【小説】 雌鶏の咆哮 EP.04
…嘘だ。
そんなこと一切知らなかった。
亡くなるかもしれないなんて誰にも聞かされてなかった。
自分だけ祖父の最期に立会えなかったなんて。
私は自分が放蕩者であることを後ろめたことはなかった。
自由と引き換えにあの家の一切とは関わることはなくなり、地位も無くした。
でもそれを後悔したり、元の自分の生活を失って惜しいと思ったことは一度もなかった。
帝室のことは大抵国内外の報道で知れたし、妹の椿とも連絡はしてた。
でもお祖父様が臥せっているという話はどこでも聞いたこともなかった。
これが後悔なのかもしれない。
わかっていたつもりではあったけど、家族ではなくなるというのは
こういう事だったんだ。
最期まで家を出た私を赦さなかった。
頭が益々痛くなる。
これは二日酔いなんかじゃなくて、
本当に、心から、
ショックだった。
「心中お察しいたします。
殿下だけでなく、ご家族の皆様が今深い悲しみの中にいらっしゃるのです。」
言葉もなく渡された葬儀の知らせをただただ見つめる私を気遣うかのように続けた。
「病気だなんて、誰にも一言も聞いてなかった。」
やっと絞り出せた言葉がこれである。
亡くなったことはもちろんだが、つい自分だけお祖父様の近況が伏せられていた事実に悲しみと怒りが先行してしまう。
「いえ、ご病気では。」
そういうとカップをぐっと飲み干す。
「じゃあ突然死なの?」
「なんてことを!
…安らかに眠るようでした。それまでは至ってご健康で、医師からも問題はないと。
因みにお隠れになったことはまだ世間には公表されておりません。」
再び眉間に皺を寄せながらただでさえ聞き取りにくい低い声をより小さく潜める。
「まだ他の人たちは皆知らないのね。なるほど。」
自分が大きな勘違いをしていたことを少し恥じたが、それでも悲しみは変わらない。
マスターがテーブルにやってきてコーヒーポットを軽く上げる仕草で私と柏木を見比べる。
「あぁ、では。」
柏木は軽く微笑んでソーサーごとカップを前に押し出す。
再び熱いコーヒーが注がれた。
「私は結構よ、もうそろそろ出るの。」
「そうです。一刻の猶予もございませんので、お早く。」
え?お早くとは…?
私にそう告げると彼はコーヒーを少しだけ啜り、そのままコートの襟をなおす。
「お代はここに。どうも、良い朝を。」
店内に軽く会釈をする柏木はそのまま私を振り返りもせず店のテラス席に続く大窓をくぐり外へ出た。慌てて私もついていく。
「いやいや、ちょっと待ってよ。それってまさか今すぐこのままアンタと日本に戻るってこと?」
「そうです、タクシーを呼んでいますのでこのまま空港へ急ぎます。」
「ふざけんな!いくら何でもこんな手ぶらで帰れるわけない。」
私は立ち止まり抵抗したが、まるでそんなことも気にせずスマホを操作しながら手配したであろうタクシーに向かって手を挙げる。
冗談じゃない。正直心の準備だってできてない。
「今は殿下の荷造りに付き合ってる暇はありません。全て向こうで手配済みです。」
そういうとぐっと私の腕を掴み、路肩に止まったタクシーへと詰め込んだ。
「ちょっと、痛い!
…それで?帰るのはプライベートジェット?」
すぐに私に続いて柏木も乗り込んでくる。
「まったく… 帝室費用は全て国費で賄われるのです、そんなものないとご存知でしょう!!!
ムッシュー、シャルル・ド・ゴールまで。」
タクシーが動き出す。
「民間機なんかで帰ったら私だってすぐにバレちゃう!総理大臣のやつとか借りれなかったの?」
「政府専用機なんてむやみに利用できません、それくらいなぜわからないんです?!
それこそマスコミが気付きます。あなたを秘密裏に迎えに来た意味がないでしょう!?」
まったく…とブツブツ呟きながらこちらを見ることもせずPC開く。
13年ぶりの再会とはいえ出だしから最悪なスタートだ。
私たちはそこから会話することもなく、なんとも気まずい沈黙が続いた。
空港につくやいなや、一息つくまもなく空港の職員たちに連れられ私たちは真っ先に別室に通された。
柏木はともかく、私はあのぶっ飛ばし騒ぎも相まってかなり面が割れてる。
万が一ということもある。
今は可能な限り目につかないようにとのことだろう。
まぁ、その方が正直ありがたい。
どこでパパラッチが待ち伏せてるかもわからないし、空港にいることが知れてネットなんかで拡散されたら困る。
空港のラウンジで相変わらず柏木は何やら忙しそうにPCを睨みつけている。
「ねぇ柏木、皆は私が帰ること知っているの?」
「ええ。もちろんです。そもそも野薔薇様から仰せつかってお迎えに上がったので。」
げ?!
