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影響を受けた人に、あえて会わなかったという選択|note|エッセイ|生き方|思考|人間関係|出会いと選択|距離感|

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。

ある数学者の本を読んで、強く心を揺さぶられたことがある。

言葉は鋭く、遠慮がない。
「ここまで言っていいのか」と思うほど、ストレートに読者へ問いを投げかけてくる。

正直に言えば、鼓舞された。
自分の甘さや曖昧さを突きつけられるような感覚があった。

ただ同時に、その言葉は人を選ぶとも思った。
受け取り方によっては、不愉快に感じる人もいるだろう。
優しさよりも切断力の強い文章だった。


そんな中で、その本人に会える機会があった。

思い切って連絡を取ると、返ってきたのは驚くほどあっさりした言葉だった。

「いつでも遊びに来ていいよ」

拍子抜けするほど、距離の近い返答だった。


本来なら、そのまま会いに行ってもよかったと思う。
むしろ、会いに行くのが自然な流れだったはずだ。

それでも、なぜか足が止まった。

理由は単純で、「少し怖い」と感じたからだ。

この「怖さ」は説明しにくい。
怒られるとか、否定されるとか、そういう具体的なものではない。

ただ、踏み込んだときに何かが壊れるような感覚があった。


その後、動画でその人の話し方を見た。

やはりというべきか、語り口には独特の強さがあった。
自信に満ちていて、時に傲慢さすら感じさせる。

それを見たとき、ようやく自分の中の違和感が言葉になった。

ああ、自分はこの距離感でいいのだ、と。


本を読んでいたとき、その人はある意味で理想化されていた。
言葉だけが切り取られ、純度の高い形で届いていたからだ。

しかし現実の人間は、言葉だけではない。
声のトーンや態度、間の取り方、そういったものも含めて存在している。

それらすべてを受け止められるかと問われれば、少し自信がなかった。


もちろん、会えば何か得るものがあった可能性もある。
考えが深まったかもしれないし、新しい視点を得られたかもしれない。

それでも今回は、会わないという選択をした。

これは逃げではないと思っている。

距離を保つという判断だ。


影響を受けたからといって、近づかなければならないわけではない。

むしろ、距離があるからこそ保たれる関係もある。

言葉だけを受け取り、自分の中で咀嚼する。
その関係性の方が、自分にとっては健全だと感じた。


人はときに、誰かを理想化する。

しかし、その理想に現実を重ねたとき、
必ずしも同じ温度で受け止められるとは限らない。

そのズレに無理に踏み込む必要はない。


今回、自分は会わなかった。

しかしそれは、その人を否定したからではない。
むしろ逆で、影響を受けたからこそ、距離を選んだ。


影響は受ける。
でも、距離は自分で決める。

この当たり前のことを、自分の中で確認できた出来事だった。

どうでしょうか。よろしければ、スキ・コメント・フォローで応援下されば有難いと思います🍀。
@おはようございますでした。

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