武田騎馬軍団は馬から降りて戦った——死亡率を上げる戦術を取る戦国の勇者達
戦国時代の武田軍といえば、何を思い浮かべるでしょうか。
赤備え。
風林火山。
そして騎馬軍団。
かつては、武田の騎馬武者たちが大群となって敵陣へ突撃する姿が、映画やドラマで盛んに描かれていました。
ところが近年では、こうした武田騎馬軍団像に疑問が呈されています。
「武田軍に、ヨーロッパの騎兵隊のような独立した騎馬軍団があったわけではない」
これはわかります。
戦国時代の軍隊は、大名のもとに槍兵、弓兵、鉄砲兵、騎馬武者などが組み合わさった軍勢でした。
武田軍一万五千人が全員馬に乗って、
「騎馬軍団、突撃!」
と一斉に走ってきたわけではないでしょう。
ところが、この話にはときどき不思議な続きがあります。
「騎馬武者は馬を移動に使っただけで、戦闘になると馬から降りて戦った」
本当でしょうか。
少し考えてみましょう。
あなたは戦国武将です。
高価な馬を持っています。
幼いころから乗馬を練習しています。
鎧を着たまま馬を操る技術も身につけています。
そして戦場へ、その馬を連れてきました。
敵が現れます。
さあ、どうしますか?
「敵だ!」
「よし!」
「馬を降りろ!」
……なぜでしょうか。
徒歩になれば遅くなります。
敵の側面へ回りにくくなります。
危険になっても逃げにくくなります。
敵が崩れても追撃しにくくなります。
そして何より、囲まれやすくなります。
わざわざ金をかけて馬を育て、戦場まで連れてきて、戦闘が始まった瞬間に機動力を捨てる。
ずいぶん勇敢です。
というより、死亡率を上げています。
もちろん、馬から降りて戦うこと自体は何も不思議ではありません。
山道。
湿地。
狭い場所。
柵がある場所。
あるいは歩兵と一緒に、その場所を絶対に守らなければならない場合。
こういう状況なら、騎馬武者だって当然馬から降ります。
こんなときはヨーロッパの騎士だって下馬して戦いました。
問題は、
「騎馬武者が下馬することがあった」
ことと、
「騎馬武者は基本的に下馬して戦った」
ことは、まったく別だということです。
むしろ、広い野戦場で馬が普通に動けるなら、馬から降りない方が自然でしょう。
特に武将ならなおさらです。
馬上にいれば、歩兵より高い位置から周囲を見ることができます。
味方からも、
「あそこに大将がいる」
と分かりやすい。
戦列の一部が崩れたら、すぐそこへ移動できます。
別の部隊へ命令を届けることもできます。
敵が迫りすぎれば、距離を取ることもできます。
指揮官にとって馬とは、単なる乗り物ではありません。
移動手段であり、
指揮装置であり、
そして何より、
生存装置です。
指揮官が死ねば、その周囲の命令系統まで消えます。
だから本来、武将ほど簡単に死なせてはいけない。
ところが「戦闘時には下馬するのが普通だった」とすると、
戦闘開始。
↓
指揮官、馬を降りる。
↓
徒歩兵と一緒に突撃。
↓
乱戦になる。
↓
味方から見えない。
↓
囲まれる。
↓
死ぬ。
という、大変勇ましい軍隊が完成します。
戦国の勇者達です。
しかもこれに「馬は主に伝令用だった」という説明まで加えると、さらに不思議なことになります。
伝令とは、戦場で最も死なせてはいけない人間の一つです。
大将の命令を別の部隊へ届ける。
現場の状況を大将へ持ち帰る。
そのために馬に乗っている。
だったら敵が現れた瞬間、
「お前、馬降りて突撃してこい」
とは普通言わないでしょう。
死んだら誰が次の命令を運ぶのでしょうか。
そもそも伝令に必要なのが数人から数十人程度なら、軍隊に大量の騎馬武者を抱える必要もありません。
馬は高価です。
餌を食べます。
水を飲みます。
長距離遠征なら飼料も必要です。
馬具も必要です。
馬を扱える人間も必要です。
それだけの兵站負荷を負ってまで、何百騎もの馬を連れていき、
「戦場まで来ました。では皆さん降りてください」
では、費用対効果があまりにも悪い。
では、なぜ騎馬武者がいたのでしょう。
答えはもっと単純だったのではないでしょうか。
