承認を欲さなくなったのではない ― 違いの中で揺れなくなったということ ―
※ここでいう「承認モンスター」とは、他者を攻撃する人のことではない。
承認がなければ存在が揺らいでしまう神経構造の状態を指す、私自身の内的概念である。
私はかつて、いつも焦りで動いていた。
予定をこなしていても、その奥には常に「自分以外の誰かに認められたい」があった。
動かなければ価値がない。
評価されなければ存在できない。
そういう神経回路で生きていた。
交感神経がフル稼働し、ある日突然、背側迷走神経に落ちる。
過活動と虚脱と抑うつ。
承認モンスターの神経構造は、まさにこれだった。
だが、今日。
一日中、穏やかで元気だった。
変にテンションが高いわけではない。焦りもない。
静かで、そこはかとなく、ただ目の前のスケジュールをこなしていける。
この感覚が出はじめた時、違和感としか感じ取れなかったが、回を重ねる事にじっかんが深まって確信と変わっていった。
昔は「動く=焦る」だった。
今日は違う。
動いているが、焦っていない。
これは私の中で一体何が起きているのか?という問いを立てて、自己ラボしてみた。
おそらく、腹側迷走神経が土台にあるまま、交感神経が協調している。
つまり、
私は安心、安全の上で動いている。
承認モンスターの卒業とは、「承認を欲さなくなること」ではない。
承認がなくても神経が揺れないことだ。
もし誰かに、「あなたは間違っていると思う」
と言われても、
「あなたはそう思うんですね。
(私はそうは思いませんけど。)」
で会話も感情の揺れも終われる。
反論も証明も承認も不要。
迎合もしないし、関係が壊れる恐怖もない。
全く揺れないとは言い難い。だが、揺れ幅が小さい。
これが、承認を軸にせざるを得なかった時期と、
それを通過しつつある現在との違いだ。
承認モンスターの構造はこうだ。
違い = 否定
否定 = 存在の危機
だから戦うか、落ち込むか、過剰に説明するか逃げるか。
だが通過した後は違う。
違いは違いのまま置いておける。
相手の意見は相手のもの。
私の軸は私のもの。
私は、もはや他者からの承認を欲していない。
……と言い切るのは正確ではない。
承認は社会性を伴う人間なら誰でも嬉しい。
だが、必要条件ではない。
承認がなくても、存在は揺らがない。
それだけだ。
承認を軸にしないということは、
承認を奪い合う土俵に立たないということだ。
勝ち負けも、優劣も、証明もいらない。
違いの中で、多様な中で、静かに佇む。
それができるかどうか。
それだけを観察する。
承認モンスター卒業の定義
誰からも否定されないことではない
全く揺れなくなることでもない
違いの中で、神経が静かでいられること。
それが卒業だ。
承認モンスターは承認を求めていたのではない。
存在を守ろうとしていただけだ。
