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私は、答えがない場所を答えで埋めなかった――国家出力後の約六年を経て、社会へ初めて求めること

2020年6月2日、私に対する刑事判決が確定した。

東京地方裁判所刑事第6部、2020年刑(わ)第410号。
罪名は、わいせつ電磁的記録等送信頒布。
判決は2020年5月18日に宣告された。

私は、この国家出力を否認していない。

存在しなかったことにもしていない。
自分に都合のよい結論へ置き換えようともしていない。

公判では、起訴状記載の公訴事実について、そのとおり間違いないと述べたことが記録されている。
国家出力が刑事手続を経て形成され、法的に確定したという事実は、その後の確認及び分析に先行する不可動の前提として扱ってきた。

しかし、国家出力が確定したことと、その国家出力を生成した判断生成構造について制度内説明へ到達できることは、別の事実だった。

判決は確定した。

私の反省と再発防止の検証は、そこで終了しなかった。

■ 国家出力は、刑事手続の外へ帰結を生じさせる
国家出力が確定すると、刑事手続上の効果だけが残るのではない。

前科が残る。

生活、仕事、契約、社会的信用、人間関係及び将来の選択に影響が生じる。

事件が報道されれば、その報道はインターネット上に残る。
氏名又は事件に関係する語を検索すれば、報道記事、その転載、要約及びSNS上の言及が表示される。

判決書を読んだことのない人にも、事件名、罪名、記事の見出し及び検索結果は届く。

国家出力によって確定した結果と、その結果について社会で形成された意味が重なり、私は一定の人物像として理解される。

報道機関又は検索サービスを非難するために書いているのではない。

事件を社会へ伝えることには公共的な機能がある。
公開された情報へ到達できることにも意味がある。

しかし、国家出力の結果が広く流通することと、その国家出力を生成した判断生成構造が同じ条件で参照できることは別である。

どの対象行為が、どの資料によって特定されたのか。

捜査過程で何が作成され、何が検察へ送られ、何が公判へ提出されたのか。

提出された証拠は、どのような基準によって選別されたのか。

証拠及び法益はどのように評価されたのか。

訴因、事実認定、法適用及び量刑は、どの判断生成構造によって接続されたのか。

結果が検索できることと、これらの形成過程が制度内で説明参照可能であることを重ねてはならない。

結果だけが社会へ到達すれば、その後の意味は、一般的な刑法解説、報道の要約、個人の価値判断及び推測によって補われる。

その説明が、私に対する個別の国家出力を実際に生成した構造と一致しているかは、制度内記録との照合を行わなければ確認できない。

私は、その空白を自分に有利な説明で埋めなかった。

■ 私が知りたかったのは、「悪い理由」だけではなかった
公判では、反省について質問を受けた。

そのとき私が考えていた反省は、判決までに謝罪の言葉を整え、外形的な態度を示すことで完了するものではなかった。

自分はどのような認知を経て行動したのか。

どの判断過程に問題があったのか。

どの条件を変更すれば、同じ行為の再発を防げるのか。

自分の認知、行動及び善悪判断の基準を継続して検証し、必要な変更を行い続けることが反省だと考えていた。

公判記録上も、再犯防止のためには心理的要因及び行動へ至る構造的要因を長期的に検証し、判断過程や善悪判断の基準を問い直し続ける必要があること、反省は生涯にわたり自己と向き合う過程であるという趣旨を述べている。

一方、公判では、特定の期日までにどのような反省を行ったのかが確認された。

この違いを、裁判所が不親切だったという評価へ戻すつもりはない。

裁判官の善意又は悪意を推測する問題でもない。

私が確認する必要があったのは、継続的な認知構造の再構成として私が理解していた反省を、制度が量刑判断へ利用可能な反省へ変換するとき、どのような接続基準が使用されるのかということだった。

