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【P4P #1】 90年代ニューヨークの熱気と「場所への情熱(Passion for Place)」

今週はお盆休みでもあるので、リラックスして、私が1990年代半ばにニューヨーク市に住んでいた時の思い出の場所をご紹介します。

ニューヨークは観光で訪れるのも良いと思いますが、一度は住むべき街だと思います(今は危険で物価も高いので、もう少し待ってからの方が良いかも)。

ちなみに、現在のニューヨーク市(NYC)の治安状況は、「重犯罪・殺人などの重大事件は歴史的な低水準まで減少傾向にある一方で、市民の体感安全度や細かなトラブルには依然として警戒が必要な状態」だと言われています。

また物価も高く、カジュアルな外食(ディナー)は普通の大衆店で1品+ドリンク1杯頼むと、税金とチップ(現在は18〜22%が標準)を含めて1人 40〜60ドル(約6,000〜9,000円)。ラーメン1杯が18〜25ドル前後で、チップや税金を足すと1杯30ドル(約4,500円)近くになるそうです!

しかも、マンハッタンの平均家賃は1ベッドルーム(1LDK相当)で月額 4,000〜5,300ドル前後(約60万〜80万円)、スタジオ(ワンルーム)は安めの物件や郊外(ブルックリンやクイーンズ)でも月額 3,000〜3,500ドル(約45万〜50万円)を下回ることが珍しくなっているのだとか!だから、いつか住めるなら今ではなく将来の方が良いかもしれません(笑)。

では、なぜニューヨークに一度は住んだ方が良いのか?

それは、私たちがNPO Riseでも空間情報の活用を促進しているように、その空間の原点である場所の「凄さ」を体験できるからです。体験を通して知る、好きになる街、それがニューヨークなのです。

まずは私の職場のあった場所。
666 Broadway, New York, NY 10012, USAGoogle Map

私はハーバード大学院に在籍していた1994年の夏、NYCの「Open Space Institute(OSI)」というNPOでバイトをしました(https://www.openspaceinstitute.org)。ここがOSIの本部があった場所です(現在はここから少し北に行った場所に移ったみたいですが)。

OSIは、自治体などの土地購入に関する交渉に時間がかかる場合、その土地が生態学的に重要であれば先に自ら購入し、自治体の準備が整うまで維持管理を行うことを使命としていました。

OSIは管理対象の土地を大量に持っていたので、私はGISを導入し、GISを使った土地管理プロセスを促進する仕事を任されました。

その頃の私はNPOや生態学、土地管理などにほとんど興味がなく、ただ単に「NYCで仕事がしたい」という理由だけで応募したのですが、数ヶ月働くにつれ、NPOやGISの素晴らしさに目覚めてしまいました。

まずOSIについてですが、とにかく職員全員が明るい。仕事に行くのが本当に毎日楽しかったです。それと、働く前はNPOに対して勝手にどこか「貧乏臭さ」を感じていたのですが、それがとんでもない誤解であることに気づかされました。

アメリカ社会の環境保護に対する意識の高さもあり、OSIが受け入れる寄付金は半端なく(企業などが数十億円規模の寄付を普通に行なっていました)、カツカツした雰囲気が全くありませんでした。皆が楽しく社会に寄与しながら、正しいことをコツコツ行なっていたのです。

私がNPOを立ち上げた背景には、「そうした組織を目指したい」という思いがあったのかもしれません。とにかく素晴らしいスタッフばかりでした。

そして90年代半ばのNYCの活気や時代の空気がとにかくすごかった。OSIのあった場所がちょうどSoHo、ワシントン・スクエア、ニューヨーク大学(NYU)、リトル・イタリーやチャイナタウンなどに囲まれた大変エネルギッシュなエリアでした。

以下に、私がよく通い、NYCの「空気」を体験できた場所をいくつかご紹介します。

1. Dean & Deluca (SoHo店)

まずは Dean & Deluca。私はコロンビア大学の近所に住んでいたので地下鉄で通っていましたが、昼ご飯によく買いに行っていたのが、今は無きSoHo店Google Map)でした。「なんて素晴らしいものがたくさんあるんだろう!」と感動していたら、いつの間にか世界中で店舗を見るようになっていました(笑)。

2. Hells Angels の NYCクラブハウス

職場の近くには Hells Angels(ヘルズ・エンジェルス) のNYCクラブハウス(Google Map)もありました。なぜかここの前をよく通ったのですが、監視カメラが何台も設置された入り口と、その前にズラリと立ち並ぶバイク……どう見ても怪しい雰囲気が漂っていました。今はビルが売却されてなくなってしまいましたが、当時は確かにそこに存在していました。

