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「なぜ」の先へ――国家出力の後も終わらなかった問いから、現在の社会へ

■ この三記事を、今公開する理由
私はこれまで、現在の社会へ向けて、自分の言葉で直接呼びかけることを控えてきた。

刑法第175条による有罪判決が確定した後、言いたいことがなかったわけではない。
国家出力によって前科が残り、生活、仕事、信用及び人との関係に帰結が生じた。
事件に関する報道と検索結果も残り、私が社会からどのような人物として理解されるかに影響し続けた。

それでも、私は判決への反発や自己弁護から発信を始めなかった。

国家出力を、存在しなかったことにはしなかった。
自分に都合のよい結論へ置き換えることもしなかった。
先に確認しなければならないことが残っていたからだ。

私は何を反省すべきだったのか。

どの行為を、どの基準によって検証し、何を変更すれば再発防止へ接続できるのか。

国家出力が確定した以上、それを判断した制度の内部には、自分の反省と行為修正を接続できる何らかの基準があると考えていた。

私が求めていたのは、道徳的な正解ではない。

「悪いことをしたのだから反省すべきだ」という一般的な説明でもない。

対象となった行為、判断に使用された資料、法益及び証拠の評価、判断生成構造、そして反省を量刑又は再発防止へ接続する制度的条件を確認し、自分の行為を具体的に再検証できる状態にすることだった。

そのため、判決確定後も記録を確認し、制度内照会を反復した。

刑事確定訴訟記録、捜査過程に関する情報、閲覧・謄写請求、不許可、不提示、不応答及び非記録化を、一つずつ区別した。

何が存在するのか。

誰が作成した資料なのか。

どの制度操作が行われたのか。

どの資料が提示され、何が提示されなかったのか。

どの照会に回答がなく、何が記録されていないこととして確認されたのか。

どの位置から、国家出力を生成した判断生成構造への制度内説明参照経路が停止するのか。

確認できない部分を、弁護士による一般的な説明、判例一般、学説、捜査実務上の経験則、自分の推測又は自分にとって納得しやすい物語で埋めれば、もっと早く一つの説明を作ることはできた。

しかし、それを行えば、制度内で確認できた事実と、制度の外から補った説明との境界が消える。

私は、答えへ到達できなかった場所に、別の場所から持ってきた答えを置かなかった。

制度内照会を反復しても、国家出力を生成した判断生成構造及び反省接続構造について、制度内説明へ到達できなかった。

その事実を、私自身の理解不足や、「刑法第175条は曖昧だ」という感想に戻さなかった。

どの資料及び制度操作を確認でき、どの位置から先が参照不能となったのかを固定し、説明参照不能状態として保持した。

■ 国家出力の後も、時間は止まらなかった
私に対する判決は、2020年5月18日に東京地方裁判所刑事第6部で宣告され、2020年6月2日に確定した。
事件番号は2020年刑(わ)第410号、罪名はわいせつ電磁的記録等送信頒布だった。

国家出力が確定したことと、その形成過程について制度内説明へ到達できることは、別の事実として区別しなければならなかった。

2020年6月2日から、原典文書を確定した2025年11月12日まで、5年5か月が経過した。

2026年4月10日に初版を外部公開するまでには、5年10か月を要した。

そして、この文章の共通基準日である2026年8月6日には、国家出力の確定から6年2か月が経過している。

この時間を、研究歴や努力の長さとして示したいのではない。

照会を続けても、前科は消えなかった。

量刑も変わらなかった。

直接的な利益も生じなかった。

必要な資料は複数の機関及び記録体系へ分散していた。

短期的には、一般的な刑法解釈や経験則を使い、空白をもっともらしい説明で埋める方が容易だった。

それでも未回答を未回答として保持したから、制度内説明への経路がどこで停止するのかを観測できた。

その観測を、本人の感覚だけに残さないための作業が必要になった。

■ 本人にしか経験できないことを、本人を信じなくても確かめられる状態へ変える
国家出力を受けた経験そのものは、第三者が代替できない。

第三者は、私と同じ主体として捜査、公判、判決及び判決後の照会を経験することはできない。

一方、本人であることだけでは、私の認識が正しいことも、私の経験から一般的な法理又は政策結論が導かれることも保証されない。

だから、本人性を権威にするのではなく、本人にしか観測できなかった入口から、第三者が照合できる部分を分離して固定する必要があった。

そこからFC(First Case)が成立した。

FCは、私の事件そのものでも、私の人生全体でもない。

国家出力に付随して観測された欠落事実構造を、制度外の説明で補完せず固定する接続点である。

存在した資料だけではなく、照会を行った事実、回答がなかった事実、閲覧・謄写が許可されなかった事実、記録が作成されていないことが確認された事実及び説明参照停止位置を、同じ分析入力として保持する。