何を反省の対象とするのか。

反省の内容を、どの資料によって確認するのか。

どの基準により、反省が十分又は不十分だと判断されるのか。

反省、再発防止策、証拠評価、法益評価及び量刑を、どの判断生成構造によって接続するのか。

刑法第175条は、特定の被害者の存在を構成要件として前提としない犯罪類型である。

その条件の下で、誰に対する何を、どの基準で反省し、どの変更を再発防止へ接続すればよいのかを、道徳的な一般論だけで確定することはできなかった。

「何を反省すべきか分からない」という言葉は、国家から人生の正解を教えてほしいという要求ではない。

国家出力を生成した判断対象、資料、評価及び接続基準へ到達できなければ、自分の反省及び行為修正を、どの現実へ対応させるべきか確認できないという問題だった。

■ 国家出力後も、反省と再発防止の検証は終わらなかった
公判までに問われた反省がある。

国家出力を受領した後も、私が続けなければならなかった反省と再発防止の検証がある。

後者を、新しい法的概念として提示するつもりはない。

私にとって現実に終了しなかった作業を、その時間順に記述している。

国家出力を不可動の事実として受け取り、その出力が何を対象として形成されたのかを可能な範囲で確認する。

確認した事実に基づき、自分の認知及び行為を再検証する。

再発防止のために、何を変更する必要があるのかを確定する。

そのために必要な資料、判断生成構造及び反省接続基準へ制度内で到達する。

私は、それが可能だと考えていた。

国家出力がある以上、その形成及び反省への接続を説明できる資料又は制度内経路も存在すると考えた。

そのため、判決確定後も記録を確認した。

刑事確定訴訟記録を確認した。

捜査過程に関する資料を追った。

閲覧・謄写を請求した。

制度内の機関へ照会した。

誰が文書を作成したのか。

誰の名義が記録されているのか。

どの資料が存在し、どの資料が提出されたのか。

何が提示され、何が提示されなかったのか。

確認を続ける過程で、資料が提示されない場合があった。

照会に対する回答を得られない場合があった。

閲覧又は謄写が許可されない場合があった。

判断に関わる記録が作成されていないことが確認される場合もあった。

不提示、不応答、不許可及び非記録化は、同じ「分からない」ではない。

存在する資料を取得できないこと。

資料が存在するか確認できないこと。

照会先は存在するが回答を得られないこと。

回答権限を持つ主体を特定できないこと。

判断生成に関わる要素が本文上に記録されていないこと。

制度内操作を反復しても、判断生成構造へ至る説明参照経路が成立しないこと。

それぞれ異なる事実状態である。

私は、それらを「情報が足りなかった」という一つの言葉へまとめなかった。

■ 一般的な説明なら、もっと早く得られた
刑法第175条に関する判例、学説、制度史及び公開研究は存在する。

わいせつ性、頒布及び保護法益について、研究者、弁護士及び実務家の説明を読むこともできる。

刑事手続では一般に何が行われるか、どのような事情が量刑で考慮されるかについて説明を受けることもできる。

私は、それらが不要だと考えていない。

法令、判例、学説及び制度史を分析することは、学術及び法実務に必要である。

しかし、一般的な法解釈を知ることと、私に対する個別の国家出力を生成した判断生成構造を確認することは同じではない。

ある学説が刑法第175条の保護法益を説明していても、その学説が私の事件で実際に判断入力として使用されたかは分からない。

捜査実務では通常こう処理すると説明されても、私の事件で作成、選別、送致及び提出された資料がその説明と一致するかは分からない。

判例上のわいせつ概念を理解できても、私に対する調書判決の形成過程で、どの資料がどのように評価されたかは別に確認しなければならない。

一般説明を空白へ置けば、短期間で一つの回答を完成させられる。

国家はこう考えたはずだ。

検察官はこの理由によって起訴したはずだ。

裁判所はこの判例又は学説を採用したはずだ。

私はこのような理由で処罰されたのだろう。

そのように書けば、「なぜ」へ答えることはできる。

しかし、その答えが制度内記録から確認された事実なのか、制度外で構成された推測なのかが分からなくなる。

私は、その方法を採らなかった。

答えがない場所を、答えで埋めなかった。

■ 国家出力形成以前から作動していた記録生成仕様
国家出力の外形的な事実は確認できた。

捜査、起訴、公判及び判決が行われた。

起訴状、調書判決及び公判関係記録を確認できる範囲もあった。

一方、証拠体系の全体、証拠選別の基準、資料と評価と結論を接続した判断生成構造、法益評価方法及び反省接続基準について、本文上の参照経路は確保されていなかった。

この状態を、判決後に説明が不足したという話へ縮小することはできなかった。

国家出力の形成以前から、判断生成に不可欠な要素を制度文書の本文上へ記録せず、結果を配置する記録生成仕様が作動していたからである。

原典では、これを生成過程不可視化として固定した。

生成過程不可視化は、単なる情報非公開でも、ブラックボックス一般でもない。

国家出力を成立させるために作動した判断生成要素が制度文書の本文上に記録されず、その非記録化が反復する制度運用上の記録生成仕様である。

非記録化は、その要素が存在しなかったことを意味しない。

判断、選別及び評価が現実には必要であったにもかかわらず、その内容及び接続が確認可能な形で本文上に提示されなかったという事実状態を扱う。

国家出力は、生成過程が本文上に十分記録されていなくても成立し、確定する。

結果は制度上の効力を持つ。

一方、その結果を生成した判断生成構造、証拠評価構造及び反省接続構造に関する制度内説明参照経路は、確保されないまま固定され得る。

私は国家出力確定後の照会によって、この記録生成仕様が生じさせた位置へ接続した。

■ 制度内説明へ到達できなかった事実を固定する
私は、制度内で確認できるものを確認した。

存在する資料。

資料の名義。

記録された主体及び行為。

公判で行われた照会。

閲覧・謄写に関する手続。

不許可処分。

資料が提示されなかった事実。

回答を得られなかった事実。

記録が作成されていないことが確認された事実。

そして、どの位置から判断生成構造への説明参照経路が成立しなくなるのか。

制度内照会及び確認を反復しても、判断生成構造へ至る説明へ到達できなかった。

原典では、この状態を説明参照不能状態として固定した。

私が説明を理解できなかったという意味ではない。

説明の量が少なかったという評価でもない。

より丁寧に説明されれば納得できたという話でもない。

制度内部において、どの資料、主体及び手続をたどれば、国家出力を生成した判断生成構造へ到達できるのか。
その参照経路が成立せず、制度内操作を反復しても説明へ到達できなかったという観測事実である。