3. メトロポリタン・オペラ(MET) & MoMA

リンカーン・センター内にあるメトロポリタン・オペラ(The Metropolitan Opera / 通称 MET)MoMA(ニューヨーク近代美術館) にもよく通いました。

METは昔から伝統的に「立ち見チケット(Standing Room)」が格安で販売されていたので、大好きなオペラをよく見に行きました。ちなみに皆様、1961年の映画『かくも長き不在(Une aussi longue absence)』をご存知でしょうか?今見ても本当に良い映画ですが、私がオペラ好きになったのはこの映画の影響です。

私は環境の影響で音楽が好きになる傾向が強く、昔東京にあった「ライズバー」というおしゃれなお店に行き始めてからレゲエやダブ(Dub)が大好きになりました。(これまで考えたことがなかったのですが、うちの「NPO Rise」の名前はここから来ているのか?と、ふと考えたりもしました)。

話をもとに戻すと、MoMAはかつて「誰でも毎週金曜夕方は無料」という制度があったため、毎週金曜日の夕方はMoMAに行くのが習慣でした。また、対岸にある The Noguchi MuseumGoogle Map)にもよく足を運びました。

4. Astor Place Hairstylists

散髪なら Astor Place HairstylistsGoogle Map)。ここは今も営業しているそうです。

単なる理髪店を超えた、ニューヨークのポップカルチャー史を象徴する伝説的なバーバーショップです。地下へ続く階段を降りると、世界中から集まった多国籍・多言語の理容師たちが何十人もズラリと鏡の前に並ぶ光景は圧巻でした。どんな髪質でも、どんな無茶なオーダーでも素早く安くカットしてくれることで知られていました。

アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、ロバート・デ・ニーロ、スパイク・リーなど、あらゆる層に愛された場所です。面白かったのは、腕の良い理容師の前に客が列をなすこと。私にもお気に入りの理容師がいたのですが、手際が本当に早い。目をギラギラさせて、あっという間に頭の形に合った髪型に仕上げてくれるのです。NYCに行かれる際は、ぜひトライしてみてください。

5. Eightball Records & Vinylmania

レコードショップなら Eightball RecordsGoogle Map)。ここはレーベルでもあり、音だけでなくジャケットや帽子などのグッズもコツコツ買っていました。

eight ball RECORDSのグッズ(ハガキ)


LECTROLUV - Remix Project のアルバムを買った時は度肝を抜かれた記憶が今も残っています。 (※YouTubeで聴ける Lectroluv Remix Project - Dream Drums (Junior Vasquez Rework Mix) はこちら:YouTube) お店は残念ながらもうありませんが、Webサイト(https://www.eightballrecords.com)で今も音やグッズが買えるようです。

もう一つよく行ったのが VinylmaniaGoogle Map)。ここは伝説のクラブ「Paradise Garage」の近くにあり、クラブを朝方に出た人がそのまま直行して、さっきまでフロアでかかっていたサウンド(ラリー・レヴァンなどがプレイしていた曲)を買っていたそうです。今はもうありませんが、当時買ったTシャツは今も大切に持っています。

最強のクラブ「ザ・ロフト(The Loft)」

そして、私にとっての最強クラブが、デイヴィッド・マンキューソ(David Mancuso)が主宰する 「The Loft」 でした。

ここは当日にならないと開催場所がわからないという不思議なクラブで、知り合いのDJに開催場所を教えてもらいながら通っていました。到着しても見た目はただの人が住んでいるアパートのようで、半信半疑で入っていくと、これまで聞いたこともないような素晴らしいサウンド空間が広がっていました。

  • 曲を「繋がない」ノン・ミックス・スタイル
    かかる曲がとにかく素晴らしい。最高のバージョンしかかけず、しかも曲と曲をミックスして繋ぎません。1曲が終わると針を上げ、フロアの客が拍手をしてから次の曲に移るシステムでした。 マンキューソ氏曰く、「ミュージシャンがスタジオで命を吹き込んだ完璧な1曲を、テンポを変えたり他の音と混ぜたりして壊したくない。1曲1曲が完結した旅なんだ」とのこと。 (※SpotifyのDavid Mancusoプレイリストはこちら:Spotify