馬に乗って戦うと強いからです。
馬に乗れば速い。
敵の弱点へ移動できる。
味方の危険な場所へ駆けつけられる。
敵の側面へ回れる。
敗走する敵を追える。
逆にこちらが崩れれば離脱できる。
そして敵戦列が乱れた瞬間には、そこへ高速で戦力を投入できます。
騎兵の強さとは、必ずしも馬の重量をそのまま敵へぶつけることではありません。
戦闘力を高速で移動できること。
ここが大きい。
ヨーロッパでは、その能力をさらに正面突撃へ振り切って、ランスを持った重騎兵が発達しました。
しかし日本の騎馬武者が同じ武器体系を持つ必要はありません。
槍でもいい。
太刀でもいい。
大太刀や長刀でもいい。
歩兵や射撃によって敵の戦列が乱れたところへ入り、そのまま乱戦を拡大できればいいのです。
そして日本には、鎌倉時代から馬上で戦う武士の長い伝統があります。
馬上から弓を射る。
接近すれば太刀を使う。
南北朝期には長刀や大太刀も使われる。
集団で馬を並べて敵へ攻めかかる描写も、中世軍記には普通に現れます。
それが戦国時代になると、突然、
「皆さん戦闘時には降りることにしました」
となったと考えるには、それなりの理由が必要でしょう。
しかも武田氏の本拠である甲斐と、その勢力圏となった信濃は、歴史的に馬との関係が深い地域です。
軍役でも「馬上」は歩兵とは別に数えられます。
そして長篠の戦いでは、織田軍が設けた柵について『信長公記』がわざわざ、
「馬防の為」
と記しています。
馬を防ぐための柵です。
もし武田の騎馬武者が、
「敵を見ると自主的に馬から降りてくれる人たち」
だったなら、何を防いでいるのでしょうか。
もちろん馬防柵は、歩兵にとっても邪魔です。
鉄砲隊を守る障害物としても機能したでしょう。
だから「馬防」と書いてあるだけで、武田騎馬軍団の全貌が分かるわけではありません。
しかし少なくとも、
敵の馬が戦術上の脅威だったから、馬を防ぐ設備を作った。
そう考えることには、何の不思議もありません。
よく引用されるフロイスの「日本人は交戦の際には徒歩で戦う」という記述も、彼自身がその戦場で観察した結果ではありません。
彼は白井河原合戦の現場にすらいませんでした。
つまり私たちは、四百年以上前にフロイスが誰かから聞いた「この戦いでは皆、馬を降りた」という話に添えた一般論を根拠に、甲斐の武田騎馬武者まで馬から降ろしている可能性があります。
壮大な伝言ゲームです。
では、昔ながらの「武田騎馬軍団」は正しかったのでしょうか。
ここでも二択にする必要はありません。
武田軍に数千騎だけで構成された独立騎兵軍団が存在し、それが西洋騎士のように一斉にランスチャージした。
これは疑っていいでしょう。
しかし、
武田軍には全軍で相当数の騎馬武者がいた。
彼らは各部隊に配置されていた。
必要に応じて数十騎、数百騎という単位で集まり、馬上で機動・攻撃した。
地形や戦況によっては下馬もした。
この程度なら、むしろ非常に普通の軍隊に見えます。
全軍で二千騎程度の騎馬戦力があったとしても、一度に二千騎が横一列で突撃する必要などありません。
百騎がここで攻める。
二百騎が別の場所へ回る。
崩れた敵を別の騎馬集団が追う。
必要なら歩兵と合流する。
これで十分です。
そして敵から見れば、百騎でもかなり怖いでしょう。
馬に乗った武装した男が百人、自分たちへ向かって走ってくるのです。
「騎馬軍団というほどではありません」
と言われても、
徒歩兵からすれば、
「いや充分多いわ」
という話です。
歴史研究によって、昔の派手なイメージが修正されることは重要です。
しかし、
「武田軍全体が騎兵だったわけではない」
ことから、
「騎馬軍団などなかった」
へ進み、
さらに、
「騎馬武者は戦闘時には馬から降りていた」
まで進んでしまうと、少し話が変わります。
そこまで行くと今度は、
なぜ大量の馬を維持したのか。
なぜ馬上軍役があるのか。
なぜ中世以来の馬上戦闘が消えたのか。
なぜ馬防柵が必要なのか。
なぜ指揮官までわざわざ生存率を下げるのか。
