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人生が壊れた日に、人生が始まった。

はじめに

47歳のある夜、私はベッドの上で、寝返りひとつ打てませんでした。

大腿骨を骨折した直後でした。少し体の向きを変えるだけでも怖い。脚に力を入れようとしても、自分の体なのに思うように動かない。走れないどころではありません。歩けない、立てない、トイレに行くのにも人の手を借りる。昨日まで当たり前だったことが、ぜんぶ当たり前ではなくなりました。

その少し前まで、私はフルマラソンを2時間50分で走る市民ランナーでした。フルタイムで働きながら、朝も走り、休日も走り、サブ3は20回以上。走ることは、ただの趣味ではありませんでした。年齢を重ねてもまだ前に進める、努力すれば少しずつ変われる——そう思わせてくれる、自分を支える柱のようなものでした。

その柱が、ある日突然なくなりました。

スマホを開けば、仲間は今日も走っています。練習して、レースに出て、前に進んでいる。その一方で、自分はベッドの上で、ただ天井を見ている。

そのとき、本気で思いました。

「人生、ここで一回終わったかもしれない」

これは、骨折から復帰した記録ではありません。そして、走る人だけの話でもありません。

仕事がうまくいかなくなった。大切にしていた目標が止まった。自信を支えていたものが、気づけば崩れていた。周りは普通に進んでいるのに、自分だけが同じ場所に取り残されている気がする。——もし今、あなたがそんなふうに「もう前の自分には戻れない」と感じているなら、そういう人にも届くかもしれないと思って、このnoteを書きました。

苦しい時、人は現実そのものだけで苦しんでいるのではないのだと思います。「前の自分に戻れないかもしれない」「積み上げてきたものは、何だったのか」。そんな問いに、現実以上に苦しめられる。私もそうでした。

人生が一度壊れたように感じた出来事が、私には二つあります。28歳のときの突然の海外赴任で、仕事ができると思っていた自分が折られました。そして47歳の骨折で、走れると思っていた自分が止まりました。

どちらも、当時はなかなかの激辛でした。注文した覚えのない、しかもおかわり付きの激辛カレーです。

その二つを通って、私は「再起」ではなく「再解釈」という考え方に、少しずつたどり着いていきます。そして「明日は今日より、1ミリだけ」という、小さな目印も。

ただ、骨折した直後の私は、まだそこには立てていません。天井を見上げて、ただ「終わった」と思っていました。

でも今は、少しだけ違う見方をしています。

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