世界が怖かった理由は、お化けじゃなかった
皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。
子どもの頃、世界は怖かった。
理由は単純で、
お化けが出ると思っていたからだ。
幼稚園の頃の話だ。
暗い部屋、夜の廊下、
見えないものがそこにいる気がして、
世界そのものが不穏だった。
でも、大人になるにつれて、
怖さの正体は変わっていった。
お化けはいない。
少なくとも、思っていた形では。
それよりもずっと怖いものがある。
生きている人間の業だ。
人は、
平気な顔で他人を値踏みする。
履歴書の行数、
学歴の肩書き、
途中で降りた経歴。
僕はよく誤解される。
高校中退。
大学中退。
この二行だけを見る人は、
だいたい同じ読み取り方をする。
「続かない人」
「落ちこぼれ」
「何者でもない」
そういうステレオタイプだ。
でも、最近は思う。
それでいいのだ、と。
むしろ、
それは名刺代わりとして、
かなり優秀なのではないか。
この経歴を見て、
「面白い」と思う人がいる。
理由を聞かなくても、
途中で降りた理由を想像しようとする人。
評価より先に、
関心が立ち上がる人。
そういう人は、
だいたい僕の価値観に近い。
一方で、
高学歴で、
この経歴を見た瞬間に
「取るに足りない」と思う人もいる。
でも、その瞬間、
僕の中でも答えは出ている。
ああ、この人は、
僕の人生には必要ない人だと。
上下ではない。
優劣でもない。
ただ、
価値観が違うだけだ。
怖いのは、
評価されないことじゃない。
怖いのは、
他人の物差しを
自分の中に持ち込んでしまうことだ。
子どもの頃は、
見えないお化けが怖かった。
大人になった今は、
自分で考えず、
ラベルだけで人を見る視線のほうが、
よほど怖い。
だから僕は、
自分の経歴を隠さない。
それは弱点ではなく、
フィルターだからだ。
ここを面白いと思ってくれる人とだけ、
話をすればいい。
世界は、
全員に好かれる場所じゃない。
でも、
価値観が合う人と出会うには、
自分を濁さないことのほうが大事だ。
そう思えるようになってから、
世界は、少しだけ怖くなくなった。