  • 極上の音響空間
    音響がとにかく最高でした。「高音質で空間全体を包み込む」というコンセプトは、ラリー・レヴァンと音響技師リチャード・ロングが作った「Paradise Garage」のサウンドシステムにも影響を与えたと言われています。大音量なのに歪みが極限まで無いため、何時間踊っても耳が疲れません。フロアの真ん中で踊っていても、隣の人と大声を出さずに会話ができるほどクリアな音空間でした。

  • 年齢を超えて楽しむ人々
    とにかくみんな踊りが上手い!今でもよく覚えているのが、70歳くらいのおじいちゃんがものすごく上手そうに、そして楽しそうに踊っていたことです。純粋にみんなが空間を楽しむ場所でした。

ニューヨークのクラブは踊りが上手な人が多く、普段は普通の青年でも、踊り出すと体を滑らかにクネクネ動かす不思議な世界。NYCのクラブに来る人たちの立ち振る舞いや踊りは、本当におしゃれでした。

NYCのクラバーたち

私がNYCに住んでいた時代はポストParadise Garageで、Sound FactoryGoogle Map / トッド・テリーがよくプレイしていた)や TunnelGoogle Map)といったクラブが主流でしたが、小さめのクラブにフランキー・ナックルズが来るときなどもよく聴きに行っていました。

Sound Factoryの外観

ハウスミュージックとNYCの「空間」

NYCのダンスミュージックは「ニューヨーク・ガレージ」と呼ばれ、ハウスミュージックや現代のDJカルチャーの原点として世界中に大きな影響を与えました。

単なる電子音楽にとどまらない、ソウルフルで人間味あふれるグルーヴが特徴です。1970年代のフィリー・ソウル、R&B、ディスコ、ファンク、ダブ(Dub)などをベースに、ニューウェーブやジャズまで自由に取り入れられていました。当時「Limelight」というテクノ主体のクラブも人気がありましたが、NYCの黒人DJがかけるテクノはものすごくソウルフルで大好きでした。

同時期にシカゴで生まれた「シカゴ・ハウス」が打ち込み主体のミニマルなサウンド(TB-303やTR-909等)だったのに対し、ニューヨーク・ガレージはオーガニックな響きを持っています。

私はミネソタの大学生時代、車で半日かけてシカゴにもよく通っていたので(日本のレコードバイヤーの友人の買い物に付き合っていました)、私の中でシカゴからニューヨーク・ガレージへと進化していった過程は非常に自然なものでした。

今年で60歳になりましたが、いまだにハウスは大好きです。変化・進化していくからこそ本当に面白いと思っています。ただ、若い頃に「最高だ」と思っていたカルチャーの多くは、90年代のあの時代が一番輝いていたのではないか……と感じることもあります。そういう意味でも、あの時代にNYCを体感できたことは人生の宝物です。

昔は「どんなジャンルの音楽が好き?」と聞かれると細かく説明していたのですが、あるとき相手が “I love MUSIC” と一言答えていたのを見て以来、私も真似して「ただ音楽が好きだ」と答えるようにしています(笑)。

おわりに:Passion for Place(場所への情熱)

などなど、NYCの面白さを語りだすとキリがないのですが、なぜNYCに一度は住んだ方が良いのか、少し伝わりましたでしょうか?

ところで皆様は、イタリアの古典文学者・詩人のダンテ・アリギエーリをご存知でしょうか。以前テレビでイタリア人が「ダンテが抱いていた、土地や場所に対する凄まじい執着・愛着・情熱(Passion for Place)を私も持っている」という発言をしていました。

イタリア人にとってダンテは単なる昔の詩人ではなく、イタリア語の父であり、郷土愛の象徴のような存在です。彼らがダンテの生き様や『神曲』を語るとき、土地や場所に対する情熱を「Passion for Place」と表現します。

イタリアには「カンパニズモ(Campanismo)」という言葉があります。直訳すると「我が街の鐘楼(鐘の塔)が見える範囲を何よりも愛する」という、強い地域愛のことです。ダンテがフィレンツェや各地の景色を情熱的に表現したように、イタリア人は自分が生きる『場所』に対して並々ならぬ情熱を持っています。

そこには単なる観光地的な愛着ではなく、「自分がどこから来て、どこに属しているのか」という、人間の根源的な魂の置き場所に対する熱量が含まれているのだと思います。

私にとってのニューヨークは、まさにこの 「Passion for Place(場所への情熱)」 を全身で感じさせてくれた場所でした。


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