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私とUNISON SQUARE GARDEN

生活してて音楽が欠かせないという人間ではないことを自負している。幼少から音楽を聞くという文化が家庭にあまりなく、音楽がなくても他の娯楽があると思っているところがある。どちらかというと我が家はだいたいテレビが付いていてドラマやアニメの方が馴染み深かった。(唯一音楽を聴いていたのは父の運転する車の中で流れるGACKTや倖田來未ぐらいのように思う。)そんな幼少期を過ごしていたこともあり、完全なるテレビっ子、ずっとアニメが好きで色んなアニメを見ていた。田舎暮らしでテレビで見ることができる番組は限られていたが小学校のクラスメイトでアニメに詳しい友人ができ、パソコンでテレビでは見られない作品も見るようになっていった。今思えばあの頃から私は現代で言うところのドパガキであり、主題歌をあまり聞かずにスキップしてアニメ本編のみを観ていた。(恥ずかしながら今でもそのような時があるが)
後に敬愛することになるUNISON SQUARE GARDENに初めて出会ったのは、中学生の頃。私の初めてのユニゾン曲は『シュガーソングとビターステップ』であった。この曲は『血界戦線』の主題歌であり、私はこの作品をふらりと見始めたことでユニゾンと出会うことができた。エンディングをスキップをしてしまう前、イントロの華やかで心踊る数音に当時の私は心をすっかり掴まれてしまったのだ。耳によく残るこの曲がニコ動などで二次創作も交えながら盛り上がったのを何故か自分ごとのように嬉しく思っていたのを思い出す。その後、『Tiger&Bunny』から『オリオンをなぞる』と出会い、すっかり「好きなアーティストは?」と尋ねられれば「ユニゾン!」と答える中学生になっていた。
田舎で育ち、前述の通り音楽文化、CDやライブに馴染みがなかったため、CDを買う、ライブへ行く、グッズを買うなどはなかったもののYouTubeの恩恵を受けユニゾンにずっと親しみながらライト層として音楽を楽しませてもらっていた。ユニゾンが『ボールルームへようこそ』『3月のライオン』などアニメの主題歌になるたび、好きだぁ…としみじみしていた。幼いながらにユニゾンの歌詞が好きだった。困惑、葛藤、人の弱さがありながらもそれを受け止め前を向こうとする情景、背中を教えてくれる強さ、寄り添ってくれる温かさ、時にはボルテージを上げるように駆り立ててくれた。どの曲もメロディーと共に歌詞、言葉が私の人生に寄り添ってくれたように思う。

時が経ち、実家を離れ独り立ちをした2025年。環境の変化に弱い私の仕事、周囲が全て変わった。職務内容はあまり変わらないが、不安、緊張、適応へのストレスが加わる。へとへとの日々だったが、時間が積み重なりいつしか日常になる。新しい日常といえば実家では車移動だったのが公共交通機関になったことである。夜に歩くのが嫌いではなくなっていった。夜、駅から自宅への帰路のお供はユニゾンだった。音楽が生活に馴染んできていた。夏のフェスは逃したものの、Twitter(未だにXと言えない)でツアーが行われると聞き胸を高鳴らせたのを覚えている。いつなら行けるか、どこなら行けるか、鼻息を荒げながらwebサイトを見たのを覚えている。大きなライブなど行ったことがない人生。どうせ当たらないだろう、でもせめて、と記念受験のようにチケットに応募した。しばらくして当選のメール。職場の昼休憩に叫びそうになった。それからライブのためにせっせと準備をして当日を迎えた。私事だが、新しく迎えた2026年は最先出鼻を挫かれており、ライブ当日数日前には大失恋と称することにした一大事件が発生、心はすっかり疲弊していた。この日までライブがあるからとなんとか繋いできた日々。ライブ前のグッズ購入の大行列にびっくりしながらめぼしいものを購入する。が、買い忘れを思い出しもう一度行列に並んだのもいい思い出だ。初めてのライブは1番後ろの壁側。全く期待外れだ、と落胆はしたがライブが始まればそんなことは吹っ飛んでいった。素晴らしい音楽と共に素晴らしい演出、心が高鳴った。体内に響くドラムとベースの音が心地よく、ボーカルの美しい旋律に耳が喜んでいた。

また春が来て僕らは
新しいページに絵の具を落とす
友達になった、おいしいものを食べた、
たまにちょっとケンカをした
それぞれの理由を胸に僕らは
何度目かの木漏れ日の中で
間違ってないはずの未来へ向かう
その片道切符が追い風に揺れた今日は
花マルだね

