子どもの頃から、富士山を仰ぎ見てきた。
あの頃、私は富士山の向こうはアメリカだと思っていた。
今思えば、なんて小さな世界に生きていたのだろう。
コンビニもない。ハンバーガーショップもファミレスもない。
電車は唯一のローカル線。2両か3両の電車が、ガタンゴトンと音を立てながら走っていた。
何もなかった。
でも、ないことを知らなかった。
だから、不自由だとも思わなかった。
幸せな子ども時代だった。
今でも、夏の夜の富士山が好きだ。
漆黒の闇の中に浮かび上がる富士山。
山小屋の灯りが点々と連なる様は、まるで星座のようだ。
夏の昼間は雲が出やすく、富士山はなかなか顔を見せてくれない。
そして、いつからだろう。
夏の富士山から雪がなくなった。
雲の間から姿を見せてくれても、黒々とした山肌を見ると、なんだか私の知っている富士山ではないような気がする。
もちろん、富士山は何も変わっていないのかもしれない。
変わったのは、私のほうなのかもしれない。
富士山の向こうはアメリカだと思っていた小さな女の子は、大人になった。
あの頃より、ずっと広い世界を知った。
いろいろな場所へ行き、いろいろな人と出会い、知らなかったものをたくさん知った。
知ることは、世界が広がること。
でも時々思う。
何もなかったけれど、ないことを知らなかったあの頃の私は、きっと十分に満たされていた。
富士山は今日もそこにある。
子どもの頃とは少し違って見える富士山を眺めながら、あの小さな世界で生きていた自分を、時々懐かしく思い出す。