という別の疑問に答えなければなりません。
歴史では、ときどき昔の説を否定するあまり、反対側へ行きすぎることがあります。
「巨大な武田騎馬軍団が一斉突撃した」
というイメージが誇張だったとしても、
だからといって、
「武田の騎馬武者は馬から降りて戦った」
まで言う必要はありません。
馬から降りる理由は、いくらでもあります。
しかし、
馬に乗ったまま戦える状況で、わざわざ馬から降りる理由は、それほど多くありません。
強い武士を育てる。
高価な馬を飼う。
鎧を着たまま馬を操れるよう鍛える。
その馬を遠征先まで連れていく。
そして敵が現れた瞬間に、
「よし、降りろ!」
たしかに勇敢です。
ただしそれを戦術と呼ぶなら、
武田騎馬軍団とは、
わざわざ死亡率を上げて戦う、たいへん勇敢な戦国の勇者達だったことになります。
命がけの戦いであったからこそ、生存率が上がる行動をとるのではないでしょうか。
補遺 ○山説の戦場モデルを実際に動かしてみる
ここまで読んで、
「いや、騎馬武者だって最初からずっと馬に乗っていたわけではない。まず馬から降りて徒歩で戦い、敵の陣形が崩れたところで再び馬に乗り、騎馬衆として乗り崩したのだ」
という説を思い浮かべた方もいるかもしれません。
なるほど。
整理すると、こういう戦術になります。
騎馬武者が戦場へ到着する。
↓
馬から降りる。
↓
自分の郎党や足軽とともに徒歩で敵陣へ突撃する。
↓
乱戦によって敵の陣形を崩す。
↓
敵が崩れたことを確認する。
↓
騎馬武者はいったん戦闘から離脱する。
↓
後方にいる自分の馬のところへ戻る。
↓
再び騎乗する。
↓
騎馬武者たちを集結させる。
↓
騎馬衆として敵陣へ突撃し、崩壊を決定的なものにする。
文章だけ読むと、特に問題がないようにも見えます。
では、これを実際の戦場でやるとどうなるのでしょうか。
せっかくなので、アンビ◯バボー的再現ドラマにしてみましょう。
ニャルラトドラマ『風鈴無残』
時は戦国。
某国で両軍が激突していた。
その日、○○家の騎馬武者たちは馬から降り、徒歩となって敵軍へ突撃した。
激しい槍戦。
飛び交う矢。
響き渡る鉄砲の音。
やがて――。
「敵が崩れ始めました!」
一人の武士が叫んだ。
ついに、その時が来たのである。
騎馬武者たちが再び馬に乗り、一気に敵陣を乗り崩す時が。
大将は叫んだ。
「よし! 騎馬衆を集めろ! 馬を取りに戻るぞ!」
「はっ!」
騎馬武者たちは、今まで戦っていた敵に背を向け、後方へ走り始めた。
「待て! ○○殿はどうした!」
「○○殿ですか!?」
「そうだ! 一緒に馬へ戻るぞ!」
「○○殿は――」
家臣は一瞬、言葉を詰まらせた。
「先ほど討死なされました!」
「えっ」
敵を押し崩すため、最前線で戦っていたのである。
当然、死ぬ者もいる。
「……では××殿を呼べ!」
「××殿はあちらです!」
大将が振り返る。
数十メートル先。
××殿は敵兵数人に囲まれ、必死に槍を振り回していた。
「助けに行くか!?」
「しかし今は騎馬突撃の好機です!」
「では××殿はどうする!」
「…………」
その時だった。
「▲▲殿がこちらへ戻ってきます!」
見ると、▲▲殿が敵との戦闘を切り上げ、こちらへ走ってくる。
「おお! ▲▲!」
「殿! ただいま――」
その瞬間。
「隙あり!」
後ろから追ってきた敵兵が、▲▲殿の背中へ槍を突き立てた。
「▲▲――!」
▲▲殿、討死。
「…………」
だが、悲しんでいる暇はない。
敵は今まさに崩れかけている。
一刻も早く騎馬衆を投入しなければならない。
「と、とにかく馬だ! 馬はどこだ!」
「後方です!」
「どこまで下げた!」
「敵の矢が届かぬところまで!」
「具体的にどこだ!」
「……あちらの林の向こうかと!」
「遠いわ!」
騎馬武者たちは走った。
重い甲冑を着たまま走った。
背後では、さっきまで押されていた敵兵たちが何やらざわついている。
「おい、敵が逃げてるぞ!」
「逃げてるんじゃない! 馬を取りに行っているんだ!」
