自殺について なぜ自殺した人に攻撃的、不快感って言う人がいるのか なぜ自殺は非難されるのか
自殺したとされるアーティストに対して
別の2人の人間がインタビューを受けている動画があった
そしてコメ欄 インタビュー受けてる人間を称賛している、受けている人間の印象について話していた
僕はそのコメ欄は不快だった だから録音(③)した そして文章(①)を書いた 最後に「自殺を非難する人で」検索した(②)
①文章 コメント
ここまで意見合わないこともないな
自殺に関して何をもってしても良い悪い、肯定否定は言えないと思う
死と生の単純化をしすぎ そして印象で決めすぎ そういう状況を見ると指摘せずにはいられない
人はいつか死ぬ どんな形であれ
もう既に起きたことだし、変わらない事実である
非難は短絡的で単純化しすぎに感じる
僕がしたいのは自殺の肯定でもなければ、自殺の否定でもない
どうすれば自殺が起きないかを考える、調べること まだはっきりしていないだろう
すぐに思いつくのは状態 個人的な経験としては楽になりたい 選択肢として死が浮かぶ
生きることに苦痛しかないなんてありえないって思う人にはわからない
生きることが苦痛な人でも自殺した人ではないからわからない
そもそも自分も他人もわからない
自殺を行なった人間は死んでいる
自殺をやめさせたいからと言って、愚か、最悪ベースで禁止みたいな考え方を説いても意味がない 自殺は意識によって止められる状態じゃないではな場合もある
選択したかもしれない 選択せざるを得ないかもしれない
人に何かをやめさせるというのは、攻撃したところで、止まらないと思う
お悔やみは残ってる人、そして自分自身を気楽にさせる 葬儀や弔いも同様に
印象の話も不快 人の死は衝撃的で重大 だけどその死に対する反応をエンタメあるいは称賛するのは不快だし、リアクションに良い悪いもない
インタビューは意味がわからない ただ起こったことは事実 インタビューがなされたのは事実
死んだ人には意識はないだろう だけどかつて生きていた人 その元、生きていた人に対して攻撃できる非難できるのは理解できない
自殺した人に気持ちがわかると言えるのは自殺した人のみだけど、それはわからない
死後はわからない でも多分ないだろうって思う ただ苦痛を和らげるために何かを信じるのはダメなことじゃない
僕は無責任に生きろとは言えないけど、死んだ方が得とも言わない
何も言えない 非難するは意味がわからない
運が良いか悪いかなんて絶対的なものじゃない 生きているうちは意識と五感や痛覚がある 死んだら意識と痛覚はないだろう
生か死か 意識の有無 痛覚の有無 感覚の有無 可能性の有無 死んだら元生命の現無機物 残された人はまだ生きている
これから死を選んで楽になりたい人に、
生きて楽になれる方法を提供できる、証明できる人ではない人がは自殺に関して非難するのはお門違いに感じる
何を持ってして生きてれば良いことある、楽になれると言えるのか。既に死んでいるのに
ただ提供できる人だったとしても確率は必要。出会う、伝わる確率。
なぜ元生きていた人を非難できるのか
僕には自殺願望、希死念慮はあった時期がある。でも生きているのは偶然でしか無い。
苦痛だけでは無く生きている人側からすれば生きてればラッキー、死んだらアンラッキーかもしれないけど。
僕は生きている人に注目する。数日後、数週間後、数ヶ月後、数年後にその人が自殺ではなくとも楽になれる方法が見出すことができるなら
少なくとも自殺を非難するという発想では自殺が食い止められないと思う。
既に死んでいる。非難で自殺に踏みとどまれるなら、まだ生きれてる。
意識と痛覚、感覚そう言ったものが無くなるなら苦しまない、苦痛が終わる
解放される
ただ以上の文章は、個人的な感覚である、楽になりたい選択肢としての死を前提にしている。だがそれだけでは無いだろう、原因不明から状態に至るのかもしれない
意識によって制することができる人は今も生きている
死んでいる人は何によって死んだのかはわからない。何を考えていたのか。
死の瞬間まで脳内を観測していたのならまだ多少わかるかもしれないが。
僕の印象としては、自殺願望、希死念慮がある状態で、あと少しの動作で動くだけ。そしたら多分死ぬ、途中で生きたいと思っても一方通行で間に合わないから。