この状態を「法律は曖昧だ」という評価へ戻せば、何が、どの制度位置で、どの資料との関係において参照不能だったのかが消える。

一般論を追加すれば、制度内で到達できなかった事実そのものが見えなくなる。

だから私は、非到達を非到達のまま保持した。

■ 反省が照会されたことと、反省を接続する構造が存在することは同じではない
公判で反省について質問が行われたことは確認できる。

しかし、反省が照会されたという事実だけで、反省を量刑又は再発防止へ接続する制度的構造が説明参照可能であったことにはならない。

反省の対象は何か。

どの基準によって内容を評価するのか。

どの資料を使用するのか。

誰が判断するのか。

反省を、証拠評価、法益評価、量刑及び再発防止へどのように接続するのか。

原典では、反省をどの対象に、どの基準及び手続をもって量刑判断又は再発防止判断へ接続するのかという制度的構造を、制度内で確認できない状態を、反省接続構造欠落として固定した。

これは、反省の内容や態度が正しかったかを評価する概念ではない。

反省を求める制度運用は存在する一方、その反省を判断へ接続するための制度的基準及び手続が参照不能であるという事実状態を指す。

判断生成構造へ制度内で到達できなければ、反省をその判断へ接続する構造にも到達できない。

何を根拠に判断したかを確認できない状態で、その判断に適合する反省を作ろうとすれば、当事者は一般的な道徳、専門家の推測又は制度が期待していると思われる態度を選ぶことになる。

その態度が、個別の国家出力を生成した判断対象及び評価へ実際に対応しているかは確認できない。

この状態では、反省という言葉が存在しても、反省及び再発防止を現実の判断生成構造へ接続することはできない。

だから私の検証は、国家出力の後も終了しなかった。

■ 欠落を事実として扱うためにFCが必要になった
照会によって増えたのは、回答だけではなかった。

回答がないことを示す記録も増えた。

資料が提示されなかった事実が残った。

閲覧又は謄写が許可されなかったことを示す文書が残った。

必要と考えた記録が作成されていないことも確認された。

通常、調査は資料を集め、空白を減らし、説明を完成させるために行われる。

私が通過したのは、資料及び制度操作を確認するほど、制度内説明へ接続できない位置が具体化する過程だった。

存在する資料だけを並べても、この過程は示せない。

不提示、不応答、不許可、非記録化及び説明参照停止位置も、同じ分析入力として保持する必要がある。

そこからFC(First Case)が成立した。

FCは、事件の別名ではない。

私の人生又は経験の全体でもない。

生成過程不可視化そのものでもない。

国家出力に付随して観測された欠落事実構造を、制度外の説明によって補わず固定する接続点である。

「分からなかった」と訴えるだけでは、第三者は私と同じ対象を確認できない。

どの国家出力を前提とし、どの資料を確認し、どの制度操作を行い、何が提示されず、どこで説明参照経路が停止したのかを固定して初めて、私の経験した非到達は、第三者が照合できる欠落事実になる。

