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半年間、小説の書き方を学んで、私なりに考えたこと(備忘録)

一年前の自分の書いた文章を読み直すと、「この言い回しが」とか「こう書いたほうが伝わりやすいのに」とか「間延びしているな」と思います。

一言で言うと、感覚で書いていた。

ずっと、感覚で書いていました😂

大学時代に、多少、文章の書き方や、文芸批評理論などを聞きかじったのですが、表面を上滑りしていたのだと思います。
たとえば、接続詞や代名詞はなるべく使わないほうが読みやすいとか、そういうの。

去年の自分は去年の自分で、その時の精いっぱいを出していたのだけど、慢心していたように思います。
自分なりに書ける、と。
小説を書きたい気持ちは中学生の頃からあって、その頃から数えると量もそれなりに書いてきました。だから、書けると、勝手に思い込んで、量を書ければいいと思っていた節があります。

半年くらい前に、創作大賞を含めコンテストで実績を出していくためには、もうこれ以上進めない、というものを感じました。

どんなに量を書いても越えられない壁のようなもの。

なので、この半年間、物語の書き方や、他の方が書かれている創作論などをいろいろと読んだり、イベントに参加して勉強させてもらいました。越えられない壁を乗り越える手段を身につけようと……しています。

学ばなくても書ける、という自分の慢心はおしまい。
私のなかで、感覚で書けるという限界領域には達した。世の中には、感覚ですごいところまでいける人がいる。そういう人が羨ましいし、自分もそうであったらな、なんてきっと思っていました。
でも、私はそうじゃない。それ以上に進みたいなら、謎なこだわりとか、言い訳とかは捨てる。

ここには、小説の書き方について、自分が得られたもの、これは大事! と思ったことをつらつらと備忘録的に書きまとめたいと思います。


冒頭は何回でも書き直す

冒頭は大事。わかっていた。わかったつもりだった。
強い冒頭ってやっぱり読んでしまうし、これまで読んできた小説の冒頭で、いくつも印象深い冒頭があって、だから、自分なりに、苦心はしていたけど、やっぱり技術が足りなかったな、と思っています。

冒頭について、学びになったのは、Tales&Co主催のイベントと『「書き出し」で釣りあげろ』でした。


もっとはやく、知りたかったことが、いっぱいありました😭

「物語のつかみかた」で勉強になったことは以下のイベントレポートで詳細を書いたので、割愛をします。

この記事では、イベントに参加していた同じ頃に読んでいた『「書き出し」で釣りあげろ』について詳しく。

 出版エージェントや編集者に読まれない原稿は膨大な数にのぼります。いや、待ってください、つぎのように訂正します。エージェントや編集者に書き出しの数段落や数ページしか読まれない、すぐれているところかすばらしい可能性を秘めた長編や短編小説は膨大な数にのぼります。なぜでしょうか? (中略)
 皮肉なことに、原稿が拒絶されるのは、ストーリーの大部分がよくて書き出し部分だけに欠点があるからではなく、そもそもエージェントや編集者が、その大部分に到達しないからです。ストーリーの書き出しがまずいと、それより先はほとんど読まれません

「イントロダクション」p.14-15

つまり、あとから面白くなるという言い訳は聞かないのだ、ということが、骨身に沁みました。

言い訳してました……

わかっていたけど、これを読んでとても理解したのです。はい、書き出し。書き出しに命をかけろ。
書き出しが大事だということは、色んなプロの方や、受賞された方も記事で書かれていらっしゃって、紹介しきれないくらいなので、書き出しはめちゃくちゃ大事なのだと……今ではめちゃくちゃ思います。

この本の第9章には、「避けるべき書き出し」として5つ上げられています。
(※注意信号であって、それをやってはいけないというわけではない)
以下がその5つ。

  1. 夢ではじまる

  2. 目覚まし時計がなっている

  3. 意図していない笑いを呼ぶ

  4. 会話が少なすぎる

  5. 会話ではじまる

それぞれについて、なんで避けたほうがいいのかは、本に詳細が記されていますが、これらの5つについては、「出版エージェントや編集者が、送られてきた原稿のなかで最もよく出くわすものであり、見るたびに彼らの耳には終了のゴングが大きく鳴り響く」(p.234)と記されています。