銃刀法がなくて、銃が手に入れられるなら
もしも電車であと一歩踏み出す状況に行ったなら
屋上で踏み出す状況に行ったなら
海で溺れるなら
どれだけ生きたいと思っても引き返すことはできない
違うパターンではようやっと終われる 楽になれる
自殺を助長するつもりはない 非難するつもりはない
死で楽になれる あるいは操作不可な状態によって人は死ぬ
生き残ってる人 今を生きている人。 なぜ自ら死に至るのかは不明だけど、
少なくとも非難で辞めさせられるとは思わない
そうやって単純化して、最悪ベース、意識ベースで考えるのが理性的とは思えない
自分と他人は違う 自分のこともわからないし、他人のこともわからない
少しだけ部分的に、自分や他人のことがわかる、
恥、罪悪感、怒り、憎悪
突き放したところで、帰ってくるのも確率による
僕は突き放して良い結果になるとは思わないけど
生きて後悔する 後悔して生きる 死んだら、意識も痛覚とか感覚はきっとないだろう 死んだことある人はいない 厳密には死んではいない
死は不可逆的で、軽率な言動によって引き起こされるのは気分が悪い
故人にぶつけたところで何も起こらないか。残された側は何かを思うだろう。
死んだら意識も感覚、痛覚もないとしたら、侮辱や非難、賞賛も何も届かないだろう、わからないけど。確かなことは生きてるうちに直接伝えれば、確実だし、間接であれば確率。少なくとも死はきっと0%だろう、だが生は1%以上なことは確か。
僕は自殺願望や希死念慮 楽になりたいから生でも死でもいい
ただ偶然、確率によって生きてる
仮に生き残っても苦痛は終わらない。何なら非難されるだろう、自殺未遂は。
そして自殺を防げなかった周囲へ
わからない、知らない人ほど
わかった気がする、知った気がする
本人にしか、わからない
文章や記録は脳内じゃない
本人の書いた記録であっても、主体として本人自体じゃない
僕の現在の認識しては、エネルギーとしてどうやって死後に意識や空間があるのか証明のしようがないものを考えてもしょうがないし、確かなことだけで考える。
死んだら反応はあるのは確か
人はいつか死ぬのも確か なのに自殺だけはそれには当てはまらないとしている印象がある。
自殺は意図していないが、確率的に選択した時、その選択は引き返すことが不可だった
生命の定義に基づいたとき、そうではない状態
それも人間としての主体、名前、個体名
ただ現代ではない、まだ明らかになっていないものはわからない
自殺を非難してしない場合、非難されてもする場合
なぜ非難するのか それが社会、生きている人にとって都合が悪いからなのかもしれない
僕は生の苦痛は蔑ろにされてると感じてる 死は未知だし、重大だけど
生は既知と未知だし、意識と感覚があるから苦痛と楽しさがある
意識は100%じゃない 脳内でもわかりやすく合理的なわけではなく、
様々な要素、複雑で重なる部分は矛盾しているように見えるかもしれない
生きてりゃ良いなんて短絡的すぎる 単純化しすぎ もっと具体がある
だいたい、どんな死に方ってのも生に含まれている
死ぬ直前の生の苦痛、物理的な死の原因となった苦痛
それを選ぶ前の生活の苦痛
人生がある 自分と他人は同じじゃない 自分が自殺を選ぶのが愚かって思うのは自分じゃなくて他人なのにも関わらず、あたかも自殺しない選択肢があったのではってIFの話をしている 事実は明らかで死んでいる 死んでいる人にIFはない
僕は苦痛を蔑ろにしたくない。 苦痛を蔑ろにすることに無自覚でいることは怖い。
他人の苦痛や自分の苦痛を把握できなければ、いくらでも残酷になれる。
苦痛は感覚器官と脳による
非難も攻撃も不快感も他人の苦痛に無自覚だと思う
自分の苦痛には自覚的なのか あるいは無自覚的に無意識的に反応として
攻撃、不快、怒り、憎悪するのかもしれない
僕には失敗はある 他の人にも失敗はある
失敗は許した方が窮屈じゃない
綺麗事ではなく、実利として
許した方が切り替えられると感じる
許すというのは正当化、擁護ではない
殴らない、攻撃しない、侮辱しない、放置できる
憎悪は憎悪で生み出される 自分から自分へ 次から次へと
終わることがない 楽しくもない 脳は楽しいと錯覚してるだけで、同時に苦痛もあると僕は個人的な経験からそう思う 父を憎悪し、祖父母を憎悪し、周囲や世間、社会の構造に憎悪する。中二病でも何でもなくただひたすらに憎悪