FCによって、本人にしか経験できなかった過程のうち、記録及び制度操作によって固定できる部分を、外部の分析対象へ変換した。

■ 規範的空白を現実へ接続する
欠落があると述べるだけでは、その欠落が現実のどこに存在するのか分からない。

判断基準が分からない。

手続が分からない。

資料が不足している。

説明へ到達できない。

そのような表現だけでは、主体、行為、資料、制度及び結果へ接続できない。

FCとして固定した欠落事実構造を、現実の構成要素へ対応させる工程が必要になった。

誰の判断に関する欠落なのか。

どの行為についての定義域を確認できないのか。

どの資料が作成、保存、提出、不提出又は非記録化となったのか。

どの工程で証拠評価及び法益評価が行われたのか。

どの制度接続位置で判断結果へ変換されたのか。

誰が判断責任を持つのか。

どこまで説明参照可能で、どこから説明参照不能なのか。

この対応付けを、規範的空白の現実接続工程として固定した。

規範的空白を、刑法第175条が曖昧だという一般評価として扱わない。

定義域、評価基準、判断手続、判断構造、法益評価方法、反省接続基準及び資料体系の欠落を、現実の主体、客体、行為、制度操作、記録及び制度出力へ接続する。

国家出力が正しかったかを決める工程ではない。

特定の人物又は機関へ悪意や責任を推測によって帰属する工程でもない。

欠落が現実のどの位置にあり、第三者がどの資料及び制度操作によって照合できるかを固定する工程である。

■ FMPは、説明を作るための工程ではなかった
FCによって欠落事実構造を固定した後も、問題は残った。

その欠落を、どのような形式で扱うのか。

通常の分析では、資料の空白に仮説を置く。

判例、学説、経験則、比較事例及び専門家の知識を使用し、合理的と考えられる説明を組み立てる。

その方法には必要性がある。

しかし、私が固定しようとしていたのは、制度内説明へ到達できなかったという事実だった。

空白へ一般論を置けば、説明参照不能状態が消える。

制度内で確認できなかった判断生成構造を、制度外で生成した説明によって置き換えることになる。

FMP(First Modeling Phase)は、欠落を埋める工程ではない。

欠落を一般論、学説、経験則、推測又は制度外説明によって補完せず、欠落を欠落した状態のまま扱う形式を設計する工程である。

どの記載が制度内で確認された事実なのか。

何が当事者一次情報なのか。

何が私の自己認識なのか。

どの部分が分析、仮説又は推測なのか。

何が確認不能なのか。

どこから制度外補完が始まるのか。

これらを混同しない参照形式が必要だった。

その設計工程がFMPだった。

■ FMは、失われた答えを復元しない
FMPを経て成立したFM(First Model)は、刑法第175条の正しい意味を提示するモデルではない。

国家出力が本当はどのような理由によって形成されたかを推測するモデルでもない。

制度内で提示されなかった判断基準を再現するものでもない。

一つの政策案又は刑事司法改革案でもない。

FMは、欠落を不可動の前提として保持する。

確認可能な対象。

確認不能な対象。

説明参照停止位置。

制度外補完が開始する位置。

これらを分け、第三者が同一条件で照合、検証及び再適用できる参照体系である。

第三者は、私と同じ当事者として捜査、公判、国家出力及びその後の照会を経験することはできない。

私がどの時点で何を理解できず、どの資料を探し、どの制度操作を反復し、どの非到達を保持したかを、同一条件で経験することもできない。

一方、FMに固定された資料、制度操作、欠落及び説明参照停止位置は、第三者が参照できる。

ここに、FM成立後に初めて明確になる非対称がある。

欠落事実は第三者が参照可能となった。

しかし、その欠落が欠落として確定されるまでに私が通過した理解過程、照会過程及び非到達経験は、第三者へ同じようには供給されない。

FMは、その差を消さない。

本人性を権威化しない

本人性を学術又は一般説明へ吸収しない。

本人にしか持てない観測入口と、第三者が照合できる参照条件を分ける。

■ DOIは、私を正しい主体にするものではない
原典文書は、2025年11月12日に確定した。

2026年4月10日、Zenodo上で初版を公開した。

国家出力が確定した2020年6月2日から、原典文書の確定まで5年5か月。
初版公開まで5年10か月。
共通基準日である2026年8月6日まで6年2か月が経過した。

DOIは、私の分析が正しいことを証明するものではない。

国家機関又は裁判所が内容を認定したことを意味しない。

学術界が制度科学を承認したことも意味しない。

私の人格、誠実さ又は当事者性を保証するものでもない。

公開後も、原典への反論、検証、批判及び再分析は可能である。

DOIが成立させたのは、参照先の固定である。

私が後から都合よく事実又は定義を変更し、相手ごとに異なる説明を提示するのではなく、誰もが同じ版へ到達できる。

そこで何が制度内事実として記載され、何が当事者観測として固定され、何が定義され、何が対象外とされているかを確認できる。

私を信じるよう求めるのではない。

私を信じなくても、記載された資料、事実、定義及び限界を照合できる状態を作る。

それがDOIによる外部固定の目的だった。

■ AV出演被害防止・救済法の議論には、まだ接続できなかった
2022年、AV出演被害防止・救済法をめぐり、社会的な議論が発生した。

出演被害の防止及び救済を求める声があった。

出演契約、説明、撮影、公表、取消し、任意解除、差止め、販売・配信停止及び相談支援が立法対象となった。

同法の正式名称は、「性をめぐる個人の尊厳が重んぜられる社会の形成に資するために性行為映像制作物への出演に係る被害の防止を図り及び出演者の救済に資するための出演契約等に関する特則等に関する法律」である。

令和4年法律第78号として2022年6月15日に成立し、同月23日に施行された。
刑法第175条による刑事判断とは異なり、出演契約及び制作・公表工程に関する特則と救済を扱う制度である。

成立後も、出演者、支援団体、制作側、政治家その他の主体から、制度の効果、生活及び事業への影響並びに見直しに関する発信が続いた。

私は、自分の刑事事件と同法を同じ制度だとは考えていなかった。

刑法第175条による国家出力と、出演契約及び制作・公表工程を対象とする救済制度では、主体、行為、資料及び制度接続位置が異なる。

ただし、異なる制度をめぐり、当事者の経験、支援団体の説明、業界の説明、政治的な価値判断、報道、仮説及び将来予測が、一つの問題の説明であるかのように混在している状態は見えていた。

何が制度内で確認された事実なのか。

誰の一次情報なのか。

どの資料が立法入力となったのか。

制度のどの位置を変更しようとしているのか。

施行後に生じた帰結を、どの原因へ接続できるのか。

その区別が必要だと感じていた。

しかし、当時の私は、その区別を第三者が照合できる形式で提示できなかった。

FC、FMP及びFMは、現在の形では成立していなかった。

原典も、DOIによる外部参照条件もなかった。

自分の経験を制度変更の議論へ接続すれば、刑法第175条による前科を持つ者が、成人領域の規制へ自分の利害から反対していると理解される可能性があった。

その理解に言葉で反論しても、私自身が確認事実、経験、分析、推測及び未確認事項を分ける外形を提示できなければ、自己弁護との違いを第三者は検査できない。

だから私は、社会へ直接要求する前に、参照可能な条件を作る必要があると判断した。

■ 学術との接続は、承認から始まらなかった
私は国家出力を受領した当事者として、一次資料、制度操作、照会、不提示、不応答、不許可、非記録化及び説明参照停止位置を固定できる。