似たようなことをnoteで書きまとめていらっしゃる方がいらっしゃいましたので、ここで記事の内容を引用させていただきます。

下読みというのは、膨大な数の原稿を短時間で読む仕事です。当然、入り口となる冒頭に対する感度は研ぎ澄まされていきます。そしてある時期から、応募原稿の冒頭には「型」があることに気づきました。

型にはまった冒頭は、それだけで原稿の印象を下げます。その先の内容が良くても、「この人は他の作品をあまり読んでいないのかもしれない」という印象を与えてしまう。それは非常にもったいないです。

https://note.com/yu_furumiya/n/n1ff6bc28f282?magazine_key=m554219fb219f

記事のなかでは、実際に、新人賞にありがちな冒頭を3つに分けて端的にご紹介されていらっしゃいますので、ご参考にされてください。

どちらの内容にも共通しているのは、避けるべき冒頭というのは、たくさん読む人がよく出くわす内容である、つまりオリジナリティがないということです。
自分の物語だけの、印象深い冒頭が必要だと、とてもとても勉強になったのが、この冒頭に関する、諸々の学びでございました。


意図的な丁寧さを持ちながら、一文一文を書く

文章を意図的に書くことについては、先んじて紹介したイベントや本でも学びになったのですが、ここでは意図的に文章を構成するという意味合いで、学びになったことを。

『言語化するための小説思考』については、SNSでも話題になり、何度も重版もかかりました。私も読書感想文としてまとめたので、こちらの本で学びになったことは、記事で書いた通りです。

読んだ感想を一言で言うならば、もっと一文一文、丁寧に綴ったほうがいいということでした。感情と勢いのままで書くのはいい。おそらくそれで生まれるものがあるから。でも、推敲する時に、この一文はほんとうに物語としているのか? 先の展開を暗示するものになっているのか? と自分の文章を見つめることが大事だと思いました。

これまでも、自分なりに要る/要らない、を判断してきたのですが、どちらかというと、自分が入れたい/入れたくない、だったのかな、と。
いい表現を思いついたから「入れたい」とか、きれいに綴りたいから「入れたくない」とか、そういう私個人の恣意性による推敲であったのではないか、と思います。

これは書き手のパッションを入れるな、とか、熱を入れるな、というのとはぶつからないと思っていて、物語に書きたいことを込めたいという自分のパッションとは、ぶつからない、と思っています。
ただ、それが、物語のテーマとして、あるいは展開を暗示するもの、面白くなるものとして、要る/要らないかの判断がある。パッションか、必要な文章か、どちらかだけ、ということはないのではないかと思います。

一文を越えて、より意図的に物語を構成することや、表現そのものを見直すことを振り返るのに、烏滸乃琴さんの「書く人の理論」はとてもためになりました。
TALESだけでなく、noteでも連載されているので、noteに慣れている方はそちらの記事のほうを。

物語構成や文章表現はすでに昔から多く研究されてきていて、文学の授業や評論などの授業を体系的に学ばれる方のなかでは、ある種有名な著者や著書、理論があります。
烏滸乃さんの「書く人の理論」は、その体系立てられているものを、とてもわかりやすく解説してくださっていて、具体例も現代のアニメや漫画、ライトノベルなどを入れてくださっているので、とにかくわかりやすいのです。

これ、無料で読めていいのかな?

創作論というのは、数多にあると思いますが、烏滸乃さんの創作論は出典があきらかになっているところからも、とても信頼のおける評論かと思います。

もうひとつ。
創作哲学エッセイと称されていますが、その鋭い切り口というか、客観的に自分の思考や創作というものを振り返る目線、言語化というところで、姿勢そのものがとても勉強になりましたし、書き手として自分自身が浮つかないためのお手本になるような方でいらっしゃるなーと思います。

砂張五さんの「何を考えて書く?──創作の思考軌跡」は、「面白さとはなにか」というものを、読者としての体験の観点から言語化されています。
押し付けがましくないですし、面白いというものを一歩俯瞰されて、そのうえで、共通するものを、帰納的に表されている。

その抽出されたものとして、「物語とは、人間である」(「2.書く順番、考える順番──物語とは」より)というのは、とてもわかりやすく一言でまとめられて的を射ていると思いました。

