「サボり」と「限界」は違う。誰も教えてくれなかった話
皆さん、こんにちは。
前回こういう記事を書きました(👇)
私が通っていた大学のオリエンテーションの授業で、こんな質問が出ました。
「僕の友人は、大学に通わないみたいなんですが、どうしたらいいですか?」
その学生自身も留年中で、下の学年と同じ授業を受けていました。
その状況で友人のことまで心配している姿に、私は少し胸が詰まりました。
先生はどう答えるんだろう?
妙に気になって、身を乗り出したのを覚えています。
先生の返答は、とてもシンプルでした。
「遊んで行かない、怠けて行かないというのは、問題としては簡単なんですよ」
なるほど。
心の中で「この先生、分かっている」と思いました。
“理由が分かる不登校”は、ある意味ラクだ
いわゆる「ゲームが面白くて学校に行かない」「サボりたい」などは、
確かに解決しやすいケースです。
行き渋りの背景がハッキリしているから、
手立てが見えやすい。
本当に難しいのは「理由のはっきりしない不登校」
・なんとなく気怠い
・朝になると身体が動かない
・教室の空気に入れない
・いじめ、ハラスメントの影がある
・説明のつかない違和感や息苦しさがある
こういうタイプの不登校は、「意志」の問題ではありません。
心と身体の“限界点”の問題なんですよね。
実際、私自身がそうでした。
高校の、画一的で管理的な教育に反発する中で、
気づいたころには心がすり減り、学校に通えなくなっていた。
「怠け」ではなく、
“その環境では生きていけなかった”だけだったんです。
学校は「世界のごく一部」にすぎない
あのとき私がもっと早く知りたかったのは、この一言です。
「あなたが通っている学校は、世界のほんの、ほんの一部にすぎない」
これは親御さんにも、同じように届けたい。
たとえば——
リンゴが食べられなくても、別に困らないですよね。
代わりにバナナやみかんを食べればいいだけの話。
学校も、社会も、人生も、同じです。
“合わない場所”を前にして苦しんでいるなら、
無理に食べ続けなくていい。
別の選択肢はいくらでもある。
その事実に気づけた瞬間、
不登校は「人生の失敗」ではなく、
「より広い世界へ向かうサイン」に変わります。
う~ん、やっぱり不登校は家族全体が抱える大きな問題ですね。
筆が重たくなる。