そこから解放された時は、気楽になったし、安心した
他者を蔑ろに、憎悪を解消しようと他者に苦痛を与えようという発想が終わったから
今でも反応的に不快感、攻撃性はある 僕は大事な存在や関心あることには反応せずにはいられない
【作品や非実在なキャラクター、実在する人間、実在した人間】
好きなモノ 蔑ろにされた時、僕は反応する
好き嫌いに関わらず他者への侮辱や憎悪はやめてほしいって思って自分も無自覚なまま憎悪してる 自覚したらやめれることもある
自覚してもやめれない時もある そういう時は時間が解決する 別の興味は移れば、憎悪ではない感情が途中に挟まれば、落ち着く
【自殺 精神疾患 症状 障害】
蔑ろにされると僕は反応する
重度の障害 属性と全体 リソース 自分と他人は違う
生きている人と生きている人
元生きていた死んだ人 ホモサピエンスと人
機械と人
生命と無機物と現象 蔑ろにされるのは嫌だ
リソースは限られている 心地良いか気分良いか
心地悪いか気分悪いか
2つ目、線引きは怖い 自分と他人は一つ目の線引き
能力の有無 病気の有無 障害の有無
奴隷 ナチス 迫害
国籍 母国か他国か 人間か否か 生物か元生物か 食べ物か食べ物でないか
2つ目の線引きは怖いけど、蔑ろにする側になった場合
得をするのも怖い
僕はその得も怖い 誰かを蔑ろにする、苦痛に対して何も思わなくなるのは怖くてたまらない ホモサピエンスの定義 生命の定義 無機物の定義
定義がある
何に対しても、蔑ろにしない、苦痛をゼロにすることはできない
食べること、自らのために生きるために、相手を殺すか
納得 落とし所 どこか何か考える 苦痛を和らげる捉え方を
正当化できることは基本的にない 正当化はできない
ただ起きた事実は変わらない 解釈は変えられる
選択と運 後悔はどんな選択をしてもするかもしれない
大きな後悔より小さい後悔が選べるよう選択していく
選択はコントロール力100じゃない 運がある
因果は複雑だから、自ら望む因果になるかどうかなんてわからない
運で確率
② 「自殺を非難する人」検索結果
AIの概要 9件の引用から
自殺を非難する背景には、主に以下のような要因や心理が考えられます。
社会的な偏見とスティグマ:
日本では「自死は恥である」「迷惑である」といった社会的な偏見やスティグマ(負の烙印)が根強く存在します。
こうした意識は、自殺した本人だけでなく、遺族に対しても向けられることがあり、遺族が世間の目を恐れて死因を隠す原因にもなります。
「自己責任」という誤った認識:
自殺は、精神疾患や多様で複合的な要因が絡み合って追い込まれた結果であり、個人の意志や自己責任だけでは説明できません。
しかし、自殺に至る背景への理解が不足している場合、「本人が悪い」「好きで死んだ」といった誤った認識から非難が生じることがあります。
感情的な反応(怒り・否認):
身近な人の自殺に直面した際、残された人々は驚愕、悲嘆、怒り、罪悪感など複雑な感情を抱きます。
「どうして相談してくれなかったのか」「なぜ防げなかったのか」といった思いが、故人への怒りや非難という形で現れることがあります。
また、あまりにも衝撃的な出来事であるため、現実を認められない「否認」の心理が働くこともあります。
死に対する恐怖や嫌悪感:
自殺という行為自体が持つ「死」というテーマや「非日常的な死」への恐怖心や嫌悪感が、非難的な態度につながることもあります。
「自殺は気味が悪い」「うつる」といった発言は、そうした感情の表れと考えられます。
自殺に対する誤解:
自殺を考えている人は「死ぬ覚悟ができている」という誤解がありますが、実際には「生きたい」気持ちと「死ぬしかない」気持ちの間で激しく揺れ動いています。
また、自殺の多くは衝動的ではなく、その前に何らかのサインを発していることが多いという事実も知られていない場合があります。
厚生労働省や専門機関は、自殺が「誰にでも起こり得る危機」であり、背景には追い込まれた心理状態があることを理解し、偏見をなくして支援につなげることが重要であると呼びかけています。自殺に関する発言をする際には、故人を非難したり貶めたりするような表現は避けるべきとされています。
9件のAIの概要の元情報
自殺総合対策大綱 - 厚生労働省
