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風に包まれて|シロクマ文芸部

「熱帯夜ですが、これで安眠できそうですね」
 エアコンの取り付け業者の若い男が、目を細めて言った。
「ありがとうございます。予定より早くやってもらえて助かりました」
 家具はベッドと座卓だけ、といった無機質な中年男の部屋に、ひんやりとした風が吹く。額に滲んだ汗が引いていき、私は自然と笑みがこぼれた。
 エアコンが壊れて家電量販店へ行ったところ、取り付けは最短で十日後と言われたのだが、キャンセルの連絡が入ったようで、三日後の今日に設置してもらうことが出来た。
 業者の男は空になった段ボールをまとめ、首に掛けたタオルで汗を拭うと、
「リモコンはくれぐれも優しく扱ってくださいね」
と言い残し帰って行った。

 夜が深くなっても、ベランダに出ると生ぬるい空気が漂っている。室外機からの熱風が更に身体を熱くさせた。
 室内は至って快適だ。エアコンが新しくなって、空気も綺麗になった気がする。離婚して、五年前にこの六畳一間のアパートに引っ越してきたのだが、壊れたエアコンは前の住人が置いていった物なので、かなり古かったのだろう。
 扇風機でなんとかやり過ごす日々から解放された私は、晩酌を済ませたのに、寝る前になってまたビールが飲みたくなった。ベッドに腰掛けて缶ビールを煽ると、一本だけでは物足りなくなり、冷蔵庫の扉を開けて手を伸ばした。

 目を覚ますと、部屋の照明が付いている。ベッドから壁掛け時計を見やると、短い針が二と三の間を指していた。寝坊した、と慌てて立ち上がるが、カーテンの向こうは街路灯の明かりが光っているだけだった。この歳でうっかり昼過ぎまで寝てしまうことなんてないよな、と頭を掻きながら、ふふっと笑う。
 座卓には、蓋の空いたビールとチューハイの缶が二本ずつ並んでいた。飲んでそのままベッドに入ったようだ。アルコールは、一日一本と決めていたのだが、晩酌と合わせると五本も飲んでしまった。今晩は休肝日にしようと決める。
 少し寒さを感じた。手の平を腕や足に当ててみる。エアコンの風が直接身体に当たっていたせいか、Tシャツにボクサーパンツといった、下着姿の私の皮膚は冷たくなっていた。
 流し台の前に立ち、歯ブラシを口に入れる。奥歯を磨き出したとき、業者の男が帰り際に言ったことをふと思い出す。その言葉から蘇った。妻と娘と三人で、マンションで暮らしていたときのことを。
 私は離婚する前、夫婦喧嘩をよくしていた。お互い言語化するのが苦手だったので、よく物を投げ合った。リモコンを壊したこともある。高校生の娘が、好きで結婚したんじゃないの! と叫んで私と妻の間に入ったこともあった。
 彼女たちは幸せに暮らしているだろうか。もしかしたら、娘は結婚して子供もいるかもしれない。いや、まだ早いか。
 私は枕元にリモコンを置いて、タオルケットを被り目を閉じた。エアコンの風が、親が子供も寝かしつけるときのように、私の胸をトントンとたたき、耳元で何か囁いた。
 私は柔らかい風に包まれながら深い眠りに入った。





こちらの企画に参加させていただきました。
小牧幸助さま、宜しくお願いします。 

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