たちが集まってて、
髪の毛を染めたり、マニキュアをしたりして、夜まで遊んでた。
プロ野球のナイターが毎日テレビで放映されてた時代で、
それを見終わると、夜道を一人でフラフラ帰ってた。
チャラい人に車に乗せられそうになったこともある笑
そんなどうしようもなかった私の中学時代。
♢
でも、そんな自分がずっと自分でないような気がしてた。
このまま勉強も中の上くらいに甘んじてて、不良みたいな生活してて、
内申点は最悪で、学校で事件が起こるとお前なんじゃね?みたいな目で疑われたりするような
そんな自分を自分が恥じていた。
中学3年生の夏に三者面談で、初めて母親を交えて担任の先生と3人で話した。
担任の先生は私のテニス部の顧問でもあったんだけど、私はテニス部さえも、
中学2年生の冬、まさにこれからって時に退部していて、先生からの評価も最悪で、
ボロクソに言われた。
母は、「うちの子はそんな子じゃありません」「髪染めてませんけどー」とか言ってて、
「染めたんだよ!」って、その場で母に説明するくらい、母は私の変化や、
学校でどんな位置にいるのかもわかっていなかった。
親子でバカだと思われてるよなーって感じがものすごく伝わってきて、
なんだかすごく自分が嫌になっちゃったんだよね。
♢
中学3年生の夏休み、なぜか私はとにかく勉強した。
今までテスト勉強もしたことなかったけど、5教科の参考書を自分で買って来て、
自分なりの方法で勉強してみた。塾に行くお金もないし、
進学校に行かないから、塾なんて無意味だからね。
さらに、夏休み明けの体育祭のパネル係に立候補して、
夏休み中、学校に行って得意だった絵をパネルに描いていた。
それをきっかけに、付き合う友達も少し変わった。
それ以外の時間はほとんどを勉強に使っていた。
進学校を受験するわけじゃないし、今さら学校行事で役やって、
テストの点数を上げて内申点を上げたところで、
私の進学先は変わらない。
だけど、そうしないと自分が本当にダメになってしまう気がして、
優等生の真似事みたいなのを、やってみた時期があった。
♢
学年トップクラスには食い込めなかったけど、なんとなく自分の目標にしていた
学年でテストの成績、全教科30番以内という目標は達成できた。
10番台に入れた教科もあった。5教科以外の科目もサボらずにきちんと授業を受けて、
プリントなども真面目に書いた。
成績が各教科10段階評価で、その合計点が内申点になって、
それにプラス学校行事で役をやったり、部長や委員長になったり、部活で優秀な成績をおさめると内申書に書いてもらえるんだけど、
私の内申点は3年の2学期に20点近く上がった。
♢
でも、私は親に言われた通り、就職に強い進学校じゃない高校を第一志望に書いて、
そこを受験した。受験の点数がトップだったので、新入生代表の挨拶をしました爆笑
卒業が近くなった頃、先生に聞かれた。
「あのまま何もしなくても、普通に第一志望の高校に行けたのに、
どうして、頑張ったの?」
その質問に対して、私はうまく答えられなかった。
自分でも何でかわからなかったので、
「さあ」
と言って、答えを言わないまま(言えないまま?)お互いを忘れた。
♢
高校では、トップにいれば地元のいい企業に就職できる(大手の工場の工員とか)から、
勉強頑張っていた。もともとレベルをかなり落としているから、
トップを取り続けることは、すごく簡単だった。
それくらいおバカ学校だったのよね。
その高校の時の担任の先生が、
「就職しないで大学に絶対に行ったほうがいい!」
って私の親を説得してくれて、私は指定校推薦でFランの大学に行った。
でも、Fランの大学でも満足できずに、周りがサークルや彼氏に夢中になってる中、
ひたすら自分を追い込んで勉強してた笑
そこから国立大学の大学院を修了した。
中学を卒業するときに問われたあの質問の答えは、
「この先の人生で逆転を狙ってるので」
「まだ自分の将来を諦めたわけじゃないので」
だったのかな?と思った時期もあったけど、
違う。
答えとして、なんだかしっくりこなかった。
♢
社会人になって、ある漫画に出会った。
「宇宙兄弟」
私は途中で読むのをやめてしまったんだけど、日々人がロシアに行くくらいまで読んでいました。
最近、完結して最終巻が出たらしいですね。
読むなら、また最初から読みたいなと思ってます。記憶が曖昧すぎるから笑
でも、そんな曖昧になってる「宇宙兄弟」で、私の心に残った台詞がある。
まだ六太の宇宙飛行士の試験の時の話だから、初期も初期なんだけど、
手島有利って登場人物がいたんですよね。
彼は本当は地球外生命体の研究者になりたかったけど、
父の強い希望に逆らえずに宇宙飛行士を目指していたんです。
でも、自分の夢に嘘をつけなくなって、試験を途中で辞退するんですが、
その直前の試験で、ものすごく頑張ってトップの成績を取るんですよね。
詳しいことは曖昧で、微妙に話の筋も違うと思うんですが、
それで、確か一緒の班だった仲間か審査員の人に、
「もう辞めるって決めてたのに、どうして頑張ったの?」(正確なセリフではないです)
みたいなことを聞かれるんです。
その時に彼は、こう答えたんです。
「ここでもし一番になれたとしたら、何だってやれると思ったからです」
正確なセリフではないと思いますが、この言葉を見た時に、なんとなく、
「これ、私なんじゃないかな」
って思ったんです。
中学3年生の時に必死で勉強して、パネルを描いた私。
もちろん一番にはなれなかったけど、進学校を志望している生徒たちがたくさんいる中で、
自分が納得できる結果が出せる実力があれば、
この先、自分の足でどんな未来を選んでも大丈夫だという自信を、
自分で証明したかったんじゃないかなと、あの頃の自分を振り返ると思います。
「宇宙兄弟」は登場人物の背景やセリフがとても魅力的で、
他にも心を打ち抜かれる言葉がたくさんあったんですが、
なかなか長編になってきたのと、ちゃんと語るなら、
もう一度しっかり読みたいなっていうのがあるので、
今日はこれで終わりますが、なんか、子どもの夏休みも終わって、
自分語りがしたくなった今日の私でした笑
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