AI時代の「求められ続けるプロ」とは
クリエイターのAI否定に違和感
AIの技術革新は目覚ましく、クリエイティブ領域における性能向上には目を見張るものがある。こうした時代において、AIをレバレッジとして活用し躍進する人と、従来の業務をAIに代替されていく人に二極化するのは必然と言える。
昨今、クリエイターのAIに対する否定派や中立派の議論を耳にする機会が増えたが、その多くは本質から逸れているように感じられる。なぜ彼らの論調に違和感を覚えるのか、クライアントの需要という観点から構造を整理してみた。
クライアントがプロに外注していた「6つの理由」
そもそも、従来のクライアントがプロのクリエイターに外注していたのは、以下のような制約や課題を抱えていたからである。
内製ではイメージを形にできない
求めるクオリティに達しない
予算(コスト)の制限がある
納期(スピード)の制限がある
著作権等のリーガル管理を自社で行えない
「そのクリエイター」の作家性やブランドを求めている
現在、生成AIの台頭によって1〜4の課題はほぼクリアできるよう解決された。5の権利関係についても、現在は音楽業界などで大手レコード会社とAI企業との交渉が進められている段階であり、今後はクリアされた領域から順次AIへの置き換えが進むだろう。
消滅する「平均点レベル」の需要
ここで重要なのは、「6」の理由がない限り、クライアントがプロに依頼する動機は消滅するという事実である。多くのAI反対論は、この市場原理の大前提を看過している。
かつては「平均点レベル」のテキスト、イラスト、楽曲、映像を自社で用意することは困難であった。しかしAIがその障壁を消滅させた以上、同等レベルの制作業務がAIに代替されるのは自然な流れである。厳しい現実だが、クリエイターに仕事が来なくなるのは、市場から「その人に頼む合理的な意義がない」と判断された結果に他ならない。
「この人が作るからこそ価値がある」という代替不可能性を提示できなければ、今後の市場でプロとして自立していくことは不可能である。
環境を変えるか、自分が変わるか
では、クリエイターは今後どう振る舞うべきだろうか。
既存の延長線上で闇雲に努力を続けても、方向性が違えば成果には結びつかない。また、AI排斥運動を起こしたり、発注側に既存の雇用を守るよう訴えかけたりしたところで、時代の潮流は変えられない。他者や環境を変えようとするよりも、自分自身のあり方を変える方が現実的である。
キャリアチェンジや副業を模索するのも一案だが、プロとして表現活動を続けたいのであれば、「自分が創る意味」を再定義するしかない。
共鳴の先に生まれる独自の「高み」
作品の価値は、制作者の自己満足だけでなく、受け手との相互作用によって決定される。より深い共感や共鳴を生む作品を提示し続けられるクリエイターの元には、自然と確固たるコミュニティと需要が形成される。その積み重ねの先に、他者には真似できない独自の「高み」が生まれるのである。
生成AIの登場は、「人間が創作活動を行う本質的な意味」を、より高い解像度で私たちに突きつけている。かつて執筆した『消えゆく「プロ作曲家」』という記事でも触れたが、今後の創作はよりプリミティブ(根源的)なものへと回帰していくと考えられる。
その中で、自らの創作価値を愚直に追求し、独自の動機や作家性を提示できる人こそが、次世代のクリエイティブシーンで活躍していくであろう。この変化は、人間の表現活動をより豊かで有意義なものへ昇華させる契機になると確信している。
