【分散し屈折し反射】時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010 国立新美術館
楽しかった。超オールスター。
あんまり文脈とか無かったけど、いや、合ったはずだが途中でその要素が薄くなった感。
それも気楽に観れてよいことかも。
香港のM+との協業というのも見所、なのか。どの辺がM+だったか、と言われるとはっきりはわからない。図録には経緯が掲載されているだろうか?早いとこ入手したい所存。
現代美術入門編といった様相で、1989年から近年まで。所蔵館を見るのも面白い。
どこが、どんな物を所蔵してきたのかわかる。面白い。

これ豊田市美が所蔵してるのか…

世の中がsay Yesで愛は勝つだった頃。
単純に自分がリアルタイムで生きてきて、見てきた時代だから楽しめたというのもあるのだろう。
あの日、あの時、あのハコで見たものが2025年、乃木坂に再集結。熱い。

館内全体の人も少ない
最後の年表芸が最高だった。
1995年ぐらいからの「美術館横断型展覧会年表」は「一緒に観てきた史」でもある。

図録にも丸々載ってるようなのでこれは買わねば!と思ったらショップが先に閉店時間を迎えていた。
グゥ…まぁここは仕事で近くにくることもあるかもだからこっそり買いにくれば良い。さて概要。
概要
複数の視点から日本で生まれた多様な美術表現に光をあてる
国立新美術館と香港 M+ による初の協働企画
2025年9月3日(水)から12月8日(月)まで、国立新美術館は、日本のアートシーンを彩った革新的な表現に光をあてる展覧会「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」を開催します。
昭和が終わり、平成の始まった1989年から2010年までに、日本でどのような美術が生まれ、日本からどのような表現が発信されたのか。本展は、国内外の50を超えるアーティストの実践を検証します。この20年間は、冷戦体制が終わり、人、ものが行き来するグローバル化の始まりによって、国際的な対話が大いに促進された時期です。当館はアジア地域におけるパートナー美術館、香港のM+との協働キュレーションにより変化に富んだ時代を見つめ直します。
本展は、80年代初頭以降の国際化の胎動を伝える「プロローグ」に始まり、続く「イントロダクション」では、日本社会が大きな転機を迎えるなか1989年を転換点として登場した、新しい批評性を持つ表現を紹介します。そして、以降の時代をテーマに基づく章=3つのレンズを通して見つめていきます。1章「過去という亡霊」では戦争、被爆のトラウマ、戦後問題に向き合い続ける探求を、2章「自己と他者と」では自他のまなざしの交換のなかでアイデンティティやジェンダー、文化的ヒエラルキーを問う実践を、3章「コミュニティの持つ未来」では、既存のコミュニティとの関わりや新たな関係性の構築に可能性を探るプロジェクトを紹介していきます。国内外のアーティストによる実験的挑戦は、時代、社会の動向をとりこむプリズムとなって、さまざまな問いかけを含んだ作品へと反射されていきました。
この20年間の日本というプラットフォームを国内外の双方向的視点で捉えながら、複数の歴史と文脈が共存する多元的な美術表現を提示します。
気になった作家
中村政人
そうだよ、この方、2000年代初頭、村上隆と共によく名前を聞いていたよ。よくつるんで組んでた時もあった。芸大の同期なんだっけ?(調べたら同期ではなかった。中村さんの方が一年後輩)

1992年か。世の中が「君がいるだけで」だった頃。

MOTアニュアルで1999年度に出ていた。デッカいマクドナルドの電光看板が東京都現代美術館の吹き抜けの展示室にドーンとあった気がする。吹き抜けの展示室は…コンビニの電光看板だったか?
ボーッと光ってて「これが日本現代美術かぁ」と思った。
コマンドNの活動も耳に入っていたし、芸大の教授もしてきた気がする。最近だと、3331アーツ千代田の閉幕について何処かでインタビューを読んだ。
…多分、22歳ぐらいの時Command N のオフィスに行ったことがある気がする。なんでかは忘れた。
森万里子

この方も現代美術館の個展をワクワクと観に行った方。
これ言い始めるとキリがないな…いかんいかん。
あれ…
見た時は近未来的と思ったはずなんだけどもな。なんだろう20年経つとちょっと未来では無い感じもする。そりゃそうか、過去に見た物なんだから。表現は普遍性があったり無かったりするのが面白い。新しいと思った物がその後オーソドックスになったり。刺激に慣れていくように。
西山美なコ

ただし当時の会場に現物の展示があったか、実はあまり記憶にない。

紙面中盤、下段画像の真ん中に掲載されているピンクのやつ!参考作品と記載されている。
きっと、このチラシを眺めている時間が長かったのかもしれない。覚えるぐらい読み込んでたのだ。部屋の壁にも貼ったかも。だから左端が破けている。
インパクトのあった作品の実物を目の当たりにして(初対面かもしれないのに)懐かしくて膝から崩れ落ちそうだった。
…しかし「懐かしさ」を感じるような作品ではないはずなのにな。どぎついピンクと際どさに対して抱く感情にズレが起きていた。
写真表現が良かった
下道基行《torii》
鳥居がある風景。だがすごく考えさせられてしまった。
今、こうしてこの写真を見ている間も東南アジアのどこかで放置された鳥居に草花が絡みつきながら、または誰かが腰をおろして寛いでいるのかもしれない。
この後森美術館へ行ったらそこでも同じ写真が展示されててあれ?となった。
フィオナ・タン《人々の声 東京》
これはプロジェクトとしての写真。でもここに映るフィルム写真の懐かしさというのは、フィルム写真で写真を見ていた頃の自分世代はものすごく分かる。
しかし写真の中に写される対象はデジタル写真になっても同じ様にのこっていくのだろう。
フィルムというハード面だけではない、そこに映る風景や服装、メイクなども同時に過去になっていく。
あと変わらないのは写ルンですでもスマホでも自撮りする時の角度、だろうか。



私的しめくくり
大岩オスカール《古代美術館》
この絵画がこの展覧会の対象時代より前をよく表していて、面白くてずっと眺めていた。描かれたのは1995年。95年からその時「現代美術」と呼ばれてた作品が描き込まれた絵。




そしてこの絵もまた2025年に飾られると30年前の絵になっているという。

1989年からの美術
物心がつき、自分の記憶がはっきりしてくる時期。
私は1988年に昭和最後の小学校入学式をした世代だ。ワーワーしている間に姉(78年生まれ)の地図帳と私(81年生まれ)の地図帳では世界の形も国の名前も結構違っていた。
私が見ていた現代美術も「前期・現代美術」とか呼ばれるようになるんだろうか。この展覧会に出ていた作品の一部は今の中学の美術の教科書にも載っていたりもする。
これからどんなリアルタイムの美術が見れるのだろうか。
過去に思いを馳せつつ、やっぱりこれからも楽しみはある。
見続けていきたいなと思う。


