太平記 現代語訳 16-11 足利軍、海陸双方より兵庫へ迫る
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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明くる5月25日午前8時、兵庫沖(兵庫県・神戸市・兵庫区)の霞の切れ間のかなたに、幽(かす)かな船影が見えた。
新田軍メンバーA ありゃぁ、夜の漁から帰ってくる舟かなぁ?
新田軍メンバーB いやいや、おそらく、明石海峡の渡し舟だよ。
海浜に立って海上はるかに目を凝らす彼らの眼前にやがて出現したのは、船尾と船首に軍旗を立てた数万の軍船であった。
櫂(かい)を並べて、とり舵、おも舵、順風満帆に進んで来る。天と水とが出会う水平線よりこなた一面14、5里ほど、船は連なって互いに舷側をきしり合わせ、舳先を一線に並べて接近してくる。船団に埋めつくされて、海上はにわかに陸地(くがち)になったかのようであり、林立する帆に遮られて、対岸の山の姿も見えないほど。
新田軍メンバーA すげぇ・・・すげぇ大軍だぁ・・・。
新田軍メンバーB 三国志で名高いあの赤壁(せきへき)の戦、あの時の船の数も、これほどじゃぁなかったろうなぁ。
新田軍メンバーC モンゴル帝国が宋(そう)王朝を滅ぼした時の黄河の戦いの時だって、兵力、これよりは少なかったろうよ。
新田軍メンバーD おいおい、あっち見ろ! ほら、須磨(すま:神戸市・須磨区)の方角!
新田軍メンバーE あちゃぁー、海軍だけじゃなくて、陸軍までやってきやがったかぁ!
須磨の上野(うえの)、鹿松岡(しかまつのおか)、鵯越(ひよどりごえ)のあたりには、二引両(ふたつびきりょう)、四目結(よつめゆい)、直違(すじかい)、左巴(ひだりともえ)、よせかかりの輪違(わちがい:注1)の軍旗5、600本ほどがはためき、雲霞のごとき大軍がこちらに向かって来るのが見える。
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(訳者注1)いずれも足利サイドの各家のもの。[二引両:足利氏]、[四目結:佐々木氏]、[直違:松田氏]、[左巴:宇都宮氏]、[よせかかりの輪違:不明]。
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新田軍メンバーA (内心)海上の軍船も・・・。
新田軍メンバーB (内心)陸上の敵兵も・・・。
新田軍メンバーC (内心)思ってたより、おびただしい数・・・。
新田軍メンバーD (内心)聞いてたよりも、なおすごい・・・。
新田軍メンバー一同 (互いに顔を見あわせながら)(内心)まいったなぁ・・・。
新田義貞 さぁ、行くぞぉ!
楠正成 いよいよやなぁ!
新田義貞(にったよしさだ)も楠正成(くすのきまさしげ)も、大敵を見ても、ものともせず、小敵に対しても油断しない、まさに中国・後漢(こうかん)王朝建国の光武帝(こうぶてい)の心根をそのまま写し取ったような勇者、いささかなりとも気力失せたる様子もなく、和田岬(わだみさき:神戸市・兵庫区)の小松が生える原まで進み、静かに軍勢を配置し始めた。
第1軍の大将は、脇屋義助(わきやよしすけ)。彼の下に、新田一族23人が5,000余騎を率いて、経島(きょうのしま:神戸市・兵庫区)に布陣した。
第2軍を率いるは、大館氏明(おおたちうじあきら)。彼に従う一族16人は3,000余騎を率いて、灯ロ堂(とうろどう:神戸市・兵庫区)の南方の浜に展開した。
第3軍を率いるは、楠正成。彼は、わざと楠軍以外の勢力を交えず700余騎で、湊川(みなとがわ:神戸市・兵庫区)西方宿付近に陣を構え、足利サイドの陸軍に対峙(たいじ)した。
新田義貞は、総大将として諸将に命令を発すべく、25,000余騎を率いて、和田岬に司令本部を構えた。
やがて、足利サイド海軍は、帆を下ろし、磯に向かって漕ぎ寄せてきた。陸軍の方も、軍旗をはためかせながら接近してきた。朝廷軍と足利軍との距離は、徐々に縮まって行く・・・。
まず、沖の船団から太鼓の音が鳴り、トキの声が上がった。
足利サイド海軍の太鼓 ドンドンドンドン・・・。
足利サイド海軍リーダー エェィッ エェィッ
足利サイド海軍メンバー一同 オォーゥーッ!
続いて、足利サイド陸軍50万が、
足利サイド陸軍リーダー エェィッ エェィッ
足利サイド陸軍メンバー一同 オォーゥーッ!
今度は、朝廷軍が、盾の端を撃ち鳴らし、エビラを叩いて、
朝廷軍の盾 カシカシカシカシ・・・。
朝廷軍のエビラ ボンボンボンボン・・・。
朝廷軍リーダー エイッ エイッ
朝廷軍メンバー一同 オウーーッ!
彼らの上げるトキの声は、南は淡路島(あわじしま)の絵島崎(えじまざき:兵庫県・淡路市)から鳴門海峡(なるとかいきょう)まで、西は播磨路の須磨浦(すまうら:神戸市・須磨区)まで、東は摂津(せっつ)国の生田森(いくたのもり:神戸市・中央区)まで、四方300余里にわたって響き渡り、天の四隅をささえている綱も切れて落ち、地軸も傾かんかと思われるほどである。
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