通奏低音としての倫理——支援における見えない土台について
倫理が通奏低音として鳴り続けていない精神科医・心理士(師)・福祉職は、いかなる treatment も therapy も intervention も support も care も——その担い手として、根本的に不向きであろう。
ファサード(経歴)だけが一流でも、内側の骨組みが空洞であれば、有機的な関わりは築けない。 上っ面の音だけが派手で、構造の支えを欠いた音楽が、リスナーと浅い関係にとどまるさまと、どこか似ている。
倫理とは、感情や思考がどれほど揺れても、柱として立ち続けるものだ。 メロディがどれほど移ろっても、通奏低音が曲の論理を下から支え続けるように。
倫理が鳴っていない支援職は、軸が定まらず実体を欠いており、こちらの身体が預けられない。 逆に、倫理が鳴っている支援職は、一緒に呼吸できる。身体が勝手にグラウンディングする——ニーナ・シモンの音楽を聴いているときのように。
音楽編集の技術によって、有機性が滅菌処理されたポップソングが、大量に耳を素通りしていく。しかし、音楽においても支援においても、一時的に耳当たりの良い言葉 や心地よさがグラウンディングを可能にするのではない。それを可能にするのは、一貫性と誠実さである。
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