「尞」「了」の字源説
摘要
「尞」に含まれる「日」は元来「呂/*RA/」に由来すると考えられていたが、字形・音韻的な根拠から「宮」の原字である「呂/*KRUŊ/」に由来すると分析できる。また、「了」について「子」の腕を除いた形や、「呂」の略体という説があったが、字形・音韻的な根拠から「尞」の略体であると分析できる。
本文
「尞」の甲骨文字を以下に示す。

「尞」は薪を燃やすさまを象る象形文字で、「もやす」を意味する漢語{燎/*r[a]uʔ/}を表す字である[1]。後には「呂」を加えた字形が見られ、この「呂」は現在の「日」の部分に当たる。

この「呂」について、「呂/*RA/」であると分析し、加注声符であるとする分析がある[2]が、「尞/*REU/」と「呂/*RA/」では韻が合わず、誤った分析であると言える。筆者はこの「呂」について「宮」の原字「呂/*KUŊ/」ではないかと疑っている。

「宮」に含まれる「呂/*KUŊ/」は字源的に「呂/*RA/」とは無関係である[3]。当初は「呂」と明確に区別されていたが、殷後期、西周早期には区別が曖昧になり、同一の字形で書かれることがあったことが分かる。
「尞」が「呂」を含んで書かれた資料は西周早期が初出で、それ以前の物は見つかっていない。つまり、「尞」に含まれる「呂」を「呂/*RA/」と断定することは出来ず、「呂/*KUŊ/」である可能性は否定できないのである。
この「呂」を「呂/*RA/」とした場合に諧声が出来ないのは先ほど述べた通りだが、「呂/*KUŊ/」と解釈することで諧声可能性が生まれる。以下に諧声原則を挙げる。
*KR-と*R-は諧声可能である;
{呂/*raʔ/}→{筥/*kraʔ/}
{𡭴/*kʰrak/}→{虩/*r̥ˤak/}
{京/*kraŋ/}→{涼/*raŋ/}etc…
*-Ŋと*-∅(語末子音無し)は諧声可能である;
{䰃/*pˤaŋʔ/}↔{普/*pʰˤaʔ/}
{亡/*maŋ/}→{𫡟/*m(r)a/}[4]etc…
*-U-と*-EU-は諧声可能である;
{羔/*kˤu/}→{䫞/*hˤeu/}
{丩/*ku/}→{𥃧/*kreuʔ/}
{宮}の中古地位は見東三平であり、上古音を布之道は*kuŋと再構するが、白・沙らが*k(r)uŋと再構する[5]ように、介在音*-r-を含んでいても同様に見東三平に収斂したと考えられる。{尞}の中古地位は來宵開三去であり、布之道が*r[a]uhと[]付きのaで再構するのは、*reuhも同様に中古地位が來宵開三去に収斂するためである。そのため、布之道は便宜上、*rauhと再構しますよ、ということで[]を用いているわけである。そのため、*reuhと再構しても問題ない。
ここでは{宮}を*kruŋと再構し、{尞}を*reuhと再構し、上記の諧声原則に則れば*kruŋと*reuhは諧声可能であると言えることが分かる。つまり、「尞」に含まれる「呂」は加注声符「呂/*KRUŊ/」であると分析できる。
「了」の字源について、「子」の腕を省略して「おわる」を表すという説[6]や「呂」の分化字であるという説があるが、何れも根拠に欠けた説である。「雝」という字の「邑」と書かれる部分が歴史的には「呂/*KRUŊ/」由来である[7]。以下に「了」と「雝」の秦簡牘を示す。

秦簡牘の「了」と「雝」を比較すると、「雝」の「邑」の「巴」に当たる部分(「呂/*KRUŊ/」の下部の「口」に当たる)と「了」が同形であると分析できる。「了」の諧声域は*REUであり、「呂/*KRUŊ/」を含む「尞/*REU/」と同じ諧声域であることから、「了」字は「尞」の截省分化字であると分析できる。
甲骨文は劉釗主編『新甲骨文編(増訂本)』福建人民出版社、2014年、金文は中国社会科学院考古研究所『殷周金文集成』中華書局、1984年より取得。
上古音・中古音は布之道『廣韻形聲考』を参考にした。
脚注
季旭昇撰『説文新証』芸文印書館、2014年、753-754頁。
林志強等評注『《文源》評注』中国社会科学出版社、2017年、326頁。『漢語多功能字庫 - 字頭 「尞」』:「金文從「尞」的字多加從「呂」為聲符」
『説文新証』753-754頁。『説文新証』603頁。
『《文源》評注』564頁。「𫡟」は「無」に加注声符「亡」を加えた字。また、卜辞では「亡」を{無}として使用されている。『漢語多功能字庫 - 字頭 「亡」』:「甲骨文假借為有無之「無」,「往來亡(無)災」」
⽩⼀平&沙加爾『Baxter-Sagart Old Chinese reconstruction(order: by Grammatica serica recensa number)』134頁。
『説文新証』972-973頁。
『説文新証』287-288頁。