私が一瞬顔を顰めたのを見逃さなかった。
「失礼。殿下は苦手であらせられた。」
ニヒルな薄笑いを浮かべて、まるで私の反応を楽しんでいるかのようだった。
野薔薇とは私の母だ。
あぁ、恐ろしい。
あのショートヘアでネイビーのセットアップスーツに身を包み、仁王立ちでこちらを睨みつける夢を何度も見た。
気が強く、いつも鷹のように私と妹を見るあの目。そのくせ自分のプライバシーに関してはとにかく神経質で身内であっても自分の部屋に招き入れるようなことはしない。
子供頃に観た不思議の国のアリスに出てきたハートの女王を見たときにはあの母をモデルにするなんて作者は恐れ知らずだなと戦慄したことがあった。
実際は全然違ったわけだが。
そのくらい、私たちには情け容赦のない絶対的な赤い薔薇の女王のような存在なのだ。
祖父である春夏冬帝には3人の娘がいた。
長女の小百合、次女の野薔薇、そして末の香蓮。
小百合叔母さんは従兄弟の菫人(すみと)と茅(ちかや)の母親なので面識はあった。
ただこの三女の香蓮という女性には誰も会ったことはなかった。
というのも、若い頃に亡くなったと聞いた。
写真で見た事があるが、あの母と同じ遺伝子とは思えない儚げで綺麗な人だった。
美人薄命か。
ただどういうわけか母も叔母もこれについて深く話すことはなく、とてもいい子だったとだけ。もしかして折り合いが悪かったのか、思い出すのはあまりに辛かったからか、
いくら聞いても2人とも顔を見合わせては口を噤むのでいつしかこの話はタブーとされていた。
「もちろん。椿様も、菫人様も、皆様それはそれは殿下のお帰りを心待ちにしておられますよ。」
取ってつけたような口ぶりだが、
私はその名前を久々に聞いて少し安心した。
「お二方にご連絡はずっと前からしていたのでしょう。」
「…まぁね。」
「禁煙、成功したんですってね。」
「それ2年前の話な。」
「そうでしたか…」
どうでもよさそうに微笑む柏木。
椿達にはメッセージのやり取りはしてたが、なんでよりによってそんな事…
まさかこいつ…私がヘビースモーカーなのを母に告げ口してるんじゃないだろうな。
柏木の奴が禁煙の話なんかしてこなきゃ搭乗前に一服しようかと思ってたのに。
出鼻を挫かれ、タバコの箱をポケットの奥へ押し込んだ。
そのまま懐で箱を静かに指先でなぞりながら、
ふと我に帰る。
そうだ、
日本へ帰るんだ。
この男がふらっと現れて半ば誘拐のように空港まで連れられてきたけど、実質もう13年も帰っていないのだ。
そう考えると途端に不安が襲ってきた。
まず最初にあの般若のような母と対面することはもちろん恐怖だが、何より自分が帰ることで国民はどう思うか、厳しい世論に取り囲まれるのが嫌だった。
国内であまりよく思われていないのを知っているし、自分でも国の恥晒しである自覚はある。
ただ申し訳ないけど今の私に国民からの強い視線や叱責を受けるエネルギーはない。
「言うまでもないけど、私長居するつもりはないから。」
「さようでございますか。」
意外にも反応を示さなかった。
それより今度は何やら難しい顔でタブレット端末にペンを走らせている。
「葬儀に出るだけだし3日も居れば十分でしょ?それに、
…さっきからアンタは何をそんなに真剣に見てるわけ?」
「予算ですよ、昨日から花宮院側で提示しているものと内閣府での擦り合わせが上手くできていないようでして。」
常に冷静な男にしては今日は僅かながら焦りが見える。
「本当に急だったんだね。」
「ええ。そろそろご搭乗ですが、よろしいのですか。」
「え?」
「チャージ、されたほうが。」
目線で私のポケットを刺す。
私が吸いたくてソワソワしていたのを見透かすかのように勧める。
「別にヤニなんて着いてからも吸えるわい、」
嘘だ。一刻も早くめちゃくちゃ吸いたい。
ただなんとなくこれ以上こいつを優位にさせてたまるかと平気なそぶりをしてみた。
すると柏木はやっと端末から顔を上げ、私を真っ直ぐ見つめた。
「まだ状況をよく分かっていらっしゃらないようですので申し上げますと、これはただの一時帰国ではございません。」
決して陽気な男ではないが、
それでもいつも以上に真剣な表情をする。
「現段階で全てをお伝えすることは出来ません。
ただ、ここを飛び立てば、その先に待っているものはご自分でももうお分かりでしょう。」
そういうと柏木は横にいた私の方へ向き直りぐっと顔を近づけた。
そうだ、この目だ。
13年間逃げ続けたのはこうやって何をするにもこの目が私を捉えて縛り付けたからだ。
「一体なんだっていうの。」
再び言いようのない不安が、
指をつたい、ポケットのタバコ箱を湿らせていった。
「ここを飛び立つ前にこれだけは心に留めていただきたい。ここから先、殿下はもはや今までのような自由気ままなソーシャライツではないのです。」
(つづく)
