土地の子 第一話 北海道 じゃがいもは二十七個
わたしは猫です。名前はすねこ。年は、まあ、聞かないでください。
これから話すのは、戦争の終わったすぐあとのことです。あのころの日本には、まだ焼けた匂いが残っていました。町の匂いではありません。人の着ているものや、髪や、掌に染みついた匂いです。雪の降る土地では、それが冬のあいだだけ、すこし薄くなりました。
昭和二十二年の冬、わたしは十勝にいました。
その年の雪は粉のように細かく、風が吹くたびに地面を這って動きました。倉庫のトタンが夜通し鳴っていました。わたしはその裏で、雪を掘っている小さな者を見つけました。
ずんぐりとした背丈で、頭にくまの耳のようなものを載せています。指の短い手で、掘るというより雪を押しのけるようにしていました。人の目には映りません。映るのは、わたしのような者だけです。
名を聞くと、どさん子、と答えました。くま耳のどさん子、この土地の子だから、と続けて、それきり手を止めませんでした。
じゃがいもを探しているのだと言いました。食べるのかと聞くと、植えるのだと答えました。
その年、このあたりの家は種芋まで食べていました。食べなければ冬を越せなかったからです。春に土へ入れるものが、どこにも残っていませんでした。
どさん子は雪の底から、握りこぶしほどのものを引き上げました。しなびて、片側が凍って黒くなった芋でした。掘り残し、と言いました。落としたものが、畑にはかならず落ちているのだと。
わたしは横に座って、それを見ていました。倉庫の裏は、風が来ませんでした。
三日かけて、二十七個になりました。
※
四日目の朝、どさん子はそれを、畑を持っている家の納屋の前に積みました。ひとつずつ向きを揃えて置き、上から雪をかけて隠しました。
隠したら見つからないだろう、とわたしは言いました。
見つかるよ、とどさん子は答えました。春になれば、雪が溶けるもの。
翌朝、二十四個になっていました。
わたしは前の晩、キツネが三個をくわえて行くのを塀の上から見ていました。見ていましたが、止めていません。
どさん子はわたしの顔をじっと見て、知っているでしょう、と言いました。知らないと答えると、顔に出ていると言われました。猫の顔に何が出るというのでしょうか。
その日、どさん子はまた掘りに行き、三個ぶんを掘り足しました。二十七個に戻りました。翌朝には二十三個になっていました。
三日目の晩、どさん子は納屋の前に座り込みました。もう掘り足す力が残っていない、という座り方でした。
真夜中、雪を踏む音が近づきました。
どさん子は動きませんでした。三個持って行っていい、と言いました。そのかわり春まで、ほかの家の畑からは盗らないでほしい、ここのだけにしてほしい、と。
キツネはしばらくその場に立っていました。それから一個だけくわえて、来た足跡をたどって帰りました。三個ではなく、一個でした。
値切られている、とわたしは言いました。どさん子は、キツネの去ったほうを見たまま、あっちがまけてくれたのだ、と答えました。
どうしてそこまでするのか、と聞きました。この土地の人に、何かしてもらったことがあるのか、と。
してもらっていない、とどさん子は言いました。自分は、この土地の人が作ったものが形になったものなのだ、と。人がじゃがいもを作らなくなれば、自分は消える。ただそれだけのことだ、と。
では自分のためではないか、とわたしが言うと、そうだ、自分のためだ、と答えて、笑いました。
雪の中に三日座っている者の、笑い方でした。
※
四月に雪が溶けました。
納屋の前の雪の山が崩れて、二十二個の芋が現れました。
誰も来ませんでした。
その家では、冬のあいだに畑を手放す話がまとまっていました。荷を積んで出て行く支度が始まっていて、納屋はもう使われていませんでした。
雨が降って、芋は泥をかぶりました。泥をかぶると、土と見分けがつきません。
