正論は必ずしも正義ではない
こんにちは!りょーたです😊
正論は必ずしも正義ではない
「いや、言ってることは正しいんだけどね」
この言葉って、日常の中でかなりよく出てくる。
仕事でも、恋愛でも、友人関係でも、SNSでも、家族との会話でもそう。
言っている内容を文字に起こしてみれば、たしかにその通り。
間違っていない。
むしろ一般論としては正しい。
でも、なぜかその言葉を向けられた側には、納得よりも痛みが残る。
ときには、正論を言った側の方が「なんで怒られるの?」と不満を持ち、言われた側は「わかってるけど、今それをそういうふうに言う?」と距離を取りたくなる。
このズレって、かなり根深いと思うんですよね。
自分も昔は、「正しいことを言って何が悪いんだろう」と思っていた時期がありました。
事実として正しい。
論理として破綻していない。
改善のためになる。
だったら、それを伝えるのはむしろ誠実なことじゃないか、と。
でも、いろんな人と関わる中で少しずつ思うようになった。
正論は、必ずしも正義ではない。
もっと言うと、正論というのは、内容が正しいからといって、その使い方まで正しいとは限らない。
刃物と少し似ている気がします。
便利だし、必要なものでもある。
でも、持ち出す場面と向け方を間違えると、人を簡単に傷つけてしまう。
今日は、この「正論は必ずしも正義ではない」というテーマで、じっくり書いてみたい。
正論を否定したいわけではありません。
感情論だけで生きようと言いたいわけでもない。
むしろ正論が必要な場面はたくさんあるし、現実は甘くない。
でも、正論を正義だと信じすぎた瞬間、人は少し雑になる。
その危うさについて、言葉にしてみたいと思います。
1.正論は「内容の正しさ」であって、「使い方の正しさ」ではない
まず最初に整理しておきたいのは、正論とは何かです。
正論って、ざっくり言えば
内容として正しいこと
です。
たとえば、
努力しないと結果は出ない。
遅刻はよくない。
感情で仕事をしてはいけない。
健康のためには睡眠が大事。
収入以上の生活をすると苦しくなる。
相手を傷つける言い方は避けた方がいい。
こういうのは、かなりの確率でその通りです。
でも、ここで勘違いしやすいのが、
内容が正しければ、その言葉の出し方も正しいはずだ
と思ってしまうことなんですよね。
実際は、ここには大きな飛躍があります。
正しい内容であることと、
その場でその相手にその言い方をすることが正しいかどうかは、全然別の話です。
たとえば、転んで膝をすりむいて泣いている子どもに向かって、
「ちゃんと前を見て歩かないからだよ」
と言う。
これは事実としては正しいかもしれない。
でも、その瞬間に必要なのはその正しさではないことが多い。
仕事で大失敗して落ち込んでいる人に向かって、
「だから事前確認が足りないって言ったでしょ」
と言う。
これもたぶん正しい。
でも、そのタイミングでそれを言うことが、本当に意味のあることなのかは別です。
つまり正論って、
内容の正しさは保証してくれるけれど、文脈の正しさまでは保証してくれない。
ここを忘れると、人は簡単に正しさで人を殴るようになります。
2.人が本当に求めているのは、正しさより先に「理解されること」だったりする
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