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人狼ゲームのルールが一生分からないド文系SE

タイトル通り、
人狼ゲームのルールが何回やっても分からない。


高校で初めて人狼をやり、大学でも宅飲みで「人狼オール」もやったりして、人並みにはこのゲームを経験してきた。


ただ何回やってもルールが覚えられない。
ようやくルールを把握しても、今度は役職ごとの「立ち回り方」が分からない。


いつもなんとなく雰囲気のみで参加しており、何を聞かれても雰囲気のみで「おーん…」「hmm…」「ソレナ…」などと返すので、
相手には「何を考えているのか分からない」と勝手に不気味がられ、勝手に警戒されるが、
実際本当に何も考えていないのである。


昔からこういう戦略ゲームの「二手三手先を読む」が致命的にできない。


そして現在、30超えてまで人狼をやる機会があると思わなかったが、
今の会社では人狼、カタン、ポーカー、そしてスマブラと、知略戦略をめぐらせ、二手三手先を読んで戦うゲームができないと、半分くらい人権がないのだ。


「ボードゲーム部」「スマブラ部」が公式に存在するくらいの会社だ。
要はギークなTHE・エンジニアの集まりなのである。


楽しそう、と思うかもしれないが、
二手三手はおろか、一手先を読むことすら怪しい自分にとって、このノリについていくのはいささかしんどいのである。


しかもみんな酒飲みながらこのテのゲームに興じるので、しんどい通り越して、本当にみんな頭がいいんだなと感心してしまう。



こうした戦略ゲームをこよなく愛する今の会社の面々を見ると、思い出す人たちがいる。


数年前、当時付き合っていた人の大学時代の仲間と飲む機会があり、6人ほどで宅飲みをした。


彼らはみんな理系(国公立・超優秀)で、
ド文系カルチャー(文学部 × 軽音サークルの "世捨て人コンボ")で育ってきた自分にとって、その飲み会はとても新鮮だった。


家に招かれ、家主の男の子が最初に披露してくれたのは、
ダースベイダーマスク(自作)とライトセイバーであった。


いきなりおもてなしのクセが強い。
今回の宅飲みが「異文化交流」であろうことを予感させる開幕。


そして軽く飲んだあとに、まずTRPGを遊んだ。
テーブルトークRPGと呼ばれるそれは、テレビゲームではなくリアルで、それぞれがロール(役)を遂行しながらお題をクリアし冒険していくRPGである。


確かクトゥルフ神話のTRPGだったと思うが、TRPG初体験の自分でも、クトゥルフっぽいワードにはなぜか馴染みがあった。主にウルトラマンティガの影響である。


そのあともいろんなボードゲームをしたり、トランプをしたり、VRホラーゲームをしたり、
夜が更けたらみんなの前でVRのAVを鑑賞させられたりしたが(当時の彼女にも監視されながら)、
ひとりVRゴーグルを装着させられた僕の視界の中、甘い言葉で迫ってくる女優さんがいた方向に、実際にいたのは家主のダースベイダー君だったらしいのだが、


こうしたあらゆるボードゲームやテレビゲームをしながら遊ぶということそのものが、自分にはすごく新鮮だった。


ド文系カルチャーでは「遊びに行く」というのは基本的に飲みに行く、ごはんを食べに行く、街歩きをするなどの「出かける」ことを指していた。


もちろん宅飲みもするが、ド文系の宅飲みは、飲んで食べて、たまにタバコを吸って、たまに部屋着のままコンビニまで散歩しながらお酒を買い足して、そして朝までしゃべるだけである。
出かけても出かけなくても「しゃべること」そのものが、友達と集まる目的だった。


もっと分解すると、そのとき出会った理系の子たちは、
頭を使い戦略を練りながらゲームをプレイするということが「遊びの気持ちよさ」に繋がっているんだなと感じた。


一方ド文系で育った自分は、他愛もない話を共有したり、混み入った話をしたり、相手の考えていることを知ったり、
「共有」「共感」「理解」が生まれたときに、気持ちよさを感じるんだなと思った。


一口に「遊ぶ」「飲む」と言っても、その土台にあるカルチャーの違いを感じたのである。


もちろん文系/理系で分けられるものでもないと思うし、
ゲーム好きな文系も、おしゃべり好きな理系もたくさんいると思う。
ただ、自分が出会ってきた人たちの中に、そうした"異文化"があったりすることも発見したのである。


そして、今の会社は間違いなく理系カルチャーの土台がある。
オフィスには Nintendo Switch が常備されており、業後によくスマブラ大会が開催されている。


ダースベイダー君たちとたまに遊ぶのは正直新鮮でとても楽しかったが、
常時ギークカルチャーの中で頭を使いゲームをプレイするとなると、頭がショートし仕事や生活に支障が出るので、スマブラの時間になったら自分はそっと退散している。



ただ、僕もゲーム自体は好きなのだ。
下手すぎるのでやらないが。


TRPGもポーカーもやってる分には楽しかったし(頭が疲れるから長くはできないが)、
小さいころはNintendo 64やゲームボーイでよくポケモンなどに興じていた。


当時流行っていたスケルトンのボディを見ると、猛烈に懐かしく愛おしい気持ちになるし、


いとこが持っていて一時期ハマっていたスーファミ『スーパードンキーコング2』のBGM(名曲揃い)を聴くと、なんだか泣きそうになったりする。


僕にとってのゲームとは、プレイして遊ぶおもちゃというより、
色、材質、手触り、音楽などが「記憶装置」として幼少期の思い出を保存しているようなものかもしれない。


あんなに苦手な人狼も、深夜にみんなで輪になって、部屋を暗くして、人狼アプリの不穏なBGMが流れるあの瞬間、あの雰囲気自体は大好きだったりするのである。


おそらくゲームや人狼そのものではなく、「ゲームをしていたあのころ」「みんなで人狼をやった夜」とかに愛着を感じているような気がする。


頭を使って二手三手先を読むゲームは勘弁だが、ポケモン金銀のプレイ動画やバグ発掘動画は、よくYouTubeで見たりしている。ガナヒビさんとか。


 


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