丁寧な暮らし VS 雑な暮らし
私の母は、季節を感じながら生きている人です。
花やハーブを庭で育てて、山の色や空の高さに歓喜して、旬の食材を手をかけて食べる。
いわゆる、丁寧な暮らしというものを若い頃からずっとしてきた人なんだと思う。
対して私は、花を愛でる心はないし、山とか空とか自然の景色はどうでもいいし、
何が旬とかも美味しければ何でもよしという、母とは全く真逆に育ってしまった。
先日、実家でお昼ご飯を食べた後、母が新聞紙にくるまれた大量の筍を持ってきました。
一般的に想像される孟宗竹のような太くてデカいやつじゃなくて、
細長い筍です。
大きな孟宗竹を銅鍋でアク抜きしている年もよくありますが、
今年は細い筍を食べるらしい。
毎年、このくらいの時期には、人からもらったり、JAの直売所で購入したりしてます。
「これ、皮剥くの手伝って」
いきなり、筍の皮剥きを手伝うことになった。
筍の皮なんて、今まで剥いたことない。
「先っぽが一番おいしいから、慎重にね」
時すでに遅し、私が剥いた筍はもう真っ二つに割れている。
先っぽとか言ってる以前の問題。ガサツすぎる。
母が剥くと、私の知ってる筍の形になった。
他人ができることを自分ができないと、燃えるタイプの私。
私の剥いた筍と母の剥いた筍は見た目が全然違う。もう年季が違うね。
絶対、綺麗な筍に剥いてやるぜと息巻いて、
今までしたこともないくらい繊細な手つきで皮を剥いていく。
神経使いすぎてクラッシュしそうだけど、それ以上にこの作業にアドレナリンが出まくってるのが分かった。
何本目かで、キレイな筍になった。
「見てみて、これ筍らしくなったんじゃない?」
母が剥いた筍と並べても、まあ、母の失敗作くらいの見た目なんじゃない?
と、達成感に満ちた私の心。
「スペシャルだにしきー」
いきなり、にしき語で話し始める母。
【にしき語とは】
私の娘(母の孫)が可愛がっている巨大でリアルな錦鯉のぬいぐるみ「にしきさん」の話す言葉(娘ボイスで)。少し太めの声で、語尾に「にしき」がつくのが特徴。
にしき語で話されると、褒められてるよりも煽られてる気がするにしきー。
小1時間くらい筍の皮を親子で剥いた。
手は泥だらけになったけど、たくさんの筍が新聞紙の上に乗っていた。
「今日はこの筍で粕汁作ろうかな」
と、ウキウキの母。
手間暇かけて、旬の食材を楽しむのが好きな母です。
筍の粕汁は、この季節やお祝い事があると必ず母が作る、母にとって特別な料理です。
母は、食にもこだわりがあって、無添加や薄味を好み、そのように料理する。
私は、母の料理は味気がなくて、あんまりこれが食べたいと思う母の料理がない。
薄情な娘です。
でも、母の作る「筍の粕汁」は美味しくて大好きです。
今は筍。
ちょっと前は山菜。(これも下処理が面倒で私は絶対手を出さないもの)
あと少しすると梅仕事が待っている。
毎年、母が自家製の梅シロップを作る。
梅仕事は毎年毎年、きょうだいで手伝うくらい大ががり。
でも、自家製の梅シロップを炭酸水で割った梅ジュースは格別においしい。
筍の粕汁、山菜、梅ジュース。
普段の食卓には、思い出に残るほど美味しい母の味は残念ながらないんだけど、
私にとっての母の味は、
たぶん母の丁寧な暮らしが作った、旬の味なんだと思う。
母がやらなくなったら、たぶん誰もやらない。
母の子供たちの暮らしはみんな雑。
正直、面倒くさい。
母が元気でいられるまで、後何回、旬を味わえるのだろう。
そう考えると、母の丁寧な暮らしがとても尊いものに見えてきます。
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