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ちゃんと飯食ってるか

 「ちゃんと飯食ってるか」と誰かに聞かれたのはいつが最後だろうか。

 頑張れでもなく、無理するなでもない。今日はご飯を食べたか、と聞いてくれる人間が、自分の周りにどれだけいるだろうか。

 そういえば上京して間もないころのぼくはいつも少し空腹だったような気がする。

 お金がまったくなかったわけではない。食べようと思えば食べられた。けれど東京に来たばかりのぼくには、飯を食うより先にやらなくてはいけないことが、いくつもあるような気がしていた。朝は駅まで早足で歩き、慣れない乗り換えや満員電車に神経を尖らせ、昼は打ち合わせの相手の言葉を聞き漏らさないよう気を張り、夜になれば狭い部屋へ戻って原稿を書いた。冷蔵庫の中には、飲みかけのペットボトルと、いつ買ったのかわからない卵がふたつ、申し訳みたいに残っているだけだった。

 あのころの東京は、巨大だった。駅を出れば人の波が、こちらの都合なんて知らない顔で流れていく。改札の前で一歩立ち止まるだけで、自分だけが手順を間違えた人間みたいに思えた。昼休みのオフィス街では、みんな当たり前のように列に並び、当たり前のように注文を済ませ、当たり前のように午後の仕事へ戻っていく。街じゅうの誰もが、この街の使い方を知っているように見えた。

 ぼくだけがまだよそ者だったから、皆に置いていかれないようにしていた。わからないことがあっても、なるべく顔に出さないようにした。呼ばれたら行ったし、頼まれたら引き受けた。本当は少し息が上がっていたのに、それを悟られるのが嫌だった。東京には、自分の代わりがいくらでもいる。文章を書く人も、企画を考える人も、この街には山ほどいる。気を抜けば簡単に埋もれてしまう街だった。

 だから、必死で喰らいつくしかなかったのだと思う。

 あれはたしか夜だった。仕事を終え、見慣れない街の見慣れない部屋に帰ってきて、ぼくはコンビニの袋を床に置いたまま、しばらく座っていた。弁当は少し冷えていて、食べる前からもうおいしくなさそうだった。窓の外には、名前も知らない通りの灯りがあった。車の音がときどき途切れて、そのたびに、急にひどく静かになる。東京はうるさい街のはずなのに、部屋にひとりでいる夜だけは妙に静かで、その静けさがかえって、自分が誰にも知られていないことを際立たせた。

 そのとき、地元の友人からメッセージが届いた。

「ちゃんと飯食ってるか?」

 たったそれだけだった。最近どうとか、元気にしてるかとか、そういった言葉はなかった。

 しばらく、ぼくはそれを見ていた。まさか連絡が来るとは思っていなかったし、もし連絡が来るのだとすれば、東京はどうだとか、新しい街にはもう慣れたかとか、そういう上京した人間に向けるらしい言葉を想像していた。けれど友人は、そういうことを何ひとつ聞いてこなかった。ただ飯を食っているかどうかだけを聞いてきた。それが妙に地元の友人ぽくも思えた。

 地元にいたころ、ぼくらは人生について大げさには話さなかった。夢とか将来とか、そういうものをまったく語らなかったわけじゃない。けれど、それより先に腹減ったなとか、どこ行くとか、もうちょっとだけ喋るか、みたいなことを言っていた気がする。夜更けのファミレスや、だらだら居座った店のテーブルには、たいして意味のない話ばかりが積もっていった。でも、そういう時間のなかで、相手がちゃんと食べているか、ちゃんと眠れているかくらいのことは、案外わかっていたのかもしれない。

 ちゃんと飯食ってるか。

 その言葉には、正しさがなかった。栄養を摂れとか、自分を大事にしろ、とか、そういう整った助言がない。ただ、今日のおまえは食べたのか、と聞いているだけだ。その乱暴なくらい素朴な気遣いが、東京で張りつめていた心を、少しだけゆるめた。

 ぼくは、そういえば最近は栄養のあるものを食べていないな、と返した。

 すると友人は、やっぱりな、と送ってきた。

 やっぱりなという文字を見たとき、少し笑ってしまった。東京では、ぼくはまだ何も爪痕を残せていない。この街の景色のなかでは輪郭が薄くて、放っておけば背景に紛れてしまいそうな気がしていた。けれど地元の友人にとってのぼくは、東京に来たからといって急に変わるものではなかったのだろう。忙しくなると食事が雑になるやつ。無理をしていても、平気なふりをするやつ。そういう昔からの自分を、そのまま覚えられていたことが、少しだけうれしかった。

 その夜、ぼくは東京の部屋でひさしぶりにちゃんと飯をつくった。

 米を炊いて、サラダをつくって、お肉と茄子を炒めただけだった。台所は狭くて、まな板を置くとほとんど場所がなくなった。換気扇の音は妙に大きく、野菜の瑞々しさは、ひとりでいる部屋の空気を少しだけやわらかくした。ほんとうにそれだけのことだったのに、茶碗の前に座ったとき、ようやくこの部屋で息ができた気がした。

 上京して間もないころは、ずっと東京に試されている気でいた。速さに遅れないか。無関心の波に飲まれないか。ここには自分よりうまくやれる人がいくらでもいるという事実に、怯えずにいられるか。そんなことばかり考えていた。寂しいとか、疲れたとか、そういう感情を認めるのは、この街に埋もれていくことだと思っていた。だから、自分の生活が少しずつ痩せていくことにも、なるべく気づかないようにしていたのだと思う。

 けれど、ほんとうに弱っているときに沁みるのは、きれいな言葉ではないのだ。頑張れでもなく、夢を諦めるなでもない。ちゃんと飯食ってるか。そういう、生活の底のほうに手を入れてくるような言葉だけが、人の心を温めることがある。

 忙しい日が続くと、いまでも食事は雑になる。何かに追いつこうとするほど、生活はあとまわしになる。けれど、ときどき思い出すのだ。見慣れない部屋に置かれたすっかり冷えた弁当。たまに聞こえる車の排気音。窓の外の知らない灯りが見えるなかで光っていた、短い一文のことを。

 東京で生きることは、たぶんうまくやることだけではない。ちゃんと飯を食って、明日もこの街にいることなのだと、友人から送られた、たった一文で少しだけ知ったのかもしれない。

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