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大学偏差値って意味あるの?―受験戦争世代が振り返る“偏差値教”の時代―

僕たち団塊ジュニア世代は、1990年代前半に大学受験のピークを迎えた世代だ。18歳人口が過去最多だった時代、「受験戦争」という言葉がまだ日常語として使われていた。全国の予備校で模擬試験が行われ、その結果をもとに算出される「偏差値」によって、僕らはまるで数値で輪切りにされるような扱いを受けていた。

偏差値とは、テストの平均点を50とし、自分の立ち位置を示す統計的な指標だ。それ自体は中立的な指標に過ぎないはずなのに、当時の僕たちはその数値に絶対的な価値を見出し、偏差値が高い=偉い、低い=ダメ、という空気を疑いもしなかった。知らず知らずのうちに、「偏差値教」の信者になっていたようなものだ。

進路指導もまた、偏差値がすべてだった。「君の偏差値は○○だから、このあたりの大学が妥当だね」と、将来の夢よりも統計的な“順当さ”が優先された。インターネットがまだ普及しておらず、大学の特色や学べる内容を比較する手段も乏しかった当時、僕らが頼れる情報源といえば赤本の巻頭の大学紹介や、受験雑誌のランキングくらいだった。

学部や学科の選択だって、どんなことを学ぶかよりも、「名前の印象」や「なんとなくの格好よさ」で決めてしまうケースが少なくなかった。振り返れば、偏差値ランキングは、情報弱者である18歳の高校生が選んだ人気投票に過ぎなかったのかもしれない。

そんな“偏差値教”から目が覚めたのは、ずいぶん後になってからだ。ある日、ネットで昔の大学偏差値ランキングを目にしたとき、ふと気づいた。「あの大学、昔はけっこう難関だったんだ」とか、「今は易しくなってるけど、当時は違ったんだな」と、時代によって大学の“価値”はずいぶん変わることを知った。

思い出すのは、北大に入学して間もない頃、獣医学部のある先生と雑談したときのこと。その先生は笑いながらこう話してくれた。

「私らが学生の頃は、“山岳部獣医学科”って呼ばれてたんだよ。登山ばっかしてて成績がひどくてね。行けるところが、そこしかなかった」

北大には東京大学のような「進振り制度」があり、入学後の教養課程の成績で専門学部への進級先が決まる。つまりその先生は、教養時代に山ばかり登っていたせいで成績が振るわず、唯一進めたのが獣医学部だったという。

今や北大獣医学部といえば、医学部に次ぐ超難関学部。製薬会社やペット病院など、高収入な職業につながるルートとして人気を集めている。でも、本来の設置目的は「産業獣医」――つまり、畜産現場で家畜と向き合い、農家とともに汗を流す獣医師の育成だったはずだ。

そう考えると、登山に明け暮れていた“山岳部獣医学科”の先生のほうが、よほど現場向きの人材だったのかもしれない。

偏差値という数字は、時代とともに価値が変わる。職業観や社会のニーズ、景気の動向――そんな外的要因で“数字の序列”はあっさりと入れ替わるのだ。

だからこそ、思う。あの頃の僕たちは、たった一つの数字に夢や未来を預けすぎていたのではないかと。

今、受験を控える若者たちには、偏差値に惑わされず、「自分は何をしたいのか」「どんな生き方をしたいのか」という視点から、進路を考えてほしい。
偏差値は、あくまで“指標”にすぎない。人生の価値まで測れるものじゃない。

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