物語には人間を書く必要があるし、人間としての葛藤(多面性)を意図的に書いていかなければ、面白くない、そういうことなのかな、と私は受け取っています(ちがったらすみません!)。その面白さを拡張するための、ミクロやマクロだったりするのかな、とかとか。

烏滸乃さんや砂張さんの創作論は、ちがう角度で書かれた創作論ですけれど、どちらも読むと、すごく関連性があって、理解が深まったように思います。お二方とも、頻回なコメントにも丁寧にレスをくださり、ありがとうございました。

やっぱり私はもっとちゃんと、考えて書いたほうがいい。


読者の感情や目線を意識して、推敲する

半年前までも、自分なりに、読者目線、読まれる物語というものを考えてきたつもりでいましたが、まだ全然考えが足りなかったと思っています。
私が書いて面白い! は大前提であると思いますが、読者が読んで面白い! は自分がステップアップするためには、やっぱり追求しなきゃいけない。

『脳が読みたくなるストーリーの書き方』は、この観点でとても身に刺さり、読者のことを考えていたつもりになっていた……と大いに反省することになりました。

いくつか印象的なところを引用。

なんとしても伝えたい要点(≒テーマ)があるのなら、自分の物語を信頼して任せたほうがいい。イギリスの小説家のイーヴリン・ウォーもこう言っている。「どんな文学も道徳的な基準や批判をほのめかすものだが、あからさまでなければないほど良い

「2.要点に迫る」p.68

 作者が無意識のうちに、自分が情熱を傾けている知識──そしてもちろん関心──を、読者も持っているはずだと決めつけてしまうと、物語はひどくむらのあるものになりがちだ。(中略)そうした分野では物事が〝どう動くか〟、作者が細かい部分にまで夢中になってしまうと、物語そのものを見失うこともある。

「3.登場人物の感情を書く」p.114

 あなたの物語はどうだろう? 興味深いが無関係な方向へとよろよろと歩きだし、読者に感じ取ってもらいたい因果関係を断ち切ってしまったりしていないだろうか? 赤ペンを出してすぐに始末しよう。ためらうことはない。(中略)サミュエル・ジョンソンの作家へのアドバイスを心に留めておくといい。
あなたの作品を丹念に読み、特段に素晴らしいと思える一節を見つけたら、削除してしまうことだ

「8.原因と結果で物語を展開する」p.284−285

この本は翻訳本なので、ところどころ読みづらいところがあったのですが(私が翻訳本に読み慣れていないだけかもしれない)、物語を書きながら悪手を取り続けると、読者がどう感じるのかを、解説してくれるので、自分にひやっと思い至ることがあれば、「あー、読み手はこういう気持ちだったのか……」と気づかされます。

作者の視界と、読者の目線はちがうことが、しっかりと書かれているので、作者になって忘れてしまった読者目線をチェックポイントとして、しっかりと書かれているので、推敲時に役立つな、と思いました。

たとえば、これ。

✔ 物語のすべてに〝それで?〟と問いかけ、答えが出せる?
 四歳児のように容赦なくこの問いかけをおこない、答えられないときは、自分だけが気に入っている描写、脱線、もしくはそれ以外の、あなたの物語をだいなしにしてしまう何かに足を取られてしまっていると思ったほうがいい。

「8.原因と結果で物語を展開する」p.286

なかなか胸にぐさぐさと刺さるチェックポイントですが、読者に楽しんでもらうという小説の目的を忘れないためには、自分を刺さなければならないと思ったのでした。

こ、心を強く保てるようになりたい……!


そんなこんなで、半年間で得られた学びや知見を自分が忘れられないための備忘録noteでした。

一部の内容は創作大賞のエントリー作でも試してみたところでございますが、成功したのかどうかは中間選考に通ってみないとわかりません。
結果を戦々恐々と待っている状態でいますが、9月上旬のよい結果を祈るばかりです。通らなかったら、何が敗因だったのか振り返り、通ったら、これがよかったのかもしれないを振り返りたいと思います。

技術を学ぶことは、創作者としてのパッションを殺すことではなく、パッションを届けるための道筋を作ることなのだ、とまとめて終えたいと思います!

備忘録にお付き合いいただき、ありがとうございました!!


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