どさん子は納屋の前に立ったまま、三日それを見ていました。手を出しません。あの子たちは、人の目に映るものを動かせないのです。芋を積めたのは、まだ雪の下にあって、誰のものでもなかったからでした。
四日目に、荷車が来ました。
老人がひとり、家から出てきました。
と言っても、一度で出てくるわけではありません。外の戸を開けて、風除室に入り、後ろの戸を閉めてから、前の戸を開けます。冬のあいだ、この土地の家はみなそうしています。寒さを二枚の戸で切るのです。
老人はその日も、荷を運ぶたびに二枚の戸を律儀に閉めていました。もう出て行く家なのに、閉めていました。
閉めてるね、とどさん子が言いました。
そうだね、とわたしは答えました。
あの人、ここに住むつもりだ。
どうして。
出て行く家の戸は、閉めないもの。
わたしは荷台を見ました。縄はもうかかっていました。米も、鍋も、布団も積んでありました。住むつもりの家から運び出すものではありません。
そう思う、とだけ言いました。
※
荷車が動き出したのは、昼を過ぎてからでした。
道に出るには、納屋の前を通らなければなりません。雪解けの水を吸った土は、見た目より深く緩んでいます。轍が沈み、荷車は納屋の前で止まりました。
老人は荷台を降りて、車輪の下を覗きました。何かを噛んでいました。
しゃがんで、それを引き抜きました。
しなびて泥をかぶった、小さな芋でした。
老人はそれを掌に載せて、しばらく見ていました。それから、あたりを見回しました。納屋の前の泥の中に、同じものが二十いくつ、転がっているのが見えたはずです。
老人は膝をつきました。ひとつずつ拾って、掌で泥を落とし、凍って黒くなったところを親指の爪で欠き、まだ白いところを日にかざして、うなずきました。それを二十二回くり返しました。
最後の一個を拾い終えると、老人は立ち上がって、荷車の縄をほどきはじめました。
植えられるね、とどさん子が言いました。老人にではなく、たぶん自分に。
聞こえてはいません。それでも老人は、そのとき確かにうなずきました。
※
老人は納屋の戸を開けて、中から古い木箱を引き出しました。芋を入れる箱です。ひと冬使わなかったので、蝶番が錆びて鳴りました。
二十二個を、その箱に並べました。
それから箱を、納屋の中ではなく、外の陽の当たるところに置きました。植える前にすこし陽に当てて、芽を起こしてやるのだそうです。
どさん子は、その箱のふちに腰かけました。
わたしが見に行くと、日なたで足をぶらぶらさせていました。三日ぶりに、座り込んでいない姿でした。
あたたかい、と言いました。
そうだね、とわたしは答えました。
どさん子は箱の中の芋を、ひとつずつ数えていました。二十二まで数えて、また一から数えていました。
ねえ、すねこ。わたし、来年もここにいるね。
うん、とわたしは言いました。いるよ。
※
その二十二個が秋にどれだけになったのか、わたしは知りません。数えるのは苦手です。
ただ、その畑は今もあります。
いまは大きな倉庫が建ち、機械が芋を洗っています。夏に行くと、白い花が畑いっぱいに咲きます。
どさん子もいます。背は伸びていません。あの子たちは伸びないのです。すこしふくよかにはなりました。
この前会いに行ったとき、どさん子は畑の隅にしゃがんで、何かを探していました。機械が全部拾うでしょう、いまは、とわたしが言うと、顔を上げて、あのときと同じ顔で笑いました。
「でもね。かならず、落ちてるの」
あのキツネの子孫は、いまも同じ畑に出ます。ちゃんと一個だけ持って行きます。代々、そういう約束になっているようです。
——猫は、手を貸しません。けれど、ちゃんと覚えています。
次回 第二話 青森 りんごのねぶりん
この連載に出てくる四十七人は、グッズやスタンプにもなっています。
あなたの県の子は、こちらから。
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ありがとうございます。猫が三日ぶんの魚を買えます。 