正しい提案なのに、なぜ相手は動いてくれないのか?
「上司に提案を通したいのですが、どのタイミングで話すのがいいでしょうか?」
先日の企業研修で、ある受講者からこんな質問をもらいました。
朝がいいのか、夕方がいいのか。会議の前か、後か。上司に余裕があるときを狙うべきか。
質問された方が知りたかったのは、おそらくそういう具体的なタイミングだったと思います。
もちろん、タイミングは大切です。忙しくて余裕のないときより、落ち着いて話を聞けるときのほうが、提案は受け止めてもらいやすいでしょう。
ただ、私はその場で少し引っかかりました。
「本当にこれは、タイミングの問題なのだろうか?」と。
どれほど絶好のタイミングを選んでも、通らない提案は通りません。
反対に、多少慌ただしい状況でも、相手が「これは自分が動くべき問題だ」と感じれば、話は前へ進みます。
そこで私は、その方に状況をもう少し詳しく聞きながら、質問の焦点を「いつ提案するか」から「人はどんなときに動くのか」へ移していきました。
正しさを強く語るほど、距離が開いていく
よくある間違いは、自分なりに考え抜いた提案ほど、「これは正しい」と思ってしまうことです。
そして、正しいことを正しく説明すれば、相手も分かってくれるはずだと考えます。
しかし、現実はそう単純ではありません。
自分にとっての正論が、相手にとっても正論であるとは限らないからです。上司と部下では立場が違います。
見えている範囲も違えば、背負っている責任も違います。
何を失敗と捉えるか、何を優先したいかも同じではありません。
こちらが「現場のために絶対に必要です」と思っていても、上司には予算や他部署への影響が見えているかもしれません。
「今すぐ変えるべきだ」と訴えても、相手は別のリスクを警戒している可能性があります。
その違いを確かめないまま、自分の正しさだけを強く押し出すと、説明は増えているのに、心の距離はむしろ開いていきます。
そもそも、人は「正しいから」という理由だけで動くわけではありません。その人自身が、「これはやる意味がある」「自分が動くに値する」と感じたときに、初めて動こうと思うのです。
完成した提案は、相手の席を奪う
では、どうすれば相手に「動く意味がある」と感じてもらえるのでしょうか?
提案を通したいとき、多くの人は案の完成度を上げようとします。
反論されないように情報を集め、細部まで詰め、完成させてから上司の前に持っていく。
ところが、完成度の高い提案ほど、通りにくくなることがあります。
なぜなら、完成された案には、相手が参加する余地がほとんど残っていないからです。
上司に用意されているのは、「承認する」か「却下する」かという二つの席だけ。
その状態で協力を求めても、上司から見れば、それはあなたがつくった答えであり、自分は判定役にすぎません。
だから私は、いきなり解決策を持ち込む前に、まず問題を相談することを勧めます。
「現場でこういうことが起きているのですが、どう見えますか?」
「このままだと、どんな影響がありそうでしょうか?」
「もし変えるとしたら、どこから手をつけるのがいいと思われますか?」
相手の見方を聞き、その考えを案に反映していく。
すると、それは「部下が持ってきた提案」から、「一緒に考えた解決策」へと変わります。
場合によっては、上司自身が考えた解決策に近いものへと育っていくこともあるでしょう。
人は、自分が関わって生まれた答えを、簡単には他人事にできません。
そこに当事者意識が生まれ、むしろ自分から前へ進めたくなります。
複数の声が、個人的な不満を「解くべき問題」に変える
もう一つ、提案を持ち込む前にやっておきたいことがあります。
それは、同じことで困っている人たちの声を集めることです。
「私が困っています」だけでは、個人的な要望として受け取られるかもしれません。
しかし、「現場の何人かに聞いたところ、同じ場面でこういう問題が起きていました」と具体的に伝えると、その話は一人の不満ではなく、組織が向き合うべき課題として見え始めます。
これは、人数を使って相手に圧力をかけるという話ではありません。
相手に、問題の輪郭を正確に見てもらうためです。
上司は、自分が動くことで一人だけではなく、複数の人を助けられると分かれば、自分が力を貸す意味を感じやすくなります。
立場が上の人には、その人なりの責任があります。
同時に、自分の力を価値あることに使いたいという思いもあります。
現場の声を届けることは、その人の権限を利用することではなく、力の使いどころを渡すことでもあるのです。
提案力とは、相手が自分の足で入ってこられる入口をつくる力
ここまでの話を、相手を思いどおりに操るための心理テクニックとして受け取ってほしくありません。
本質は、意識の矢印を変えることにあります。
「どうすれば私の案を認めてもらえるか」と考えているとき、矢印は自分に向いています。
そうではなく、「この人は何を不安に感じているのか」「どんな状態なら、自分の意思で関わろうと思えるのか」と相手の側から考える。
これは、正しさを諦めることではありません。
その正しさが相手に届く道筋まで引き受けるということです。
人を動かすのに重要なのは、「正しさを強く言い切る力」ではなく、その正しさの中へ、「相手が自分の足で入ってこられる入口をつくる力」なのだと思います。