しかし、本人性だけで刑法学上の一般理論を確定することはできない。

刑法第175条の制度史、判例、学説、比較及び理論化は、研究者が自らの方法と責任によって扱う領域である。

この役割の違いを、上下関係へ変えてはならない。

研究者が当事者の経験を一般論へ回収し、説明を完了したことにするのでもない。

当事者が経験を根拠に、研究者の分析を無効とするのでもない。

海老澤侑氏とは、複数回にわたり資料を共有してきた。

海老澤氏は、広義の性犯罪分野を主な研究対象とし、最高裁判所の刑法第175条判例における個別意見や、情報社会における性表現規制等を研究対象として公開している。

私と海老澤氏との往復記録からは、海老澤氏が資料を受領したこと、日本刑法学会第104回大会で以前のやり取りに関係する内容へ触れた旨を連絡したこと、報告を書面化する機会が生じそうであると伝えたことを確認できる。

日本刑法学会の公開情報によれば、第104回大会は2026年5月30日及び31日に甲南大学岡本キャンパスで開催された。
一般の大会傍聴には非会員向けの手続が案内され、ワークショップへの参加は学会員に限定されていた。

ここで成立したのは、制度科学全体への承認でも、共同研究でもない。

雑誌掲載が決定したという事実でもない。

当事者の経験の一部が、私信の範囲を越え、研究者が自らの方法及び責任で扱う学術空間へ到達したという限定された接続である。

私は、その接続に感謝している。

資料を受領したこと。

継続して関心を示したこと。

当事者の経験の一部を、匿名性に配慮しながら学術上の検討へ移したこと。

そして、私の結論を代わりに承認するのではなく、研究者としての位置を維持したまま資料を扱ったことに感謝している。

海老澤氏は、警察が実写コンテンツと二次元コンテンツを区別する具体的な理由について、より説明を求める趣旨の投稿を公開している。

この問いを批判の対象にはしない。

問いを現実構造へ接続するために、どの警察機関の、どの事件の、どの工程の判断なのかを共に確認したい。

捜査上の対象選別なのか。

押収、検分又は鑑定における区別なのか。

検察官の起訴判断へ接続した区別なのか。

裁判所の国家出力に現れた区別なのか。

行政機関又は民間プラットフォームによる判断なのか。

実写と二次元を区別した記録が存在するのか。

その区別が、どの資料及び評価を通じて制度出力へ接続したのか。

当事者観測と学術分析が相互を代替せず、同じ資料及び制度位置を対象にできれば、「なぜ」という疑問を、一般論の反復から検証可能な課題へ変換できる。

私が求める学術との接続は、そのような接続である。

■ 問いを制度操作へ移した事実と、回答が成立した事実を分ける
あしやまひろこ氏は、「無修正をなぜ頒布してはならないのか」という問いを、公開発信だけでなく、公証、異議申立て、情報公開及び訴訟等の制度操作へ移したと公表している。

本人の公開発信と共有された補足情報によれば、基準日時点では控訴審に関する手続が継続しており、2026年8月20日に判決が予定されているとされていた。

共通基準日である2026年8月6日時点では、その予定日は到来していない。

制度操作を実行したことは重要な事実である。

問いが、公証人、行政機関及び裁判所の扱う具体的な手続へ移され、文書及び制度出力が形成されるからである。

ただし、制度操作を実行したことと、「無修正をなぜ頒布してはならないのか」という問いに対応する刑法第175条上の判断生成構造が制度内で説明されたことは同じではない。

本人の主張。

公証上の判断。

行政機関による判断。

情報公開によって確認された事実。

訴訟における本人及び国側の主張。

裁判所が対象とした訴訟要件、処分、義務付け又は国家賠償上の論点。

刑法第175条におけるわいせつ性及び頒布の判断生成構造。

これらを一つの回答として扱うことはできない。

ある制度操作で判断が示されても、その判断が刑法第175条の個別適用を生成する判断と同じとは限らない。

裁判所が行政処分又は訴訟上の請求について判断したことと、「なぜ頒布してはならないのか」に対する実体的な説明参照経路が成立したことも分ける必要がある。

私は、あしやま氏へ私と同じ結論を求めていない。

同氏の制度操作を、私の制度科学が正しいことを証明する資料として使うつもりもない。

問いをSNS上だけに残さず、制度の具体的手続へ移した主体として、その実行を尊重している。

その上で、本人の主張、制度内で確認された事実、行政機関の判断、裁判所の判断、分析、未確認事項及び説明参照停止位置を区別する確認規律を、同一領域において共に高めたいと考えている。