第2部 自殺の危険性の高い人への対応 - 埼玉県
https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/19464/206597.pdf
令和4年中における自殺の状況 - 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/content/R4kakutei01.pdf
自殺を考えている人の心理
自殺後に遺された人への対応
深刻な影響を受けていると思われる人に親身になって話を聞くこと自体が
自死遺族への支援 -国立精神・神経医療研究センター(NCNP)
全国自死遺族連絡会
こころといのちのSOSガイドブック -門真市
③11:22の録音の文字起こし機能
時系列としては一番最初に文章の方がしっかりしてるけど
文字起こしの誤字 視野、いろんな状況、〇〇、銃
貴 #ま 、いやなクソだなと思う。世の中はクソだと思う。クソと言えば、自殺に関しては、いやそれは。 1番いいことは自殺をしないで、楽しく生きれること、あるいは。辛さ苦痛をなくせて楽になれることやけど。それが必ずしも遂げられるとは限らなくない。 まじで。それをないが、しろにしてるでしょう。あたかも生きてたら、それが確実だって思ってる人いるけど、そんなことないからね。 だってシェアが狭くなるし、いろいろこう辛くなるというか、いや、別にそれは責任なのかというと別にそれは流れであって。だから、もうありえないなと思うよね。僕は自殺に関しては、いや肯定というか。 肯定はしないけど、別にいや肯定とか否定とか、いや #まあ 、個人的には。 #もう起きたことはもうどうにもなんないから 、そういいか悪いかとかって言えば。何をもってしていいって言ったり、何をもってして悪いって言うんだろうっていうのはあるよね。 #その自殺はいいものだっていうことというか個人の感覚として 、僕はその楽になる道がししかないんだったら、僕は史を選ぶなと思うよね。だって楽になれる道がないんだもん。いや、そのね、無責任に楽になれる道があるって思ってるんだったら、それむちゃく茶ゃだなと #まあ 、何原因で死ぬんかわかんないけど。 なんかなって思うよね。 #まあでも 、それで自殺する時にね。巻き込んで人死ぬとか言うけど、いやでも、それもさ。 個人的には、それは #なんかいやっふんだなって言うしかないっていうか 。ふんというかさ。 #なんか勝手に死んどけって言うけど 、いやでも、そのね、そういう空気感こそがって思っちゃうけどな #なんか 。 何をもってしてっていうのは大事だと思うよね。何をもってしていいか悪いかを決めれるのかということと。だから、僕が思っていることってじゃあ何じゃあ自殺はいいことなの悪いことなのって言われたらいいことでも悪いことでも。 何を思ってしてでも何も言えないなと思うよね。で言えることとしては自殺をするという行為が、なぜそれが起こったのかということがわかれば。減らすことができるだろうって。 じゃあなぜ僕としては、自殺をする理由って何って言ったらもうそれしか楽になる方法がなかったんじゃないのって。思うというか、そういう状態 #まあいろん状態によって自殺が引き起こされるんだろうけど 。 #うんだからというかでもねだから 、そこら辺のそういうさいろんな用語があるのは、 #まあそうなんだけど 。 や、僕はなんかねなんで、そんな自殺がどうのってそれが言えるのって運がいい側な人だよなと思うよね。 1回でもさって思っても、それもちょっと違うけど、 1回でも自殺って思った人が思ったことある人ならっていうのは、ちょっとね、やっぱり明題という、その最初の主語の部分が違うよね。それとこれとでは、因果関係が違うなという感覚が、すごい大事だなと思うよね。 本当にだから、何て言うんかな。まる丸だと思う人は、まるまるに違いないっていう言い方は方法も外れてるよね。そうじゃなくて、まるまるな場合はまるまるであることもある。 で、逆に丸丸である場合は、まる丸なこともあるって、それが厳密さなと思うよね。何か主張するがために、自分が都合がいいことだけ言ってじゅ都合が悪いことは言及しないというのはずるじゃんずるじゃないというのがあるし。ずるというか、厳密ではないなと思うよね。 