次に必要になったのが、FMP(First Modeling Phase)だった。

FMPは、説明を完成させるための工程ではない。

欠落を、一般論、学説、経験則、推測又は制度外説明によって補わず、欠落した状態のまま扱える形式を設計する工程である。

どこまでが制度内で確認された事実なのか。

どこからが当事者の自己認識なのか。

どの部分が分析で、何が仮説又は推測なのか。

何が確認不能であり、どこから制度外補完が始まるのか。

この区別を失わない形式を作らなければならなかった。

FMPを経て、FM(First Model)が成立した。

FMは、刑法第175条について一つの正解を示すものではない。

国家出力の背後に存在したはずの理由を復元するものでもない。

制度内で示されなかった判断生成構造を、私が代わりに作るものでもない。

欠落を不可動の前提として保持し、確認可能な対象、確認不能な対象、説明参照停止位置及び制度外補完の開始位置を分け、第三者が同一条件で照合、検証及び再適用できる参照体系である。

FMが成立したことで、欠落事実は第三者が参照できるようになった。

しかし、その欠落が欠落として確定されるまでに私が通過した理解、照会及び非到達の経験を、第三者が同じように得られるわけではない。

本人にしか経験できなかったことと、第三者が照合できることの差は残る。

FMは、その差を消さない。

本人性を権威化せず、本人性を一般論へ吸収せず、両者の接続条件を固定する。

■ DOIは、私の正しさを証明するためのものではない
私は2026年4月10日、国家出力確定後に観測した過程と、そこから成立した制度科学的定義を原典として公開した。

DOIは、私の分析を正しいものとして認定する制度ではない。

国家機関、裁判所又は学術界が、内容を承認したことを意味しない。

私の人格や誠実さを保証するものでもない。

原典の内容は、公開後も検証、批判及び再分析の対象になる。

DOIによって成立させたのは、外部参照条件である。

私が相手によって説明を変えるのではなく、誰もが同じ文書へ到達し、どの事実が記載され、何が定義され、どの部分が対象外とされているかを確認できる。

私を信じなければ読めないものではなく、私を信じなくても照合できるものにする。

国家出力を権威によって支え直すためでも、私自身を権威にするためでもない。

制度内で到達できなかった事実を、到達できなかった状態のまま、外部から参照可能にするための固定だった。

■ 2022年には、まだ社会へ出せる形がなかった
2022年、AV出演被害防止・救済法をめぐって大きな社会的議論が生じた。

同法の正式名称は、「性をめぐる個人の尊厳が重んぜられる社会の形成に資するために性行為映像制作物への出演に係る被害の防止を図り及び出演者の救済に資するための出演契約等に関する特則等に関する法律」である。

令和4年法律第78号として2022年6月15日に成立し、同月23日に施行された。
出演契約、契約時の説明、撮影及び公表までの期間、取消し又は任意解除、販売・配信停止等の請求並びに相談支援に関する制度が設けられている。

刑法第175条による刑事判断と、出演契約及び制作公表工程を対象とする同法は、同じ制度ではない。

主体も、対象行為も、使用資料も、制度操作も異なる。

ただし、異なる制度をめぐり、当事者の経験、支援団体の説明、業界の説明、政治的価値判断、報道、将来予測及び制度変更の要求が、一つの問題の説明であるかのように交差する状態は見えていた。

何が制度内で確認された事実なのか。

誰の一次情報なのか。

どの資料が立法の入力となったのか。

制度のどの位置を変更しようとしているのか。

施行後に生じた帰結を、どの原因へ接続できるのか。

その区別が必要だと感じていた。

しかし、当時の私は、自分の経験と社会で進む制度変更言説の関係を、第三者が照合できる形式で提示できなかった。

FC、FMP及びFMは、現在の形では成立していなかった。

原典も、DOIによる外部固定もなかった。

その状態で発信すれば、刑法第175条による前科を持つ者が、成人領域の規制へ自分の利害から反対していると理解される可能性があった。

その理解に反論する言葉を増やしても、私自身が、確認事実、経験、分析、推測及び未確認事項を分ける外形を提示できなければ、自己弁護との違いを第三者は照合できない。

だから私は、社会への要求より先に、参照条件を作ることを選んだ。

■ 今、同じ言葉の下で異なる現実が流通している
現在、通称「エロ広告規制法案」をめぐり、再び多くの情報が、同じ対象を説明しているかのように流通している。

社会でこの通称を用いて説明されている法律案の正式名称は、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」である。

第221回国会の参法第19号として、2026年7月15日に伊藤孝恵参議院議員から提出された。
参議院法制局の一覧でも、法律案名、提出番号、提出者及び提出日を確認できる。

共通基準日である2026年8月6日時点で、成立、公布年月日及び法律番号は確認できない。

参議院の個別審議情報では、委員会付託、議決及び継続結果も記載されていない。
ただし、同ページの情報基準日は2026年7月16日であるため、第221回国会終了後の最終的な議案処理区分について、その記載を超えて確定しない。