問いを制度へ届けること。

制度操作を開始すること。

制度出力を受けること。

問いに対応する判断生成構造について説明が成立すること。

これらを分けることによって、制度操作の意味は弱まらない。

何が実際に成立し、何がまだ成立していないのかが明確になる。

■ 当事者性は、正しさを保証しない
私が国家出力を受領し、約6年間にわたり制度内照会を続けたことは、私の結論が正しいことを保証しない。

当事者であることによって得られるのは、非代替な観測入口である。

自分が受けた捜査、公判、国家出力及び社会的帰結を経験した。

自分が閲覧した資料、受領した通知、行った照会及び得られなかった回答を知っている。

この条件を、第三者が同一に経験することはできない。

しかし、経験を持つことと、その経験の法的意味、制度一般への射程又は政策結論を確定できることは同じではない。

私が行うべきことは、本人であることを理由に、私の説明を信じるよう求めることではなかった。

経験、記録、制度内で確認された事実、自己認識、分析、推測及び未確認事項を分けることだった。

他者が私を信じなくても、固定した資料及び構造を検査できる状態にすることだった。

当事者性を権威へ変えれば、異なる経験を持つ他の当事者を消してしまう。

私の事件だけで、すべての刑法第175条事件、成人向け広告、AV制作又は表現規制を説明したことにもなってしまう。

私は、その位置を取らない。

FCは、最初の一件によって制度全体を説明するものではない。

最初に固定された欠落事実構造を参照点とし、次の事案が同じ構造を持つのか、異なるのかを比較可能にするための接続点である。

■ 学術も、当事者を一般論で代替しない
学術は、当事者より上位の説明主体ではない。

当事者の主張を承認する機関でもない。

法令、判例、制度史、学説、比較、分類、仮説形成、理論化及び検証を担う分析主体である。

学術が公開資料から原因に関する仮説を形成することには意味がある。

しかし、当事者が制度内照会によって確認した不提示、不応答、不許可、非記録化及び説明参照停止位置を、一般的な法説明だけで代替することはできない。

通常はこのように判断される。

判例上はこのように説明される。

刑事手続上、この資料は通常作成されない。

これらの説明が妥当であっても、個別国家出力の形成過程で、同じ判断生成構造が実際に作動したかは、一次資料との照合を必要とする。

学術が制度構造未定義領域(原因位相)そのものなのではない。

当事者一次観測から、主体、行為、資料、制度操作及び説明参照停止位置を分離した分析入力を受け取り、検証、比較及び理論化する主体である。

当事者の経験を、感情的な証言として消費しない。

本人性を権威化しない。

記録された事実と、記録されなかった位置の双方を分析対象として扱う。

その条件によって、当事者と学術は接続できる。

■ 制度変更権限も、原因位相への到達を保証しない
政治家は法律案を提出できる。

政党は政策課題を設定できる。

国会は審議、修正及び採決を行える。

行政機関は政令、省令、告示、指針及び監督手続を整備できる。

プラットフォームは規約を変更し、広告を削除し、表示を制限できる。

報道機関は問題を社会へ可視化できる。

これらの権限及び機能は必要である。

しかし、制度を変更できることは、変更対象を生成した判断生成構造を確認していることを意味しない。

現在の通称「エロ広告規制法案」をめぐる議論でも、実際に表示された広告、利用者が保存した画像、広告主、広告代理店、広告配信事業者、媒体、プラットフォームの規約、審査記録、通報履歴、提出者が使用した立法資料、法律案本文及び将来の政省令が、同じ情報として扱われることがある。

だが、それぞれ異なる主体、時点及び制度位置に属する。

「子どもを守る」という目的は重要である。

「表現規制を拡大してはならない」という懸念も重要である。

その目的及び懸念が重要であることと、現実のどの位置へ制度変更を接続するかが確定していることは同じではない。

私が求めているのは、最初から正しい答えを持つ政治家でも、すべてを知る専門家でもない。

未知を未知のまま区別し、自らの権限と限界を示せる主体である。

■ 制度構造未定義領域(原因位相)、制度未整備領域(現象位相)及び帰結位相
現在の社会で観測される広告表示、当事者の不利益、制度変更要求及び反対運動は、それだけで原因位相ではない。

国家出力又は制度出力を生成した内部構造について、判断主体、判断対象、判断工程、使用資料、資料選別、評価構造、制度接続位置、判断責任、制度内説明参照経路及び説明参照停止位置を対象化する位置が、制度構造未定義領域(原因位相)である。

結果が存在しても、その結果を生成した判断生成構造に関する制度的基準体系を制度内で確認できない原因的事実状態を扱う。

広告が表示されたという結果から、プラットフォームの意図を推測しても、原因位相へ到達したことにはならない。

広告が削除されたという結果から、国家による表現規制が始まったと推測しても、どの主体がどの基準で判断したかは確定しない。

原因位相における説明参照不能が社会又は市場へ現れ、広告、投稿、配信、検索、通報、審査、年齢確認、本人確認及び限定公開について、行為単位、接触条件、責任主体、制度接続位置及び判定条件を統一する設計単位が成立しない状態が、制度未整備領域(現象位相)である。

