いま生きざるを得ないこの世界にて
この数日で色んなことがあった。
1.友達のご両親と平和について語った
数年前路頭に迷い過ぎていた時、数週間泊めてくださった二人がいる。友達のご両親なのだが非常に理知的でインタレスティングで博愛主義であるご夫婦なのである。
この間久しぶりに顔を出した。ある程度のお久しぶりですトークの後、話の流れで世界情勢とそれに準ずる自国の対応についての話になった。共に歴史観や政治信条がほぼ一致しているため意見交換というよりは「〜だよね!」という互いの理解の共有になって盛り上がった。
話の流れで、私はとある地域を執拗に爆撃し戦争というより民間人の虐殺を行っているよう考えられる某国のことが許せない、非常に嫌いだ と話した。するとお母さんから「それはその国が嫌いというより、それを率いてる指導者が嫌いということではないの?」と聞かれた。…そうだった、怒りを抱く対象のピントがぼやけていたために、アゲインストする対象が大きくなりすぎていた。別に〇〇人だから嫌いだ とかそんな乱雑なくくりでものを語ることがナンセンスであることを自戒した。
2.「ドゥ・ザ・ライト・シング」を観た
本当に今さっきの深夜帯にひとりで観た。1989年、ロス暴動が起こる3年前に予言のように公開されていた映画。
うだるような暑さのせいで平和な日常にゆっくりとヒビが入る。原因は人種間によるぼんやりとした、確証のない曖昧な偏見。そしてこの物語の登場人物に「理解」と「譲歩」が余りにも無さすぎたせいでどんどん揺れが増幅し裂けていくような、そんな映画だった。
ショックだった。映画に喉元を締め付けられる久しぶりの体験だった。
非暴力を宣言したキング牧師と正当防衛的暴力の肯定を主張したマルコムXとが映画の中で触れられる。60年代公民権運動を牽引したスター二人は両人とも暴力によって殺害されている。
3.友達の生まれたばかりの息子の写真を見た
新宿で飲んだそいつは数ヶ月前に一児のパパになっていたらしい。写真を見せてもらった。数年前まで一緒にバカやって騒いでいた男の横に小さな生命体がいて、二人が寝ている写真だった。
帰りながらオフコースの「生まれ来る子供たちのために」という曲があったことを思い出した。
4.そして
我が国の司法が腐敗、弱体化し悪いことをした人間があまり捕まらなくなった結果、「〇〇人が何かした」 「また〇〇人の仕業だ」と外国人や異人種への偏見による不必要な対立が煽られる傾向が過去に増して強くなっているような気がする。
悪事をはたらいた個人が悪いのであって、別に〇〇人全てを排斥しようとするのは対象を非常に抽象化しているのではないか。〇〇人が生活保護や出産補助をもらうことが悪なのではなく、日本国民でそれらが貰えない人々が多いことが問題なのではないか。外国人が増えることが問題なのではなく、日本人が増えるよう国が努めていないことが問題なのではないか。
綺麗事すぎるが故に自分に訓示しなければならないと思う。人種や出身地など自分の力でどうにもならない要素を理由とした不当な扱いを我々はしてはいけない。
今日もあの砂漠では子どもたちが殺され、一部のテックビリオネアの口座だけが潤い、国は国民を蔑ろに扱い、いらぬ分断が顔も見えない誰かに扇動されている。
友達の息子が笑顔でいられる世界にしたい。私だけでは叶わないから、みんなと共に歩みたい。
この世界のことを憂う。