「エロ広告規制法案」は正式名称ではなく、提出政党及び社会的言説で使われている通称である。

法律案が提出されたという事実。

実際に表示された広告。

利用者が保存し共有した画像。

広告主、広告代理店、広告配信事業者、媒体及びプラットフォームの関係。

通常投稿と広告の違い。

公共的な場所又は一般利用者の画面へ、本人の選択前に到達し得る表示。

成人が年齢確認、会員登録、検索又は課金を経て能動的に閲覧する限定公開。

現在の広告ポリシー及び自主規制。

通報、削除及び再審査の実際。

提出者による政策説明。

法律案本文。

政令又は省令へ委任され、基準日時点では確定していない条件。

青少年保護への期待。

表現規制が拡大するという予測。

性教育、医療、被害相談その他の情報への影響を懸念する声。

これらは互いに関係する。

しかし、同じ事実ではない。

法律案本文に記載された義務と、提出者が説明する政策目的は区別される。

法律案本文と、将来の政令又は省令によって定められる可能性がある内容も区別される。

将来の運用に対する期待又は懸念と、現在既に確定している運用も区別される。

SNS上に広告画像が存在しても、その画像だけから、広告主、広告代理店、配信条件、閲覧者の年齢設定、表示時点、通常投稿か広告か、適用された審査基準及び通報後の処理まで確認できるとは限らない。

公開された自主規制又は広告ポリシーが存在しても、問題となった個別広告がどの基準で審査され、なぜ表示され、通報後にどう扱われたのかは、それだけでは分からない。

賛成する側が「子どもを守る」と述べるときも、反対する側が「表現規制だ」と述べるときも、何を対象としているのかが同じとは限らない。

どちらか一方だけが事実を見ており、他方だけが推測しているとは限らない。

双方が異なる経験、資料及び予測を使い、確認できない部分を異なる説明によって補っている可能性がある。

■ 法律案は主題ではなく、現在へ接続する入口である
この連載は、法律案の賛否を示すためのものではない。

成人向け広告を擁護するためでもない。

青少年保護を否定するためでもない。

刑法第175条の撤廃又は維持を求めるためでもない。

法律案は、私が国家出力後の約6年間に観測し、固定したことを、現在の社会へ接続する入口である。

社会に「なぜ」という疑問が生じたことと、その疑問が制度科学的な分析対象として成立したことは同じではない。

疑問が、どの主体、どの対象、どの時点、どの判断工程、どの資料、どの制度接続位置及びどの制度出力を指しているのかを確認しなければならない。

説明を求めたことと、判断生成構造へ接続したことも同じではない。

専門家から一般説明を得たことと、個別の国家出力又は制度出力を生成した現実構造へ到達したことも同じではない。

制度を変更できる主体が、変更対象を生成した原因へ到達しているとは限らない。

当事者であることも、研究者であることも、政治家であることも、弁護士であることも、制度操作を実行したことも、それだけで原因への接続を保証しない。

だから、各主体が自分の位置を示す必要がある。

何を対象としているのか。

何を資料としているのか。

何を確認したのか。

何を確認していないのか。

どこから推測又は将来予測を行っているのか。

どの制度接続位置から発言しているのか。

どの権限を持ち、どの責任を引き受けるのか。

どこから先が自分の限界なのか。

求めるのは、私への賛同ではない。

同じ結論でもない。

同じ現実を対象としているかを、互いに確認できる状態である。

■ 今回は、沈黙しない
私はこれまで、人間としての言葉を制度科学の外へ置いていたのではない。

自分の感情、反省、動機、苦痛及び社会への要求が、記録から切断された不満や自己弁護としてだけ処理されない条件が成立するまで、直接の発話を先送りしてきた。

制度科学的定義と第三者照合の条件を成立させた後に、人間へ戻るのではない。

制度科学的定義と第三者照合の条件によって初めて、私の人間としての言葉を、確認事実、記録及び限界から切断せずに発することができるようになった。

現在は、確認事実、当事者一次情報、法律案本文、提出者説明、報道、SNS上の発信、分析、仮説、予測及び未確認事項を、同じものとして扱わずに提示できる。

今回は、FMが成立している。

だから、私は沈黙しない。

第一記事では、現在広く使われている「エロ広告」という言葉から始める。

私たちは、本当に同じ広告を見ているのか。

同じ媒体、同じ表示条件、同じ閲覧主体、同じ法律案、同じ制度操作を対象としているのか。

賛成と反対が対立する前に、何が事実として共有され、何がまだ確認されていないのか。

まず、その地点から確認する。

■ 原典公開先
原典名
『国家出力確定後の説明参照不能過程の形式知化と制度科学的定義』

原典公開先
https://doi.org/10.5281/zenodo.19490699

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