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長年の自分嫌いが直った。だが好きになる必要はなかったのかもしれない。

自分が好きが、嫌いか?と聞かれたら、
好きだ、と、答えるだろう。

こんなこと、たぶん、少し前までの私だったら、口を裂かれて、声帯ごと外に取り出されても、絶対にいえなかった。

本当に。
それくらい、自分のことを好きだと思ったことが、人生において、なかった。

「自分やるじゃん」と思ったことといえば、子どもの頃、絵が上手く描けた時、とか、楽器が上手く吹けた時、とか、先生や親に褒められたとき、とか。だったように思う。

中学生〜最近までは、自己嫌悪、自己罵倒、自己卑下が強くて、それはもう。しんどかった。

なぜ、自分が嫌いだったのか

いま、分析すると、おそらく私は個性がもともと強めなタイプだったのに、嫌われないための自己防衛で、個性を押し殺し、過剰適応することで、生き延びた人間だった。といえる。

いま思えば、そのおかげで、誰とも争わずに、人間関係を作ることができたし、平和に毎日生きることができた。悪いことばかりではないのだと思う。

(そういえば、時々「どうしていつもひねくれちゃうんだろう?」とか「どうして自分のエゴを押し通すみたいな行動にでちゃたんだろう?」みたいな行動を取らせることはあったな。奥底で暴れ出すことはあったんだね。)

こうして、自分で自分を押し殺して、押し殺してきた結果。自分の声が聞こえなくなり、自分がわからなくなった。

意識的な自己は、毎日を生きねばならぬのだけど、無意識下では、ずっと居心地の悪さを感じていて、違和感アラートが何十年もなりっぱなしだった。

意識的な自己は、そのうるささを消すために、何枚も何枚も防音壁を作り、耳を、心を閉ざした。

何十年も、私の中で分裂が起こっていたのだった。

意識的な自己は、自分に対して気持ち悪さを感じ、そんな自分を周りの世界から見えなくしようと鎧を纏った。

私は、自分が、ますます見えなくなった。
分からなくなった。

ミイラの包帯が解けてゆく

それが、統合されはじめたのは、AIクリエイティブに出会った、1年前ころからだった。
急に人生が回り出した。

一番の扉は、自分の「好き」を許可したことだった。
「AIで音楽を作っていいよ。」「MV?おもしろそうじゃん、やってみていいよ。」と。

それまでは、「お金になるから」「誰かに頼まれたから」という外的な理由が必要だった。ある意味、責任転嫁できる構造を求めていた。自分の足で歩くと決められていなかった。

だけど、自分の「好き」「やってみたい」をそのまま許可することによって、私は、動き出した。

まるで、数千年の眠りから覚めたミイラのようだった。
ミイラの包帯がほどけるたびに、真実が暴かれる…みたいな。
どんどん余計なものがなくなって、身軽になった。

ここ1年はずっとそんな感じ。
もちろん、闇の世界に落ちることもあった。
その度に、なぜだろう?と、もがいた。

だけど、その度に、包帯の絡まりがほどけ、自己理解が進み、回復も早くなった。

そのうちに、自分を好きか、嫌いか、なんていう議論はしなくなった。
好きでも嫌いでもどっちでもいいじゃん。っていうくらいに、私にとっては問題じゃなくなったのだ。

実は、今日は自分を好きになったという記事を書こうと思っていた。

だけど、書いていくうちに、 「自分のことが好き」ではなくて、「そんなことどうだっていい」なんだと気づいてしまった。


おーつーさんへ

AIクリエイティブに出会った頃、「いいじゃん」「やってみなよ」と背中を押してくれたのが、おーつーさんでした。
私ひとりの「GO」では、あまりにまだ弱すぎたから。

おーつーさんが、見ていてくれる。クソみたいな作品でも、絶対に笑ったりしない、そんな心強さと安心感があったから、あの時期、私は扉を開くことができたんだと思います。

もちろん、おーつーさんだけじゃない、たくさんの巡り合わせも、他の方からの応援もあった。
だけど、今日は、じぶすき2周年。ここにメッセージを仕込ませてもらいました😊

おーつーさん、いつもありがとう。
これからも、共に爆走しましょう!

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