ここでは、広告主、代理店、媒体、プラットフォーム及び行政機関の責任位置が分裂する。

広告、通常投稿、検索結果及び転載が同じ画面上で混同される。

公共的な表示と成人の限定公開が一つの公開として処理される。

法律、民間規約、広告審査及び技術的配信が別々に存在しても、判断と説明の接続が成立しない。

その現象位相から、法改正、削除、表示制限、販売停止、事業者の撤退、国外流通、生活不安、競争上の歪み、報道及び検索結果による意味固定が生じる。

これが帰結位相である。

制度変更は帰結位相に現れる作用であり、原因そのものではない。

新しい法律又は審査を追加したことと、原因位相へ接続したことを同じにしてはならない。

広告が減ったことと、当初問題となった接触が減ったことも同じではない。

表示が別媒体又は通常投稿へ移動した可能性がある。

青少年への到達が減る一方、医療、教育又は相談情報が過剰に制限される可能性もある。

帰結を観測するときは、どの原因及び現象から生じたのかを再び確認しなければならない。

■ 社会へ求めるのは、賛同ではない
私は、この連載によって自分への賛同を求めていない。

刑法第175条の撤廃を求めて閉じるつもりもない。

維持を求めるつもりもない。

通称「エロ広告規制法案」への賛成又は反対を統一するつもりもない。

成人向け表現を擁護するためでも、青少年保護を否定するためでもない。

私が社会へ求めることは、結論より前にある。

一般利用者が広告画像を共有するとき、何を見たのかを示してほしい。

いつ、どの媒体で、通常投稿、広告、検索結果又はおすすめ表示のどれとして見たのか。
画面から確認できない条件は、確認できないまま残してほしい。

法律案へ賛成する人には、どの広告、どの接触条件及びどの現行制度の不全を対象としているのかを示してほしい。

反対する人には、法律案本文から確認できる内容と、政省令又は将来運用について予測している内容を分けてほしい。

青少年保護を求める人には、本人の選択前に接触する表示と、成人が能動的に進む限定公開を区別してほしい。

成人向け表現に関わる人には、表現の内容だけではなく、誰へ、どの条件で到達させたのかを示してほしい。

広告主及び広告代理店には、広告内容、商品又は役務、出稿経路、配信条件及び審査時に提出した情報を確認可能にする構造を求める。

媒体運営者及びプラットフォームには、ポリシーが存在するという説明だけではなく、個別判断に使用した基準、通報後の処理、判断理由、異議申立て及び再審査の限界を記録することを求める。

報道機関には、確認した事実、当事者の発言、法律案本文、提出者説明、分析及び将来予測を分けて伝えることを求める。

研究者及び弁護士には、一般的な法説明と、個別制度出力について確認した資料を区別することを求める。

支援団体及び業界団体には、自らが受け取った一次情報及び実行工程の範囲と、それを制度全体へ一般化するときの限界を示すことを求める。

政治家、政党、行政機関及び官僚組織には、何を立法入力とし、どの資料を取得し、何を未確認のまま残し、法律、行政運用、記録生成仕様又は民間運用のどこを変更するのかを示すことを求める。

制度操作を実行する人には、申請、異議申立て、情報公開及び訴訟を行った事実と、そこで何が制度上判断され、何が判断されず、どこで説明が停止したのかを分けることを求める。

