ジラールとイジメの構造
ひょんなことからルネ・ジラールの本を読むことになり(正確に言うとNotebookLMに読ませたものを理解しただけですが)、イジメの構造そのものだなと思ったので簡単にまとめておきます。
人は欲望も模倣してしまう
人の模倣という性質は技能を覚えるとかそういうポジティブなことばかりについて語られてきましたが、そういったものとは別に「欲望を模倣する」という性質があります。
みんながエルメスが欲しいから私もエルメスが欲しい(気がする)
例えばみんながエルメスのバックを欲しがってるから欲しいとか、他の子が好きになった男性は私にも魅力的に見えるみたいな話です。
これを「ミメーシス(模倣の欲望)」と呼びます。
ミメーシスは暴走する
放っておくと集団内(村とかクラスとか共同体のなか)で「ミメーシスの危機」、つまり欲望が模倣されることで 何かを巡って集団内でたくさんの争いが起きてしまいます。
生贄(いけにえ)によってミメーシスの危機を脱する
このミメーシスの危機を脱すために古代から人間社会が利用してきたのが「生贄(いけにえ)」です。
この生贄を利用して集団をおさめるという方法は神話に何度も登場するそうです。
クラス内のイジメも似たような構造にある
現代でいえばクラスのイジメも集団内のミメーシス危機を残り超えるための「生贄」と考えていいと思います。
生贄によって集団は一致団結する
生贄が選定されると、みなの意識が生贄に向かうことになるので集団内に安定が訪れて一致団結します(神話においては生贄は葬り去られてしまいます)。
古代の社会においては生贄は人間じゃなくて動物だったりするので、儀式として動物を屠るわけです。
神格化される生贄
(主に神話において)殺された生贄は「集団の安定を守ってくれた」ということで神格化され、聖なる存在になります。
生贄は攻撃対象として選ばれやすかっただけ
本当はその生贄やイジメの対象者には特に悪いところはなく、人より目立っていたとか、足が不自由であるとか、何か奇形があるとか他人とは異なる何か些細な特徴があっただけです。
勝手に生贄にし、勝手に神格化してきた人類
人類は生贄が生まれた構造に対して客観視などせず「集団内が乱れたのは、あいつのせいだ!」と決めつけるわけです。
そして勝手に殺しておいて調和が訪れると「あいつは聖なる存在だったにちがいない!」と、これまた勝手に神聖化します。
ここまでがジラールの前編です。
【龍成メモ】
たまたま海外で買ったWiredにPalantir Technologiesの創業者アレックス・カープ(Alex Karp)のインタビューが出てました。
それをきっかけにGeminiでDeep Researchをしているうちにピーター・ティールの名言
「競争は負け犬のためにある(Competition is for losers)」
にたどり着きます。
ピーター・ティールのZero to Oneは昔読んだことがありますし、競争するなという言葉も覚えてました。
しかし、どこからこの思想が出てきたのかは全く知りませんでしたが、その由来をDeep Researchから知ることになります。
ピーター・ティールのこの思想の根底にあるのが、まさに今回紹介したルネ・ジラール(René Girard)の『ミメーシス(模倣の欲望)」理論』です。
#ピーターティール #ミメーシス #ミメーシスの危機 #欲望のミメーシス #ジラール #ルネジラール #アレックスカープ
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