春が来てぼくら

アンコール曲の『春が来てぼくら』が当時の私には深く、深く刺さった。こんなにも音楽に救われた経験はなかった。大失恋から砂漠のようだった心が目から溢れた涙で豊かになっていったように思う。
全てが大丈夫だと、そう思えた夜だった。
休憩したっていいし、少し力を出せば前にだって進めると、そう思えた夜だった。

4月から担当が変わりまた新しい環境への適応に胃を痛める日々だった。
2026年4月27日
何気なくTwitterを見ていた私は力の抜けるような思いだった。この世は無常である。全て移ろいゆくものであるのを頭で分かっていても、心が受け入れることを拒絶していた。
7月はまだ遠い未来だと思いたかった。
心の安定剤を失いかけながら、仕事の忙しさが増していった。脱退、活動休止が発表されてからユニゾンの曲を聞くのが怖くなってしまった。仕事の影響で精神的にも不安定になり、5月には適応障害と診断を受けるまでになった。まだ大丈夫、まだできる、もっとやりたいのに、沸々とした気持ちが渦巻いていた。活力が出ないものの休日に外に出られなくなったらいよいよだと思い、なんとかバスに乗って出かけた。カラオケに行こうと思いふらっと立ち寄る。何を歌おうか迷い、ユニゾンの欄を開く。無心で次々に予約していき、後に自分の喉がイカれるのもつゆ知らず全力で歌っていった。心がみるみる元気になっていき、じわじわと言葉が染みていった。

理由のない涙もあるけど
想い続けていればきっと 会えるから
大切な言葉 今 ヘタクソでも言わなくちゃ
誰かと誰かを繋ぐ星空の下
ありがとう ありがとう
ここからまた始まってく
今日が今日で続いていきますように

harmonized finale

現実は受け止めきれないでいたが、この歌詞を見てユニゾンの出会えて良かったと心から感謝が込み上げてきた。
ユニゾンはここで終わるのではなく、休止符が打たれるだけなのだと。
今まで世界に音楽を残してくれたことは永遠に変わらないのだと。
空の下で全ては繋がっている。
またしてもユニゾンの音楽に救われた夜だった。

7月15日の現体制ラストライブにはもちろん応募していた。チケットが取れるわけもないと思っていたがどうしてもの思いだけで。仕事からの帰り道。疲労感と劣等感で押し潰されながら、ふっときた通知を確認して道端で叫びそうになって慌てて手で口を押さえた。当選していたのである。それから走って家まで帰り、玄関で座り込む。改めてメールを確認する。それまで自分を苦しめてばかりで幸せになる選択すらできないでいた自分だったがその一通のメールで悩みは些細に思えて良い意味でどうでも良くなった。
それから激務をこなしていきながら、7月15日…と呟きなんとか乗り越えていった。日付が近づいていっても脱退/活動休止に現実味はなく、そのまま当日を迎えた。今回も後方も後方の場所となり身長が低いことを人生で1番恨んだ瞬間となったが、せめてもと前日にはメガネを新調し少しはクリアに…と思いながら、空気を浴びにいく心持ちで挑んだ。もはや記憶が朧げであるが、3曲目『オリオンをなぞる』で涙が吹き出す。ココデオワルハズガナイだろ?と恨めしく、私がいてあなたたちがいてそれだけで十分だと満たされて。でも、ここでずっと悲しくライブを聞き続けるよりも今この音楽を空気を全力で楽しんだ方が幸せだと思った私は、それから明日からのことはすっかり忘れて楽しむことにした。ライブ中はあんなにも感情が溢れ出していたのに終わると記憶喪失のようにベールがかかってしまうのには何か名が付くのだろうか。悔しい気持ちもあるが、とにかく『徹頭徹尾夜な夜なドライブ』が死ぬほど楽しかった。(ここまでなんとか言葉を繋げたくせに語彙力を手放しすぎている)
最後、Dr.鈴木さんのドラムソロ。初めてドラムソロというものを見た/聞いたが、圧巻だった。打楽器がこんなにも豊かに表情を変えるのだと思い知らされた。私はドラマの技法など何もわからないが、最後のドンドン、ドンドン、ドン…ドン…ドン……____心音のようなビートが次第に弱まっていくのを肌で感じて、嗚呼と思った。最後のMCを聞き、(何様だとは承知の上で)納得の最後であった。ここまで美しいライブになるとは思っていなかった。ライブ後の自分がここまで満たされたものになるとは全く予想できなかった。
章節の美しい終焉を目の当たりにした。

ここまで長々と私とユニゾンを振り返りながらつらつらと書き続けてしまった。他の人から見たら深みのない浅い関係であり、思い出かもしれない。それでも10年以上好いていたものの変化を迎えて筆を取りたくなってしまった。

今はただ心からの感謝を。

いつまでも私の好きなアーティストはUNISON SQUARE GARDENだと言い続けていきたい。

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