当事者には、経験を小さくすることを求めない。

経験を一般論によって消されないために、経験、記録、制度内事実、自己認識、分析、推測及び未確認事項を分けて提示することを求める。

■ 「分からない」を引き受ける主体が必要である
社会では、答えを早く示す主体が評価される。

法律案へ賛成か反対か。

規制は必要か不要か。

誰に責任があるのか。

どの制度を変えるべきか。

短い時間で結論を示すことが求められる。

しかし、現実構造へ接続していない結論は、対象を確定しないまま、制度及び人の生活を動かす。

必要なのは、何も決めないことではない。

決定の前に、「分からない」の種類を分けることである。

資料を取得していない。

資料の存在を確認していない。

資料は存在するが閲覧できない。

回答主体を特定できない。

回答がない。

記録が作成されていない。

制度内照会を反復しても説明参照経路が成立しない。

制度外の一般論を使わなければ説明を完成できない。

これらを区別した上で、調査、記録、公開、説明、制度設計及び実行へ接続する。

未確認部分を推測で埋めないことは、判断を放棄することではない。

判断が成立する条件を作ることである。

私は、答えを持っている主体だけを求めていない。

自分が答えを持っていない位置を示せる主体を求めている。

■ 今、初めて一人の人間として動く
国家出力の後、私は最初に一人の人間として発話することを選ばなかった。

怒りがなかったからではない。

苦痛がなかったからでもない。

前科、報道、検索結果及び社会的信用への帰結が軽かったからでもない。

言葉を先に出せば、前科を持つ者の不満、自己弁護、刑法第175条への私怨又は成人表現規制への反対運動として処理される可能性があった。

その処理が不当だと主張するだけでは、処理の構造を変更できない。

私自身が、自分の言葉を事実及び記録へ接続し、第三者が照合できる状態を先に作る必要があった。

だから記録を先にした。

制度内照会を先にした。

確認事実と推測の区別を先にした。

未回答を保持した。

FCを成立させた。

規範的空白の現実接続工程を通過した。

FMPを経た。

FMを成立させた。

原典を確定し、DOIによる外部参照条件を成立させた。

制度科学的定義と第三者照合の条件を成立させた後に、人間へ戻るのではない。

その定義と参照条件によって初めて、私の反省、動機、継続、苦痛、感謝及び社会への要求を、事実及び記録から切断せずに語ることが可能になった。

これまでの時間を、努力、執念又は情熱の物語にはしない。

必要な資料は分散していた。

照会を続ける直接的な利益はなかった。

前科は消えなかった。

量刑も変わらなかった。

一般説明で空白を埋める方が容易だった。

それでも未回答を未回答として保持したから、説明参照停止位置を観測できた。

その観測がFC、FMP及びFMへ接続した。

現在の社会へ発信できる条件を成立させた。

私にとって約6年は、単なる研究期間ではない。

国家出力後も反省及び再発防止の検証が終了せず、本人にしか経験できない非到達を、第三者が照合可能な参照条件へ変換した時間である。

■ 私が社会へ求めること
私が求めるのは、全員が同じ答えを持つことではない。

自分が見た対象、使用した資料、確認できなかった位置、発言する制度位置、引き受ける責任及び限界を、他者が検査できる形で残してほしい。

何を対象としているのか。

何を分析入力としているのか。

何を確認し、何を確認していないのか。

どの制度接続位置から発言しているのか。

どの権限を持ち、どの責任を引き受けるのか。

どこから先が自分の限界なのか。

当事者、学術、政策形成主体、制度操作主体及び実行主体のうち、自分がどの位置にいるのか。

他の主体を、自分の経験、資格、権限又は一般論によって代替していないか。

社会又は市場に現れた現象を見たことと、その現象を生成した制度構造未定義領域(原因位相)へ到達したことを重ねていないか。

制度未整備領域(現象位相)へ新しい規制又は審査を追加したことを、原因の解消として扱っていないか。

制度変更、削除、表示制限、販売停止、報道、社会運動及び生活上の影響という帰結位相を観測するとき、その帰結がどの原因及び現象から生じたのかを確認しているか。

それぞれの主体に、この確認を求める。

私は、同じ答えを持つ社会を求めていない。

同じ現実を対象としているかを、相互に検査できる社会を求めている。

賛成と反対が存在してもよい。

異なる学説が存在してもよい。

異なる当事者経験が存在してもよい。

異なる政策判断が存在してもよい。

ただし、それぞれが何を見て、何を確認し、どこから推測し、どの責任で結論へ進んだのかが参照可能でなければならない。

国家出力の結果だけが残り、その形成過程が参照できない状態を、次の制度変更で繰り返してはならない。

説明へ到達できない場所を、新しい一般説明で覆ってはならない。

分からないことを、分かったことにして制度を動かしてはならない。

私は、答えがない場所を答えで埋めなかった。

今、社会へ同じ結論を求めるのではなく、同じ確認規律を求める。

問いを持ったなら、その問いが指す現実へ進んでほしい。

制度を変えるなら、変える対象を成立させてほしい。

説明するなら、どの資料及び制度位置に基づく説明なのかを示してほしい。

分からないなら、分からない位置を固定してほしい。

そして、自分だけでは到達できない現実があることを認め、異なる主体と接続してほしい。

これが、国家出力後の約6年を経て、私が社会へ初めて直接求めることである。

■ 原典公開先
原典名
『国家出力確定後の説明参照不能過程の形式知化と制度科学的定義』

原典公開先
https://doi.org/10.5281/zenodo.19490699

■ 主要参照先
海老澤侑氏|researchmap
https://researchmap.jp/ebisawususumu

日本刑法学会|第104回大会
https://clsj.jp/archives/1475

海老澤侑氏|2026年6月26日のX投稿
https://x.com/ebisawususumu/status/2070294662234182086

あしやまひろこ氏|「無修正をなぜ頒布してはならないのかを法務大臣に直訴して聞き出した&訴訟進行しています」
https://www.hirokotb.com/2024/12/waisetsu01.html

内閣府男女共同参画局|AV出演被害問題について
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/avjk/index.html

■ この連載が扱う法律案と事実の基準時点
本記事が法律案、国会審議、行政制度、民間規約、プラットフォーム運用及び公開情報を確認した共通基準日は、2026年8月6日である。

本連載が扱う法律案の正式名称は、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」である。

同法律案は、第221回国会の参法第19号として、2026年7月15日伊藤孝恵参議院議員から提出された。

共通基準日時点で、成立、公布年月日及び法律番号は確認できない。
参議院の個別審議情報では、委員会付託、議決及び継続結果も記載されていない。
ただし、同ページの情報基準日を超える最終的な議案処理区分については、同ページの記載だけから確定しない。

「エロ広告規制法案」は正式名称ではない。
提出政党及び社会的言説で用いられている通称である。
法的内容を扱う場合は、正式名称又は「法律案」と記載する。

法律案本文及び要綱、提出者又は政党による政策説明、報道、SNS上の評価並びに将来の制度運用に関する予測は、それぞれ異なる情報として区別する。

政令、総務省令又は経済産業省令へ委任されている事項は、共通基準日時点で確定した制度運用として扱わない。

共通基準日後に、議案処理区分の確定、再提出、審議、修正、採決、成立、公布、政省令の制定その他の重大な変更が確認された場合、当初の記事が置いた時間的前提を遡及して書き換えず、次の形式で追記する。

追記|YYYY年M月D日

変更内容、確認した一次資料及び本文中で影響を受ける箇所を記載する。

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