世界の最前線にいるつもりだった。村だった。
私は長いこと、スタートアップの世界にいる。
最初に会社を作ったのは、キャリーオンという中古子供服のCtoBtoCプラットフォームだった。そこから資金調達をしたり、会社を売ったり、また会社を作ったり。そして今は起業家のメンタリングをしたり、ピッチの審査をしたり、スタートアップのコミュニティを運営したりもしている。
気づけば、ずいぶん長いことこの世界の住人である。でも、最初からそうだったわけではない。
起業したばかりの頃は、私もこの世界の新入りだった。資金調達も、アクセラレーターも、ピッチも、全部あとから覚えた。
それが会社を何年もやり、資金調達をし、いろいろなプログラムやイベントに出ているうちに、知り合いが増えた。村の言葉もわかるようになった。村の行事にも呼ばれるようになった。いつの間にか、辺境の村に住民登録していた。
もっとも、住民になったばかりの頃の私は、「私はちゃんとした住民です」と証明するのにずいぶん忙しかったのだけれど、その話はまた別の機会にする。
村に長く住んでいると、だんだん村の中で起きていることが、世界で起きていることのように見えてくる。ピッチイベントに出る。アクセラレーションプログラムに採択される。メディアに載る。有名な起業家に会う。投資家と話す。イベントに行けば、そこらじゅうで誰かが「世界を変える」「産業を変える」「未来をつくる」と言っている。
そんなところにずっといると、妙な気分になってくる。当時の脳内ログを正確に再現するなら、たぶん、
「われ、世界を変える側の人間ぞ」
くらいだったと思う。
とんだ厨二病である。でも、本当にちょっとそう思っていた。
そしてその後も村に住み続け、気づけば今では、起業家の相談に乗ったり、ピッチを審査したり、コミュニティを運営したりしている。
どうやら村役場側にまで回ってしまった。
壁の外には世界があった
ただ、私がやってきた事業そのものは、最初からずっと生活者に近いところにあった。
最初の会社は中古子供服。次はCBD。どちらもtoCといわれる領域で、最終的に商品やサービスを使うのは普通に生活している人たちである。だから事業を作るために、生活者の話を聞く機会はたくさんあった。
そして、スタートアップ村の住民歴が長くなってから改めて普通の生活者の話を大量に聞いていると、あることに気づいた。
私たちが毎日のように話していることを、みんな驚くほど知らないのである(当たり前)
スタートアップ。資金調達。アクセラレーター。ピッチ。エコシステム。そんな言葉は、普通の人の日常生活にはほぼ登場しない。
最初は「世の中の人ってこんなにスタートアップのこと知らないんだー」くらいに思っていた。でも、途中で気づいた。
逆だった。
知らない人たちが外にいるのではない。こっちが、ものすごく小さな世界の中にいたのである。
村の中では、毎日誰かが世界を変えようとしている。新しいサービスが生まれる。資金が動く。ニュースになる。昨日まで知らなかった会社が、数年後には何百億円という価値になったりする。
ものすごいスピードで何かが起きているから、そこが世界の中心のような気がしてくる。
でも、壁の外には世界があった。
しかも、圧倒的にでかかった。
私が世界の最前線だと思っていた場所は、よく見たら、
辺境の村だった。
スタートアップだけで世界は動いていない
考えてみれば、当たり前である。
社会の大部分を毎日動かしているのは、スタートアップではない。電気がつく。電車が走る。荷物が届く。銀行が動く。食品が店に並ぶ。何万人、何十万人という人が会社で働き、毎月給料を受け取り、その仕事によって社会が回っている。スタートアップ村で「大企業ではイノベーションが起きない」などと勇ましいことを言っていても、その日の帰りに大企業が運行する電車に乗り、大企業の通信回線でスマホを見て、大企業が提供する決済手段でコンビニのお茶を買ったりする。
だいぶお世話になっている。
私は今でも、大企業で楽しく働けて、自分の力を発揮できて、毎月ちゃんと給料も振り込まれるなら、それはものすごくいい人生だと思っている。
というか、その方がいい人は、たぶんたくさんいる。
なぜなら、起業するとかなりおかしなことが起きるからである。
誰にも頼まれていない
