見出し画像

「黒大数」の行間に潜む、大学数学への片道切符。

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。

前回、こちら(👇)の記事で書いたことを深掘りしていきます。

上の記事では、2000年当時「本格派」として知られている『大学への数学』(研文書院、通称・黒大数)に触れました。

 与えられた有向線分は1つのベクトルを定める。
ただし、この有向線分と向きも長さも等しい有向線分は、ベクトルとしては、同じものを定めるものとする。

『大学への数学 B』(研文書院、1998年、2頁)

 この記述を初読した場合、注目するのは「有向線分」や「ベクトル」に注目し、さらに一歩進んだ学習者は両者の違いに注意を向けると思うんです。ですがここには、「……は……を定める」、「……同じものを定めるものとする」という枠組みに、大学数学への扉があるという話でした。
 この文脈、枠組み、フレームを暗黙知として伏せられていない。そして、この暗黙知が研究の行き詰まりとともに前景化した際、新たなものが浮上する。これがクーンのパラダイムシフトの考えです。
 さて、もう少し数学学習の土台を揺すぶってみたいと思います。数学では、「証明」が大事と言われます。それは暗記数学に対するアンチテーゼとして、「表面的な理解ではなく、論理を追うという姿勢」が大事だとされるわけです。
 はい、ここにひとつの見えにくい前提があります。それは数学の命題は証明できるのかという問いです。これに対してはゲーデルの不完全性定理によって前提が揺さぶられました。かみ砕いて説明すると、「算術を含む程度に複雑な体系では、正しいとされる命題で、証明も反証もできない命題が存在する」というものです。これは大学学部までの数学観を揺さぶるものです。
 もう一つ。大学学部では「公理から定理を導く」(公理⇒定理)という流れでしたが、逆数学という数学の一分野では、この所与の定理を導くにはどのような公理が必要かという逆の流れがあります(定理⇒公理)
 私たちは、まだどんな暗黙知を持っているかわからないわけです。私の掲げるアンチ東大主義は、全員が同じ方向を向くことへの警鐘を鳴らしているのです。枠組み自体を疑う。尖鋭化すれば、数学書はなぜ存在するのか?という問いも十分魅力的です。なぜなら本は平面でして、幾何学もユークリッド幾何学との親和性は高いが、そのことが非ユークリッド幾何学の登場を遅らせたのではないか、と考えるのも一興です。

いいなと思ったら応援しよう!