もちろん、敵にそんな事情は分からない。
そして困ったことに、味方にも分からない。
前線に残された足軽が叫んだ。
「武将衆が退いてるぞ!」
「えっ!?」
「負けたのか!?」
「殿が逃げたぞ!」
「違う! 騎馬突撃の準備だ!」
「何それ!?」
ざわめきが広がる。
さっきまで敵を押していた味方の戦列が、今度は少しずつ後ろへ下がり始めた。
一方。
林の向こうでは――。
「俺の馬はどこだ!」
「こちらです!」
「これは□□殿の馬だろ!」
「あっ」
「俺の馬は!?」
「確かこの辺に……」
「馬持ちはどこだ!」
「先ほど敵兵がこちらへ回ってきたので、さらに後ろへ移動しました!」
「どこまで!?」
「分かりません!」
馬は自動車ではない。
その辺に置いておけば、同じ場所で静かに待っているわけではない。
しかも騎馬武者には、それぞれ普段から乗り慣れた馬がある。
戦場の怒号、鉄砲、血の臭い、人の群れ。
そんな場所で、
「まあ誰の馬でもいいから乗れ」
とはいかない。
「仕方ない! この馬を借りる!」
「殿、その馬は気性が荒く、□□殿以外が乗ると――」
「今はそんなことを言っている場合か!」
大将は馬へまたがった。
馬が暴れた。
「うわっ!」
大将、落馬。
まだ敵陣へ着いてすらいない。
その頃、ようやく自分の馬を見つけた武者もいた。
「よし! 乗ったぞ!」
「こちらも!」
「何騎集まった!」
「十五騎です!」
「少なっ!」
「残りは!?」
「討死、負傷、所在不明、戦闘継続中です!」
「突入前は百騎いたよな!?」
「はい!」
「どこ行った!?」
「徒歩で戦わせましたので!」
「…………」
しかし、ついに騎馬隊は編成された。
敵が崩れた。
そこへ騎馬で突撃する。
完璧な作戦である。
「よし! 行くぞ!」
「おお!」
十五騎の勇者たちが、勢いよく林を飛び出した。
その先には――。
先ほどまで崩れていた敵軍が、再び槍を並べていた。
「……あれ?」
敵はすでに立て直していた。
こちらが馬を取りに行き、馬を探し、人員を集め、再騎乗している間に。
「敵、槍衾を形成!」
「…………」
「どうします?」
「…………」
「殿?」
大将はしばらく考えた。
そして言った。
「降りるか」
「また!?」
――こうして、○○家の勇者たちは再び馬を降りたのであった。
もちろん、実際の戦国武士がこれほど間抜けだったと言いたいわけではありません。
むしろ逆です。
彼らはこんな馬鹿な運用をしなかったのではないでしょうか。
騎馬突撃という戦術を認めるなら、その最大の価値は速度です。
敵の戦列が揺らいだ。
一角が崩れた。
側面が空いた。
その瞬間に、高速の戦力を投入する。
だからこそ騎兵には意味があります。
そのための騎馬衆をいったん下馬させ、最前線の乱戦へ投入し、部隊をばらばらにし、負傷者や戦死者を出し、敵が崩れた瞬間になってから、
「さあ、自分の馬を探しましょう」
では遅いのです。
敵は待ってくれません。
馬はワープしてきません。
討死した武将は復活しません。
乱戦中の武将はクリック一つで戦闘解除できません。
そして前線から一斉に後退すれば、味方から敗走と誤認される危険まであります。
もし歩兵によって敵を崩し、その後に騎馬衆を突入させるのであれば、もっと簡単な方法があります。
最初から騎馬衆を馬に乗せたまま待機させておけばいいのです。
徒歩の兵が敵を拘束する。
槍、弓、鉄砲で戦列を乱す。
騎馬衆はその間、騎乗状態で温存される。
そして敵の一角が崩れた瞬間、一気に突入する。
これなら馬を探す必要もありません。
騎馬武者を再集合させる必要もありません。
背中を向けて乱戦から離脱する必要もありません。
敵が立て直す時間も与えません。
なにより、
騎兵最大の武器である「速さ」を、ちゃんと速いまま使えます。
要するに、
歩兵が網。
騎馬が槌。
網に獲物が掛かった瞬間、槌を振り下ろす。
そのためには当然、槌は最初から手元に置いておく必要があります。
網に獲物が掛かってから、
「よし。では倉庫へ槌を取りに行こう」
とは、普通はならないのです。