まず、誰にも頼まれていない。
ここが重要だ。
誰にも頼まれていないのに、「これ、おかしくない?」と勝手に気づく。誰にも頼まれていないのに、「こうした方がよくない?」と勝手に考える。誰にも頼まれていないのに、「誰かやらないのかな」と思う。
そして、しばらくすると、
「……私がやるの?」
となる。
誰も頼んでいないのに会社を作る。誰も頼んでいないのに夜中まで働く。誰も頼んでいないのに土日も考える。しかも初期の会社なんて、働いたからといって給料が出るとは限らない。
お金をもらうどころか、自分でお金を払って働いていることすらある。
冷静に考えると、かなりおかしい。
会社なら、「これをやってください」と言われて、仕事をして、給料をもらう。起業家は、誰にも頼まれていない仕事を勝手に発見して、勝手に自分の仕事にして、勝手に苦労して、場合によっては自分のお金まで突っ込んでいる。
なぜそんなことをするのか。
たぶん頭のどこかで、
「オマエダケガ……セカイヲカエラレル……」
という謎の宇宙通信を受信しているからである。
誰もそんなこと言ってない。
スタートアップ村の変な人たち
外から見ると、起業家はもう少しかっこいい生き物に見えるのかもしれない。
自分のビジョンを持っている。リスクを取って挑戦している。未来をつくっている。才能と行動力にあふれている。もちろん、本当にそういう人もいる。でも長年この村に住んでいる私から見ると、実態はもう少し残念である。誰にも頼まれていないことに勝手に使命感を抱き、勝手に苦労し、勝手にお金まで払い、それでもなかなかやめない。
「仕方ないよね」で済ませればいいところで、「いや、でもこれ、おかしくない?」と言い始める。既存の仕組みにうまく乗っていればいいところで、「だったら別のもの作ればよくない?」と言い始める。安定しているものを見て、「ここ変えた方がよくない?」と言い始める。
誰にも頼まれていないのに。
そりゃあ、こういう人たちが集まったら、村はちょっと変なことになる。
私はときどき、スタートアップエコシステムというものは、社会不適合者の吹き溜まりなのではないかと思うことがある。
もちろん、全員がそうだという話ではない。ちゃんと会社員もできるし、組織でも活躍できる、極めて社会適合性の高い起業家もたくさんいる。
ただ、この村には確実に、
「既存の世界にそのまま適合するくらいなら、世界の方をちょっと変えたい」
という妙な人たちが流れ着いてくる。
誰かに仕事として与えられたわけでもないのに、自分のいる世界の小さな違和感を見つけて、「仕方がない」で終わらせず、勝手に自分の問題として引き受けてしまう。
考えてみれば、ずいぶん変な生き物である。
辺境の村から、ときどき世界が変わる
でも、この辺境の村を、私はけっこう好きだ。
なぜなら、ごくたまに、本当に世界を変えてしまうやつが出てくるからだ。
最初は誰も欲しいと言っていなかったもの。「そんなもの必要?」と言われたもの。「そんなの無理でしょ」と笑われたもの。「市場あるの?」と言われたもの。
それを、誰にも頼まれていないのに勝手に自分の仕事にして、しつこく、しつこくやっているうちに、いつの間にか壁の外の人たちまで使うようになる。
村で始まった小さな違和感が、外の世界の当たり前を変えてしまう。
そんなことが、本当に起きる。
だからこの村は面白い。
ただし、たまに世界を変える村人が出ることと、村が世界の中心であることは別である。
私は昔、その二つを少し混同していたのだと思う。
世界の中心ではない場所で
私は今も、この村にいる。たぶん、これからもいる。
というか、住民登録どころか村役場側にまで回ってしまったので、今さら「私は村人ではありません」という顔をするのも無理がある。
ここの村人はちょっと変だし、騒がしいし、すぐ世界を変えようとする。私もその一人である。
でも、ときどき壁の外へ出て、自分たちが世界のどこにいるのかは、ちゃんと確かめていたい。
ここは世界の中心ではない。辺境の村だ。
そこには、誰にも頼まれていない仕事を勝手に自分の仕事にしてしまった人たちがいる。
かなり残念な生き物だと思う。私も含めて。
ただ困ったことに、その中から、ときどき本当に世界を変えてしまうやつが出てくる。
誰にも頼まれていなかったのに。