だから僕としては自殺に関しては自殺を否定することで、なんかこう何て言うんかな。 #、あのそういう心の安らぎを求めるか知らんけど、ね。やっぱり自殺した人には、自殺した人の気持ちはわからないし、視人には口がねえていうのは #本当にそうだなと思うし 、どうにもなんないね。 どう言われようが何何言われも関係ねえよな。死んでるんだから、意識がなくなってんだから、関係ないよね。だから、 #まあ関係ないでしょっては思っちゃうけど 、 #まあでも 、それ、それを言うとさ。 #その殺してさ 、いやもう関係ないでしょって。いう感じは違うよね。その大事なのは、生きてる瞬間の話というか。 多分今生きてる人っていうことを思ったりするわけでで、死んだ人に対しては、そんだ人もかつて生きた人ではあったわけじゃない。では、そこの部分で大事だよねっていうことだよね。 #、その死体に対してないがしろにするんじゃなくて、生きていいたという事実に対してないがしろにしないということが大事じゃないということだよね。 #、そのそういうのってでしたいは主体いなのよ。主体は別にものだなって思うのそうなんだけど、生きていたっていう過去があるから、大事にしない。大事にしないというか、ないが、しろにしないことが大切だなと思うよね。 だから、そういうの思ったりするんだけど、それかなだから、割といいこと言ってんじゃないの僕今回のことに関して言えばだから、僕自殺に関してはまじで、その何て言う #まあいろんな副体があると思うのよ 。個人の話残されて人の話、社会的な話っていう。この 3つの話が、多分だ替あると思うんだけど。 #やっぱりね 、それはね、 #なんか肯定するというか仕方がないというか 。もうこったことだから、どうにもならないことでは、あるね。起こってんだから。 僕は、割ともう怒ったことに対してもしゃあないというか。じゃあ起こさないためには、どうするのかっていう話をするべきであって、それに対して、僕は #その 。否定すりゃ、ええという誹謗中傷というか、なんか、 #その攻撃的なこと 、深快感を示す言葉を言えば、 #その自殺する人がいなくなるのかっていったら 。 そんなことないなと思うよね。 #その今から自殺しますっていう人にさ 。お前なんか死ねーって言ってたらそれは死るんちゃうのってことよね。 だから。要はだから、それと同じというか何て言うのかな。それちょっと何て言うんかな人をこう何やめさせたい時に、お前なんか死ねって言えばやめる。 わけじゃないっていう。 #、その攻撃的な言葉を言ったからといって、その人の行動をやめさせることにはならないわけね。お前なんかクソだとか、ゴミだとか、弱者だとかいったところでね。 家族させるだけでしちょっと思うから、それはあまり意味がないなって思うから、それをは意味ないのになんかやってしまう人がいるのは、 #その単純に本当に不快だからっていうのもあるんだろうし 、それよ #あの思えないんだろうね 。 #やっぱり 、こうそれを言うことで、何が起こりうるのかというかそういうのが、思ったりするなと思うよね。 #まあ 、正直興味がないのは興味ないんだけど。 人はいつか死ぬし、それそれがだから、感情的に自殺っていうのがなんか、生きればいいのにみたいな。単純化しすぎなんだよね。生きればいいのにっていうけどいや、僕は #あの自殺をじょ助長すればいいみたいな話ではなくて 。 #その何て言うんかなじゃあ自殺をししなくて済む方法はどうすれば考えられるだろうかっていうことなんだけど 。でも、うん、でも、 #まあ状況として 、そう考えられる。そう考えるしかない状況の人にさ。 っていうのは難しさも、あるなと思うよね。そういうのって。で、 #まあ 、それはすごい思うんだけどね。 なんかでも風当たりが強いなと思うずする人に対して、 #まあでも 、そのなんで、そんなに #なんかね 、そういうこと言えちゃうんだろうと思うけど、個人的に思うこととしては。自殺した人に対してよくそんなことを言えるよなと思うよね。なんか。 だから #そのそれもあるよね 。もし、仮に好きな人が自殺している時に。こんなの弱者だっていうとしてさ。 そんなこと言わないじゃん。だから有名人か否かっていうことで、何をもってして、それが #あのう正当化されると思っているんだろうと思うよね 。じ殺をする人が弱者だって例えば言ったとして、それ言うとして何もない。 