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雑記|ナウシカにはなれないけれど、堆肥は育てている

ベランダで、コンポスト(堆肥)を作っている。

始めたのは、去年の10月末。約2か月のあいだ、我が家の生ごみを、せっせとバッグの中に投入した。

我が家のベランダには「約2か月分の生ごみが佇んでいる」ということになるけれど、信じがたいことに、匂いや虫はほとんど出ていない。

熟成期間中のバッグの奥に、現在生ごみを投入中のバッグもある。投入と熟成を同時に進めるために、バッグが二つ必要なのだ。

生ごみの投入期間が終わり、いまは熟成期間に入っている。我が家の生ごみが、ベランダで「堆肥になる日」を静かに待つ。

コンポストのある生活を始めてから、前はそのまま捨てられていた生ごみが「ゴミ」ではなくなった。結果、可燃ごみが驚くほど軽くなった。ゴミを重くするものの正体は、生ごみの水分だったのだと実感する。一度この感覚に慣れてしまうと、もう元の生活には戻れない気がする。

熟成中だからといって、何もしなくていいわけではない。毎日バッグを開け、スコップで中身をぐるぐるとかき混ぜ、空気を入れてやる。

本来なら、1か月ほどで立派な堆肥になるはず。しかし、今は冬。気温が低くて乾燥しているので、暖かい季節に比べて熟成のペースはガクッと落ちるらしい。

掘り返すと、2か月前に入れたはずの野菜の皮が、カラカラに干からびた状態でひょっこり出てくる。卵の殻も、しっかり原形をとどめていた。

なぜか、割れもせずにツルンと出てきた卵の殻。

バッグを購入したLFC(ローカルフードサイクリング)によると、理想的な堆肥は「黒っぽく、しっとり」しているものらしい。一方、我が家のものは、茶色くてカサカサ、ゴロゴロしている。

家庭菜園どころか土いじりすら初心者の私でも、これは堆肥にほど遠いことがなんとなくわかる。

かき混ぜるたびに現れる、野菜っぽいものたち。茶色く乾燥している肌を眺めていたら、不謹慎かもしれないが、どうにも「ミイラ」っぽく見えてくる。

近寄ってみると、なんとなく質感がそれっぽいのだ。

小学生の頃、夏休みの自由研究で「ミイラの作り方」をテーマにしたことがある。工程をイラスト付きで解説した、なかなか熱心な大作だった。

昔から、歴史や考古学の世界が好きだった。ピラミッドやスフィンクスの謎に心を奪われ、たくさんの本を読んだ。『世界・不思議発見!』のミステリーハンターのモノマネだって得意だった。そして、自由研究に選んだのがピラミッド、ではなくミイラだった。こうして振り返ると、なかなか攻めた選択。好きな男の子の反応など、まったく考えていなかったのかもしれない。

ベランダでコンポストバッグを混ぜながら、「ついに自分でミイラを作ってしまったよ…」と、長い年月をかけたフリとオチを、ようやく回収した気持ちになる。やっぱり、人生色んなフリをあちこちに仕掛けておいた方が楽しい。

…などと、人生を思い起こしている場合ではない。ここは、ミイラではないのだ。

よく読むと、乾燥している場合は週に1、2回、1リットルほど水を足してよく混ぜるといいと書かれていた。そこで、言われたとおり、ドボドボ水をあげてみた。水を飲ませるなんて、堆肥ももはや生き物のような気がしてくる。

堆肥になぁれ…

花も野菜も育てたことのない私が、なぜか「堆肥」を育てている。「土」を育てている、と言ってもいいのかもしれない。

腐海の森を、土から浄化しようとしたナウシカを思い出す。目に見える腐敗や脅威を焼き払うのではなく、その下で起きている変化を信じて待つという選択。

可燃ごみとして焼却されるより、こうして土に還っていく生ごみの方が、なんとなく幸せではないだろうか。ごみの幸せを願うのもえらく奇妙な話だけれど、森を焼き払って腐海の脅威を取り除こうとしたペジテも、結局は撤退を余儀なくされたのだった。

環境に良いことはもちろんだけど、コンポストにはどこか、哲学めいたものが混ざっている気がする。

今の様子では、熟成が終わるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。堆肥が完成した時には、ハーブを育てたいと思っている。初心者らしく、簡単なものから挑戦したい。次回は、いよいよその段階になっていたら嬉しい。

それまでもうしばらく、土との対話が続きそうだ。



(おわり)


▼いつもお世話になっている、LFCコンポスト。見た目も可愛いのだ。





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