ただ自殺した人。とかだったらって言うけど、いやだから何をもってして、その人が有名人であるか。有名人じゃないかってわかるの ? もし、仮にさ、超有名人が、 #あの人身事故起こしてたらって思ったらさ 。それでだった瞬間にひっくり返るわけじゃん。そんなことゆうもんじゃないよって。 いうのがあるわけで。だから、そうやってすごい言うけどさ。だからなんからまだ明らかになってないのにもかからず、そういうの言うわけではいうもんではないし。 仮にだから、それそれが成立するのであれば、 #その誰であろうとそうでしょ 。 #、その好かれてる嫌われているとか、関係なく、誰であろうが #その自殺した人に対して 、ゴがなんか言うのってちゃうくないそれは。それは違うだろうと思うよね。 なんで死んだと思 #まあ 、死んだ後は、 #まあ死んだ本人は 、あれだけど、残された人と、かも言いわするわけじゃん。い。居たりするかもしんないじゃん。 そう思ったらさ。 #なんか自殺した人を恥だとかさ 。 #なんか 、そういうのを言うのって意味わからなくない。 本当に残された人としていや。そんなもんさ。いやなんで、そんな弱いからとかさ。 いやいやいやいやいやいやいやと思うよね。そこは。うん、 #なんか弱いからするわけではないし 、別に #なんか自殺するのはなぜかっていうのはさ 。 明確になってないわけで、 #まあだいたい 。その僕としては、自殺。機種念料とか、自殺願望というのがあった時の考え方としては楽になりたいではあったから、楽になりたい楽になりたいって思ってるんだから、楽になれる方法がそれしかないなと思ったら、それはするかもしれないなと思。 僕の場合は、運が良かったから、ほかの方法で楽になれたから、 #あのまだ生きてるわけだけど 、最悪だから自殺をしないんじゃないのよ。楽になれるからな慣れた。たまたま偶然楽になれたから、自殺しなかっただけで。 楽になれなかったらね。もう行くとこまで行ってだから、例えば屋上に立ってってなったら、もう。 1歩踏み出せばもうもうどうにも引き返せないって状態まで持ってくというか。 瞬間的な引き戻せない状況まで持ち込んだらもう。だいたい死ぬんだよなと引き止められないよね。そんなもん。 だいたいそういうのって、 #まあ引き止められる場合とかって 、だいたい。そのね。 #あの創作物だなと思うよね 。 もう #そのお落ちてるというかもうね 。そういうのあるなと思引きためて欲しい気持ちがあるんなら、そこまでしないなっていうのはあるし、でも、そこまでしなくて、もう #なんか 、そのね意味わかんなくなるのよ。理屈がでもここまで、 #あの大事にしたから 、もう死ぬしかないみたいなことになるわけよね。 実際にはなそういうのっていやよかった来てくれてってだい。大丈夫っていうことになるんかって言ったら #までもそういうわけじゃないんだよ 。そんな単純な話でもないしな。 生きてくれれば良かったっていうのはね。単純化しすぎなんだよなもう本当に僕口と、単純化しすぎっていうのはあるのかなと思うんだけど。なんか、そこは思うよね。 #なんか自殺する人って生きるのが苦しいからするわけで楽になりたいからするわけでって 、僕は思ってるのね。 #まあ 、自殺したわけじゃないから、本当のどういう感覚だったのかわからないけど、 #まあ 、そこはあるなと思うけん #なんか #なんか 、そこら辺はねでもなんから、 10があったら、多分、僕は 10で死んでたなと思うよね。それもうひもう今でボタンを押すだけで、死ねるわけだから、それは多分そうだなと思うよね。 生き延びないなと思うよね。それそういう確実な死の方法っと思ってて。 #まあだから 、 1等方があったおかげで、僕は今生きてるっていうのもあるかもしれないけど、そのね、やっぱりそういう手軽な死に方みたいなのがあるかないかっていうのはでかいと思う。 僕は #あのなんて言うのそういう薬系薬系を大量に飲むことで 、 #あの死のうとする方法は選ばないわけだってそんな金があるんだったら 。僕はね、楽しいことにお金を使いたいからと、金がねえの金がねいから、それしゃあないというか、首吊り自殺とかいうけど、それはちょっとねって思うよね。なんか。 うん #まあ 、そんな感じで。 #まだから 、僕思うわ。
